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ETV特集 「昭和天皇が語る 開戦への道」 歴史は繰り返したか?

ETVでやってたので拝見

この「くに」における王とは何か?

「下克上」との昭和帝のお言葉が出てくるが、
王権、統帥権を確実に意識していたことを
意味している。
ところが天皇家というシステムは、
もともと実力行使しない土着神=氏神的な存在だ。
歴史的に11世紀以降、
天皇家が実力行使を意識すると、
大反発を食らって、不幸な状況を生み出した。
例えば、後白河法皇、承久の乱、建武の新政。
影響する範囲は、せいぜい天皇家の血筋とその取り巻きまでだったが、、
以後、土俗信仰=神主の頂点として、
静かに政治の外側に存在し続けた。

幕末〜明治維新によって、
とりあえず手近な近代化のモデルとして、
約500年眠っていた天皇家が担ぎ出される。
世界的な帝国主義全盛の19世紀に、
内的な経済システムが飽和していたこともあって(江戸期の米本位制は限界にきていたが、封建的な秩序体制と密接に結びついた自家中毒的デッドロック!)、
資源も人口も少ない極東の国が、
世界の熱量に勝手にうなされた結果、
特効薬として導きだした
島国らしい人に優しい革命モデル

明治、大正は、従来の天皇家のポジションで、
せいぜい歌で表現する程度だったろう。
(天皇家を担ぎ国家をつくった元勲たちも生きていたし、大正帝は病弱で一切任せていた様子)
ところが、
昭和帝は自ら西欧的な立憲君主と意識し、
端々に口を挟んでいること、
さらには軍部も末端まで勘づいていたこと
(2.26事件とか)が、この番組では明らかだ。

ひょっとすると、昭和の大惨事は、
本質的に天皇家の1000年単位で起こる歴史が
繰り返しただけなのではないか?
昭和帝の平和路線の細やかな実力行使に、
反語的に勇気づけられ、
紐づいた陸海軍の武人とその敗北
(栄華の期間もあたかも建武の新政の楠木正成だ)
さらには近代国家化によって統合された全国民、引きづられ世界へも被害が拡大した。
(もっと言えば、ルーズベルトは戦争などせず、
新しい世界の共存を目指していた様子)

もし、昭和帝がハナから氏神同然に
一切政治に関与しなければ
(年に1度歌ぐらいは詠むような)、
どんな歴史だったろうか?
日本国民のことだ、
あそこまで悲惨になる前に、
もっと「勢い」だけで突き進み、
内的に分裂自壊(更には勝手に再生)
したかもしれない
もともと100年前まではバラバラの「くに」で、
天皇家はその歴史をよく知っているはずだ。


この「くに」の王としての歴史、立場の理解と
状況に応じた行動。
いつも夫妻の笑顔で励まし続け、
自ら退位を叡断した平成帝と
比較すればよくわかる

なんとなく思うのは、
時間は勝手に、バカバカしく過ぎようと
後1000年は平和かもなー
という、不思議な感覚

そんな雑感が残る番組だった


特殊な歴史観かとおもいます
一読いただき、ありがとうございました




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