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『天使にラブソングを』の“天使”って誰のことだと思う?


私の人生で殿堂入りしている映画の一つ、「天使にラブソングを」

言わずと知れた人気作品だが、音楽の素晴らしさについて語られることがほとんどだと思う。

もちろん私もこの作品の音楽は大好きだ。

高校生の頃、サントラCDを買ってから数週間続いたあの高揚感、多幸感。
本当に特別なものだった。

今でも映画を見る度にその感覚が蘇る。


でも私が好きなのは音楽だけじゃない。
今回は登場人物の心の交流について書きたい。

主人公のデロリスと、修道院のシスター達との交流だ。


私はデロリスが大好きだ。

図太いけどサバサバしてて、
皮肉っぽいけどユーモラスで、
豪快で肝が据わってて、
直接的じゃないけど、ちゃんと優しい。

あんなおばちゃんがそばにいてくれたらどれだけ楽しいだろう、元気づけられるだろう。

そんなデロリスだが、基本的には宗教や信心深さとは無縁のキャラクターとして描かれる。

デロリスは子どもの頃、カトリック系の学校に通っていた。

問題児で、12使徒の名前を聞かれると悪びれずに「リンゴ・スター」とか「エルビス」とか答えてニヤついてるような生徒である。

先生は呆れかえり、サジを投げた様子で「あなたのような子は見たことがない、一体どんな大人になるのかしらね」と皮肉混じりに言い放つ。

すぐさまシーンが変わって、カジノクラブでシンガーとして歌う彼女。

観客のまばらで気怠げな拍手。

オーナーのヴィンスの愛人になりそのツテでステージに立っている。

いつまでも結婚の話をはぐらかされてウンザリしながらも今の境遇に甘んじている。

あの時の先生の言葉通り、あまり真っ当とは言えない大人になっていることが伺える。

その後ヴィンスによる殺人現場を目撃して警察署へ逃亡。
身を隠すためサウザー警部のツテで修道院に入ることになるが、そこで冒頭の話が活きてくる。

彼女にとって修道院でシスターになるなんてことは、マフィアに殺されるのとどっちがマシか真剣に思い悩むくらいイヤでイヤで仕方のないことなのだ。

案の定、修道院では匿ってもらってる立場などお構いなしに言いたい放題に不平不満を漏らすデロリス。

彼女にとって修道院のシスター達は女を捨てている=人生を捨てている人達なのだ。

決して自分とはわかり合えない人達。
生来の性格と、子ども時代のあの学校での経験がイヤというほど彼女にそう思わせている。

そして、自分と同じくらい修道院のシスター達も自分のことが嫌いだろう、と彼女は思いこんでいる。

お互い一緒にいるなんて不幸でしかないのに、こんなことになって本当に最悪。

だったらここを出て行くまで、できる限り関わらないほうがいい。
それがお互いのため。
信仰なんてまっぴらよ。
私は被害者なんだからね!

それでも修道院にいる限りはシスターとして他の人達と共同生活をしないわけにはいかない。

彼女の素性は修道院長と神父様以外は誰も知らない。
他の修道院から移ってきた、ということになっている。

どこの修道院から?と聞かれた彼女は、「リノにある、ムーンライト修道院(これは彼女がいたクラブの名前)」などと適当なウソをでっち上げる。

イヤイヤながら修道女の仕事をこなす彼女をバックに流れる「レスキュー・ミー」が暗に彼女の心情を代弁している。

助けて。ここは地獄よ。もう最低の最低。

堪えかねてサウザー警部に電話するも、「居場所が知られたらどうする、連絡してくるな」とバッサリ。


非協力的で非常識な発言も多いデロリス。

多くのシスター達は怪訝な目で彼女を見ている。

しかし、天然で底抜けに明るい性格のシスター・パトリックと、対照的に内気で引っ込み思案な性格のシスター・ロバートはそんなデロリスに偏見なく接する。

ある夜、デロリスの部屋を尋ねてきたシスター・ロバートはデロリスに目覚まし時計をプレゼントする。

“起きろよ、寝ぼすけ”と繰り返す花の形の目覚まし時計。

「自分の修道院を出てあなたが寂しい思いをしていると思って」と語りかけるシスター・ロバートは、本心からデロリスが神に遣えるシスターだと信じ、気遣っている。

彼女は打ち明ける。
「私は子どもの頃から何をやっても人のように上手くできなくて、一歩遅れていた。
だけどこんな私にも何か人に与えられる特別なものがあると思うの。私だけにしかない素晴らしい力が。こんなこと考えるのはいけないこと?」

デロリスは微笑んで答える。
「いいや、ちっとも」

去り際にシスター・ロバートが言う。
「自分の心に正直に生きなきゃ爆発しちゃうよね?」

デロリスは今度はニッコリと笑って答える。
「その通りさ」

その後デロリスは修道院をこっそり抜け出して、通り向かいのバーに行くのだが、そこにシスター・ロバートとシスター・パトリックがついてきてしまう。

こうなってはゆっくり酒など飲んでいられない。
慌てて2人を帰そうとするデロリス。

だがジュークボックスを見つけたシスター・パトリックが「一曲だけ」とせがみ、お気に入りの曲を見つけると上機嫌で歌い、踊り出す。

始めは戸惑っていたデロリスも心から楽しそうな彼女の様子にニッコリ。

ハイハイハイ、さあさあもう帰るよ、と急かしながらも、その顔はどこか楽しそうだ。

この日、デロリスの心には変化が起こったのだと思う。
もう修道院のシスターのことを“人生を捨てている女たち”だとは思わなくなったはず。
少なくとも、この2人のシスターに対しては。

その後、夜中に3人で修道院を抜け出したことが院長にバレて、自分のせいだと咎められたデロリス。

反論はしたものの、院長がひたむきに皆を守ろうとしていることを認める。

「ここにいさせてほしい、どうか追い出さないでほしい」と頼む。

少し前までは一刻も早く出て行きたいと懇願していた。

彼女が変わったことの何よりの証だ。


その後、デロリスは聖歌隊の歌唱指導を任されることになり、水を得た魚のように自分の力を発揮する。

彼女のレッスンの結果、
シスター・ロバートの蚊の鳴くようだった歌声は透明感のある美しいハイトーンに生まれ変わる。
調子外れだったシスター・パトリックのオペラボイスは絶妙のタイミングで曲を盛り上げる粋なアクセントになった。

聖歌隊の賛美歌を大胆にアレンジした歌は話題を呼び、日曜のミサにはたくさんの人が来るようになった。

シスターたちは修道院の外に出て行って積極的に奉仕活動を始め、その先進的な行いによって知名度も高まり、たくさんの寄付を得られるようになった。

誰もが活き活きと街の人びとに奉仕するようになり、デロリスもイヤイヤだった修道院の仕事をだんだん自ら楽しむようになっていく。

聖歌隊の噂はローマ法王の耳にも入り、とうとう法王の前で歌うという絶好の機会に恵まれる。

だが自分の古いやり方はもう必要とされていないと考えた院長は修道院を去ることを決める。

デロリスは自分が彼女の居場所を奪ってしまっていた事に思い至る。

さらにサウザー警部から「予定よりも早く修道院を出られる事になった」という知らせが。

修道院が自分の居場所になりかけていた彼女は内心で揺れ動く。

ミサ本番は目前という時。
マフィアのボスであるヴィンスに居場所が見つかってしまったデロリスは捕らえられてしまう。

元いたカジノクラブの一室で、ヴィンスになじられるデロリス。

「愛情も、でかい仕事も、何でも与えてやったのに、恩を仇で返した」と言うヴィンス。

だが彼女は泰然とした様子で、静かに微笑んで答える。

「私の犯した罪を悔いています」
「あなたを許します」

ヴィンスが脅しても少しも動じない。

修道院にいる間に本物の尼さんになっちまったんじゃないか?と戸惑う部下たち。

私はこの場面が好きだ。
この後の展開からもわかるがデロリスはあくまでデロリスだ。本当に改心してカトリック信者になったわけではない。

でもこの時の彼女の言葉は本物なのだ。本心からの言葉なのだ。
このひと時、デロリスは紛れもなく本物ののシスターだった。

洗礼を受けたからじゃない。
死後の裁きを恐れたからでもない。

あの修道院にいるシスター達を認めたからだ。

ヴィンスは殺せ、と部下2人に命じる。
デロリスは死を受け入れるフリをしながら、手を下すことをためらう部下2人を油断させる。

そして彼女らしい一撃を2人に食らわせて逃げ出す。

カジノクラブ中を逃げ回るデロリス。
助けにきた修道院のシスター達が合流し、逃げ道を探すがヴィンスたちに見つかり追い詰められてしまう。

命令してもデロリスを撃てない部下。
「こいつは尼じゃない、ただの女だ」とヴィンス。

そこで院長がキッパリと断言する。
「彼女はただの女性ではありません。私どもの修道院のマリアクラレンス。愛と慈悲に満ちた徳高きシスターです。院長の私がそれを保証します」

ヴィンスは聞き入れず自らデロリスを撃とうと銃を向ける。
だがサウザー警部が間一髪のところで駆けつけて、ヴィンスの肩を撃ち抜いた。

デロリスは助かり、ヴィンスは捕らえられる。

無事を喜び合った後、院長はデロリスに告げる。

「みんなあなたの責任ですよ。
あなたのせいで生活を乱され、カジノの罪に染まり、その上命の危険にさらされました。 …ありがとう」

変わったのはデロリスだけではない。
院長もまた変わったのだ。

院長は辞職を撤回し、デロリスの後を継ぐと宣言する。


そして迎えたミサ本番。
デロリスと聖歌隊のシスターたちは最高の歌声を披露し、教会は大歓声に包まれる。

割れんばかりの拍手の中、デロリスに向かって誇らしげに微笑む院長。

デロリスもまた院長にニッコリと笑みを返したところで、幕は下りる。


この映画のタイトル『天使にラブソングを』は邦題である。

(原題は『SISTER ACT』)

私は洋画につけられる大抵の邦題は嫌いだ。
作品の本質的な価値を台無しにするような、煽情的で安っぽいタイトルばかりだからだ。

洋画に邦題なんてつけずに原題のまま公開したらいいと基本的には思っている。

でもこの作品に限っては、『天使にラブソングを』のほうが好きだ。

語感が素晴らしいし、想像力をかき立てる。

そして原題とは全く違うにも関わらず、物語の本質を言い当てているような気がするから。

文字通りに解釈すると「天使(神様)に(賛美歌)ラブソングを届けよう」だけど、私にはもう一つの解釈がある。

天使というのはデロリスのことだ。

信仰からほど遠いように見える彼女こそ愛されるべき存在(天使)で、

実は天使にラブソングを送ったのは、まずもって修道院のあのシスター達だったのではないかと思うのだ。


天使にラブソングを。
デロリスに祝福を。
素敵なシスター達に、心からの拍手を。

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