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【短歌】吐瀉をする俺


「月が綺麗ですね」と
 はにかんで
 涙を流す君と
 吐瀉をする俺

最悪な夜だ。
俺の人生にドラマチックな展開なんて
起こりはしない。

作家ではなく作家「志望」の肩書は
32にもなれば恥ずかしさしかない。

もう誰も夢を追いかけてて良いねなんて
言ってくれなくなったし、
あの頃言ってくれてた奴らも
内心ではバカにしてたんだろう。

しかも、今夜俺を最も惨めにしたのはコイツだ。
同じスクールに通ってた田中美紀。

田中はコンテストに入賞して、
華麗に作家志望から「作家」になった。

「私だって話すの気をつかったんですよ?」

田中は少し声を大きくして、俺にそう言った。
ここは渋谷のバスケットボール通り。
終電を逃した俺たちは
歩いて帰るために、
三茶方面に向かっていた。

田中はコンテストに入賞して、
本が出せる喜びを伝えるために
俺を飲みに誘ったのだと言う。
電話やLINEではなく
直接話したかったのだと田中は話した。

今までは安い居酒屋で
あの作家が良いだの、この作品はダメだの、
そんな話を2人でたわいもなくできたのに。
一歩、しかもかなり大きな一歩先を
田中にいかれてしまった。

俺は何も言えなくなって、
安い発泡酒をたらふく流し込むだけだった。

表面上は
「おめでとう」だの、
「文才はあるから絶対売れると思ってた」だの、
余裕な言葉を並べておきながら、
俺の笑顔は引き攣っていたかもしれない。
10も下の小娘に才能で追い抜かれる現実を
俺はうまく飲み込めなかった。

俺は酒でグデングデンになりながら
そんな自分の見栄と醜態を冷静に分析していた。
まだ酔っ払っていないと虚勢を張るために。
いったい誰に虚勢を張ってるんだろうか。
この期に及んで。

田中は俺の隣で、
これから出版するために
色々書き直すのが大変だとか、
売れている先生たちと会うのが緊張するだとか、
そんなことを話している。

俺はそれを聞きながら、
今一度、自分の書き方を見直すタイミングかもねとか、
(会ったこともない)あの先生たちに
嫌われたらやばそうだよなとか、
あんまり浮かれてると痛い目見るぞとか、
偉そうな言葉を並べていた。

まだカッコつけていたい自分に反吐が出る。

W杯で日本がスペインを倒したらしい。
今夜の渋谷は
馬鹿でかい歓声と人混みで浮かれている。

「ちくしょう」

人混みと奴らのバカみたいな歓声と
腹で膨れる安い発泡酒の組み合わせは最悪だ。
不意に悪意がこぼれてしまう。
そして、今にも吐きそうだ。

田中はそんな俺を見て、
静かな路地裏を通って帰ろうと言って、
俺らは脇道に入って行った。

人混みが遠くなると、
街の明かりも遠のいて、
静かで暗い住宅街が続く。

頭がズキズキし始める。
ううぅ、とか唸りながら
このまま横になりたい。

でも、そんな姿を田中に悟られないように、
俺は田中に懸命に話を振って、
盛り上げようとしていたが、
一瞬静寂した。
俺はもう限界かもしれない。

「あの、実は私、今日、」

田中が何かを言い出そうとしているのは
分かった。
しかしもう、発泡酒は喉まで来ていた。
限界。

「月が綺麗ですね」

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