アメリカで交通事故にあった話①
こんにちは。お久しぶりです、Harryです。
かなり放置していましたが、決して飽きたわけではありません。
学期が始まるとまじで忙しいんです。
以前の更新が9月でしたが、その直後から大学院の秋学期が始まりました。
TAと博論で追われる怒涛の2ヶ月半を過ごした後、しばらくの冬休み。
そして年が明けてすぐに冬学期、という感じで、ほんと、息つく暇もなかったのです。
そして今少し余裕ができたので、これ幸いと記事を書いている次第であります。
なので、本当に久しぶりすぎて以前に何を書いていたかよく覚えていないのですが、編集中の記事がこの記事だったので、続きを書いていこうと思います。
はい、アメリカで交通事故にあった話ですね。
勘のいい方はもはやお気づきでしょう。
何かって?
①ということは②があるということです。
そうなんですね。実は私はアメリカで2回交通事故に遭いました。
しかもどちらも割と大きな事故で、そのとき所有していた車はいずれも廃車になりました。
そんな大事故にもかかわらず、幸運なことに5体満足で生き残ることができました。
昔からどん底に追い込まれた時の運はいいようです。
わたしの「人生」は 「最悪の時」 いつもそうなんだ・・・。「運」は、このHarryに味方してくれるんだッ!
で、今回は一つ目の事故のお話。
どんな感じの事故だったか、そしてその後のペーパーワークはどうしたらいいのか、ということを書いていきたいと思います。
ほとんどの方には参考にならないと思いますが、興味本位で見ていただければ幸いです。
留学して一年目の冬。
私、Harryはある焦燥感に駆られていた。
アメリカといえば車社会。
広すぎてどこに行くにも車は必要。
留学ともなれば車の所有は不可避なのだ。
だのに!だのにだッ!
この私、Harryときたら、調子に乗って国際免許を取得したはいいものの、未だにマイカーを持っていないッ!
これは一体どういうことなのだ。
大学の寮とその周辺をうろうろするだけでは、日本にいるときとたいして変わらないではないか。
買わなければ・・・。
買わなければいけない、なんとしてもッ!!!
やるといったらやる「スゴ味」を見せなければッ!!!!
で、とある在米日本人向けの掲示板サイトの「売ります・書います」を毎日舐め回すように見ていたわけです。
こういう掲示板サイトというのは、日本人が比較的多い都市ごと地域ごとにあったりするので、情報交換をしたり、いろんなものを売買したり、アパートを探したりするのにすごく便利です。
そこでは日用雑貨や家具家電はもちろん、車やオートバイの個人売買が行われています。
日本の場合、車の個人売買はあまり耳にしませんが、アメリカでは日常的にあります。
購入した後の手続きも簡単で、必要な書類をDMVに持って行って、必要であれば100ドルくらいの登録料を払うだけです。
その後は車の保険会社と契約すれば完了です。
話がそれましたが、そんな感でお手頃な車を見つけたので、Maryを説得して購入の許可を得ました。
買ったのは2004年製のシボレーのセダンで、価格は大体2000ドル。
結構ボロいですが、まあ最初だし、使い潰すつもりだったのですが、まさかそれより先に事故でぶっ潰れるとは思いもしませんでした。
車を購入して約一ヶ月くらいがたった頃だったと思います。
私とMaryは歯医者から帰るためにフリーウェイに乗っていました。
後すこしで自宅というところまで来たそのときでした。
前を走行中の車が突如ブレーキを踏みました。
なので、それに合わせる形で私もブレーキを強く踏みました。
しかしスピードは落ちず、あわや接触かと思ったそのとき、ABS(アンチ・ブレーキ・システム)が作動せずにタイヤがロック。
ハンドル操作はきかず、車はスピンして、同一方向に向かう隣の車線へ侵入。
後ろからきたピックアップトラックのブレーキが間に合わず、運転席側のドアに衝突し、私とMaryを乗せた車はその衝撃で、もといた車線を横切って道路脇の藪へと突っ込んでいったそうです。
したようです、と書いたのは実際に記憶があるのは、車がスピンし始めた時までで、気がついたときには藪に突っ込んで停止していました。
もうこれキング・クリムゾンだろ。
時間が数秒ぶっ飛んで、結果だけが残る。
地下納骨堂でのブチャラティとすごい一体感を感じる(AA略)
で、キング・クリムゾンから解放されて、気がつくと数人のアメリカ人が運転席側の窓をぶち破って僕を助けようとしているところでした。
Maryは隣で私の名前を叫んでいたと思います。彼女に怪我がなくて本当に良かった。
私の方は、頭部と左腕に怪我をしており、救急車で運ばれることになりました。
その間に車はレッカーでどこかへ移動させられていきました。
ここで重要なのは、アメリカで事故にあった際、まずしなければならないのは、お互いの連絡先と保険会社の情報の交換です。
それからすぐに保険会社にも連絡します。そうすると相手方の保険会社と連絡をとってくれて、どちらが有責かということを決めてくれます。
この場合は私が勝手にスピンしたので私の保険会社が相手の補償をしました。
日本と違って、アメリカでは有責側が全ての補償を支払うことになります。
で、無事病院まで搬送され、ホッチキスで頭の傷を縫合され、左腕をギプス的なもので固定されて家に帰りました。
その後数週間で頭の傷は癒えましたが、左腕の方はしばらく真上にあげられない状態が続きました。
どうやらコラコイドプロセスという肩の骨が事故の衝撃で変形してしまっていたようでした。
幸い手術の必要はなく、長期間のストレッチを経て、今は以前と同じように動くようになっています。
で、これで終わりではなく、事故後は警察とレッカー会社の事故車保管所へ行かなければいけませんでした。
警察では事故の詳細を陳述しました。
事故車保管所では、自身の車の所有権を放棄する手続きを行いました。
別に経験する必要は全くないんですけども、色んな意味で貴重な経験でした。
ほとんどの方には、無駄ァなことかもしれませんが、こういった経験をされた方も少ないと思うので、書き記した次第です。
カリフォルニアというゴールデン・ステートで得た経験。
まさにゴールド・エクスペリエンスですね!!!
いやできることならバイツァ・ダストで過去に戻りてえよ。
Harry
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