なんとかなれよ
なんとかなる。
と、父親は返答に困った時の手段として多用している。
受験の時も上京の時も、決まってこの言葉で向暑はるを見送っていた。
適当かよと、子供の人生の分岐点において何も関心がないのかと思っていたけど、
優しい父親だからこそ、無駄に背筋を伸ばして欲しくなかったのかもしれない。
頑張れとか、ご褒美の○○とか、そんな応援よりも、心地良くて暖かい言葉だったと、今になって気づいたりする。
まるで、これからを生きるためのおまじないである。
父親から送られてきたLINEは、決して幸せとは言えない淡泊な文章だった。
その中の二文字は、しりとりを終わらせるためでしか使ったことがないし、むしろそれ以外では使いたくのない文字でもあった。
だからそれを父親からの報告で見てしまった時は、その言葉の”本当の意味”を嫌でも知ることになった。
友達に言われる”バカ”と上司に言われる”馬鹿”の感じ方は全く違うように、
ドラマで聞くこの二文字と現実のこの二文字は、自分と他人くらいに違う意味合いに聞こえる。
決してセンシティブな状況ではないことを知ってとりあえず安心はしたけど、
親元を離れて暮らしている人間にとっては、元気な顔を見れるまでは一息はつけないものである。
今度は飽きてしまったしりとりのように勝手に終わらせてはいけない。
なんとかなるよ。
また父親が言う。
そうだね、なんとかなるよ。
明日を生きるためのおまじないをかけた。
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