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親ガチャ、失敗ってなんだろう(終)


こんにちは、まどかです。
前回の投稿よりも大分間が空いてしまいました💦
今現在、実家に住んでいるのですが、まさしく親と冷戦状態で心穏やかでなかったので、、筆が止まっていました。また新たな気づきもあったので、後ほど。
前回の話はこちら!

読まずとも、大丈夫です♡
要するに、とっても壁にぶち当たったよ〜😭ということを書いております。
それでは、最後の結末どうなったのか?
どうかよろしくお願いします。


あなたは優しい人だと思うよ。

さて、就活に悩んでいたまどかに戻りましょう。
どん詰まりになっていた私に、先生が気付かせてくれたことがありました。

「わかりません」がすぐ言えるようになったらいいね。
わからないことは、わからなくてもいい。自分の考えと違ったら、「そんなん知らんがな」で一旦放置する。
落ち着いたら、「まぁでもな〜」って相手のことを考えたらいい。そのぐらいでいいんだよ。

これまで親に言われたこと、叱責されたことを全て受け止めてきた。他人と自分の線引きができていなかったんですね。

でも、その過去があるから、人の気持ちを十分に考えられるようになったでしょう。世の中には察せない、人の考えなんてさっぱりわからないという人もいる。そんな人に今更なりたいか?俺はそんな人になりたくはない。人を見る時にいろんな見方をできるようになったと思えたら一番いいよ。

確かに、人のことを考えたりしない自分など考えられない。これが私。ウジウジ悩んだり凹んだり、もがいていた嫌いな自分も、振り返れば大切な私を作ってきてくれたんだ。

俺からみても、貴方は優しい人間だと思う。
優しい人間がどこかで曲がったり潰れたりすることなく優しいまま、社会に出て欲しい。そう思ってるんだよ。

この言葉にとても救われました。
就活も無事に終わり、第一希望の就職先にご縁をいただけました。社会的にも認められたことで大きく自己肯定感が上がったように思います。

どうしてこんなに苦しいのか。

さて、過去の私はこう思っていました。
自分の親は毒親だ、親が悪者。私は被害者。
私は悪くない。…悪くない。
あぁでも、こんなに苦しさが変わらないのはなぜだろう。

悪者と思っている人に優しくできますか?
自分を無自覚に傷つけた人を、許して傍にいられますか?それが家族だったら、本来一番の味方であるはずの人を敵だと認識し、まったく期待を持たずに生きていく、そんな覚悟はありますか?

私はできなかった、なぜなら親のことを嫌いになりきれなかったから。嫌いになりたくなかったから。

親元を離れてから、数年が経ち。ようやく親は親で、生死を迷うほど大変な事情を抱えながら育ててくれたんだという事実を知ることができました。
私と言う人間自体を嫌っていたわけじゃなく、爆発させるしかない負の感情をぶちまけられる対象が私しかいなかった。仕方なかったのだと思えるまでになった。
ここまでは辿り着けた。

親は悪者。私は被害者。でも、親もまた、被害者。
嫌いになりきれない、でも私の気持ちも収まらない。

自分で選んだ道だから。

ここで登場、アドラー心理学。
詳しく覚えていませんが、「自分はこの瞬間から変えられる」というもの。自分の不幸な状況も考え方も、全て自分が選択しているものなんだよ、という考え方です。

あ、そうか。
わたしが決めたんだ。

例えば叱られた時、選択肢はたくさんある。
言い返したり、無視したり、罵声で罵ったり。泣いたり。素直に受け止めて反省したり。
沢山の選択肢がある。その中で私は「黙って言うことを受け入れる。親の機嫌が直ることを最優先にする」選択をした。

その言い方は嫌。そう言われると傷つく。
不機嫌な顔を見ると不安になる。一度叱ってごめんなさいしたらスッパリ切り替えて欲しい。いつまでもネチネチした態度をとらないで、悲しくて辛いよ。
無視しないで。話を聞いて。…話しかけてよ。

少しでも言えていたら、何かは変わっていたでしょう。
自分の意思表示をしないという選択肢を取り続けた結果、それが当たり前になり、癖になって自分という人間の性格を作ってしまったのだと。

親のせいではない。環境のせいではない。
私が決めたこと。
わたしが決めたことなら、誰に何を気遣うでもなく辞めることができる。もうそんな自分はやめる。

あの選択をしたから、人のことを考えられる自分になれたんだね。ありがとう…。よく頑張ったね。

これまで苦しみ、泣き、悩み、何度も放り出しそうになった細かい細かい、自分という名のジグソーパズル。
その最後のワンピース🧩が

ぱちり。

とハマった瞬間でした。

世界が明るく見える日

その気づきを境に、まるで世界がキラキラして見えるようになりました。
なんだろう、あの感覚。

これまで、笑顔を作るたびに引き立ってうまく笑えないと思っていたのが、なんだか頬が軽くてふわり、と笑える。自分の写真がなんだかいい風に見える。
人と話すのが怖くない。どう思われてるかとか、相手の考えることだから、干渉できないし悩まない。

やっと、やっと、私は古い自分を抜け出せた。とはっきりと自覚できました。まさに人生の、転期でした。

「まぁなんとかなるもんですから。」
先生、ほんとにそうですね…。

実家に帰っても。

さて、親元を離れて1人になり、このゴールまで辿り着きました。この視点を得てから、親と随分素直に話せるようになりました。
そして、親も親でこれまでのことを悔やみ、後悔して生きていることを知ることができました。

私の元に生まれて来なかったら、もっと自由に羽ばたいて好きなことを沢山できたかもしれないのに。本当にごめんね。こんな親でごめんね…。

悩み、苦しんでいたのは私1人だけではなかったのだなと知ることができたのは、本当によかった。
親もまた、1人の人間なのだと本当の意味でそう思えました。もうこれまでのことは言いっこなしだからね。と、互いに泣き、仲良く酒を飲める仲になりました。

でも、そうは言っても互いに未熟な人間ですから。
いまだになんでその言い方しかできないの?とかどうしてそんな風な態度をとるんだろうと思うこともあります。
めんどくせぇな、って。笑
どうしてわたしが貴方の機嫌を取らなくちゃいけないのか、不機嫌な顔して過ごして気にするなとかふざけてんのか?とかね。
一緒に住んでいれば思うこともあります。笑
性格全然違うんだもん。仕方ないね。

でももう、どん底まで引きずられはしません。
わたしはわたしだから。
完全なる親離れまでもう少し。まぁ焦ることもないでしょう。もう少し、ゆっくり、しっかりね。

親ガチャは、しっかりと掴み取りましたよ。
失敗か、成功か。
それは貴方がどう定義するのかです。
どちらが貴方にとって幸せか。それだけのことです。
私個人としては、いつの日か親ガチャや毒親という言葉がなくなってくれたらいいな…と願っています。

最後に。

読んでくださって本当にありがとうございました。
親との関係は、誰しもが一度は迷う道だと思います。
様々な考えがある中、こんな風に考えた人もいるのだと思ってもらえたら嬉しいなと思います。

また、スピリチュアルな面にも出会うこととなり、また新たな視点で親や過去の出来事をみることもできるようになりました。またそれはいずれ書こうと思います。
ありがとうございました。

まどか










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