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芸術を受け入れ人生の深みを得るための3要素

突き詰めた芸術への理解

舞台「ねじまき鳥クロニクル」見てきました。

小説は3部構成で、めちゃ長いストーリーだったけど、面白くて一気に読めた記憶はありますが、何せ読んだのが20年以上前なので、マジうる覚え。

しかし進行していくに連れてかなり思い出せたし、ストーリー知らなくても斬新な解釈の演出がエキサイティングで見応えがありました。

出演者の家族の知り合いという立場から、終了後に楽屋挨拶までさせて頂いて貴重な体験でした。

村上春樹の作品がどうこうというより、舞台演出(特に今回はコンテンポラリーダンス)について考えさせられる、とても良い機会でした。

2年くらい前に見た舞台「プルートゥ」のときも舞台演出について衝撃を受けたけど、こんな風にアウトプットする人ではなかったので、言語化してみようと思います。

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小学生の時、体育の授業で「表現運動」というのをやった。

表現運動がどのようなものか理解していない私たちに、先生が生徒の中から一人前に出して、「太陽を表現してみて」と言いました。

その子は数秒迷った末に🙆🏻のポーズをとりました。太陽の「丸」を表現したのでしょう。

要はそのものに成りきって、動き(アクション)つきで表現する運動です。

私の班は「水あめ」を表現することになり、みんなで「ドロドロ」した感じを体全体で表現しながら動き回った記憶があります。

今考えても体育の授業といえば、長距離走、野球、バスケなどメジャーな球技、跳び箱など誰でも認知しているものですが、この「表現運動」は、上手にできたところで一つも男子から羨ましがられたり、女子からモテることもなく、本人も憧れたりしないだろうと思います。

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アートは芸術性を過度に追求すると、理解できる人の数が減少します。
これには、「このアートを実際に見たり聴いたりする人がどう感じるか?」よりも「自分の表現したいアートはこれだ!」という強い探究心のマインドで届けているためだと考えます。
アートに対して自己責任の主体的な捉え方であるはずですので、素晴らしいことです。

私は音楽に関してはマニアックなところまで理解できる人ですので、私の意見が伝わりやすいように、理解し難い曲をリンクします。

①ベースを演奏する人にとって神的存在!ジャコ・パストリアスの「Donna Lee」これはまだ旋律1名、リズム1名なので聴きやすい。何度この曲を練習したことか…

②オーネット・コールマンのフリージャズ(最初の1分くらい聴いていただければいいです・・・)これは重なりすぎて訳わからん。


③では、多くなけれないいのか? ジョン・ケージ の「4分33秒」というタイトルの曲。・・・曲です! 4分33秒間の曲です!
第三楽章まであります。(気になった方はご自身でお調べください)

④無音がダメならバンドだ!私の大好きなバンド、たまの「まちあわせ」 ちなみにこれは「いかすバンド天国」という番組で、5週勝ち抜きすると「グランドイカ天キング」になるのだが、4週勝ち抜いた彼らが、5週目で演奏した曲。これで5週勝ち抜きました。その映像。


どの曲も有名な曲を選んでおります。
人によっては、「わっけわかんねー」と混乱するでしょう。芸術ですよ!

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そして私が「コンテンポラリーダンス」で始めて見た映像です。踊っている彼が「ねじまき鳥クロニクル」に出演するということで、どんなパフォーマンスをするのか見ておこうと思って視聴したのです。

ダンスの世界にもいろいろあるんだなと。「身体能力すげー」とか思うし、芸術性が高いように感じますし、「ねじまき鳥クロニクル」に出演するなんて確実に実力者なのだろうけど、いかんせん私のようなこわっぱの理解が追いつかない。

あれですよ。ダンス見るの好きですよ。ブレイクダンスとか、ヒップホップみたいなのとか、アニメーションダンスとか凄いし。
「かっこいいなー、憧れるなー」なんて思ったりもします。

この、「わかりやすく、かっこいい」というのが人気になる可能性が高いだろうと思います。野球でホームラン、バスケでダンク、EXILEが歌って踊る、ブレイクダンスでアクロバティックに回るなどですね。

では、コンテンポラリーダンスは理解が追い付かないものなのか?と考え調べると、知名度高い方が出てきました。「森山未來さん」です。

森山未來さんのコンテンポラリーダンスがこちら。

あぁわかりました。

洗練された演出と、伴奏のある音楽です。
それに素晴らしいダンスということです。

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アートを受け入れる為の研究


「演出」「音楽(伴奏)」「演技」
この3つの要素の組み合わせで、可能性が無限に広がる訳です。

ある一つの素晴らしくて自信のあるコンテンツが広く受け入れられたいのであれば(受け入れられることが目的でなければ必要ないですが)この3つの側面を深めていくのが良いでしょう。

ブレイクダンスなんて、ストリートっぽい演出と、かっこいい音楽があって、あのアクロバティックなダンスなので、多くの人が「すげー!かっこいい!」と感じるでしょう。

先程の、私のような素人には理解が難しかったコンテンポラリーダンスも、あのダンスとボイスに合うようにかっこいいコード感のある伴奏をつけて、舞台演出も実力のある空間プロデューサーが創造性の高いものを創れば、素人にも「すげぇ!かっこいい!憧れる!」となる可能性が広がるということです。

「Donna Lee」も伴奏がつくだけで、かっこいいジャズになります。(ギターだけど)理解できる人が増えたのではないでしょうか。

アーティストは「自分の表現したいのはこれであって、わかる人がわかればいい。わからない人に合わせるようならアートではない」と考える人がたくさんいるし、それは自分のwant toなので良いです。

ただアートな活動を志して、多くの人に受け入れられたいのであれば、マニアックな側面の強いコンテンツはそのままで、先程の3つの要素からポップな側面を加えるとイノベーションが起こるかもしれないです。

そして「ねじまき鳥クロニクル」も、素晴らしい舞台演出と、生演奏の音楽、そしてコンテンポラリーダンスをふんだんに取り入れた演技で、多くの人に素晴らしいと感じて頂ける作品になってます。

元ネタの小説があり、内容がしっかりしている訳ですので、その時々の感情をコンテンポラリーダンスで表現しているのがわかりやすいという受け入れやすさもあります。

様々なジャンルに踏み込んで、自分の人生の「趣味のゴール」を更新したり、マニアックな感性や構成を理解していって自分のマインドが深みのある豊かさに成長し続けるためにも、今回のコンテンポラリーダンスについて考えられたのは良い体験でした。

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ドリームキラーというハードル


では、コーチングの話。

「ねじまき鳥クロニクル」に出演した彼の家族と知り合いなもので、舞台見終わった後に、いろいろ聴かせて頂きました。

彼は、「航空高校」に通っていて、そこでダンスに出会ったそうです。
そして、抜群のセンスがあってダンスに魅了されていって、もともとはヒップホップダンスを志していて、「ニューヨークに修行に行きたい」というwant toが生まれたそうです。

しかし、兄妹も多く、そのうち2人が航空高校に通ったりしていて、親のことを考えると学費が半端じゃないんだろうなという思いがあって、ニューヨークに行きたいと言い出せずにいたそうです。

まず彼は姉に「ニューヨークに行きたいけど言えない」という思いを相談したら、「自分が行きたいと思うなら行けばいいじゃない!お父さんもきっとわかってくれるよ」と励ましました。

そして意を決してお父さんに伝えると、「お前が行きたいなら行ってこい!」と許可してくれたそうです。
相当お金もかかったことでしょう。しかし本人の強いwant toを理解して、無限の可能性を広げたのです。

日本では、ヒップホップダンスなら、それを中心に学ぶらしいのですが、ニューヨークだと、様々なジャンルのダンスを学ぶそうで、彼はそれがきっかけで、「自分の身体能力に合っているのはコンテンポラリーダンスだ」と気づき、コンテンポラリーダンスに傾倒するようになったそうです。

やはり、最初は受け入れられやすいヒップホップダンスだった訳で、後にコンテンポラリーダンスの深さに触れることによって、ダンススタイルが定まったのですね。

私は、姉も父も知っているので、「あの人たちなら行ってこいって言うよな」と予想がつくような人徳のある人達ですから、彼にとってホント良かったなーと思います。

この決断により、こんな大舞台に立つダンサーになった訳ですから、親の影響はどれほど大きいものかがわかります。

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しかし、家庭によっては「なにをニューヨークなんてバカなことを!」とか「そんなのなれる人なんてひと握りだからやめなさい!」など、可能性をぶっ壊す親もいますよね?

これは親にとってみれば、自分の子供のためという「善意」なのですが、どんな「ひと握り」というデータでも、その中に自分の子供は入ってません。

コーチングでは、こういう人のことを「ドリームキラー」と読んでいるのですが、コンフォートゾーン(自分の安心できるゾーン)が低い人の目の前にコンフォートゾーンの高い人が現れたら、低い人は居心地が悪くなります。
そうすると低い人達は、高い人達にコンフォートゾーンを下げるように促すことで、自分の低いコンフォートゾーンを保とうとするのです。

「ニューヨークなんて無理!」と言って、コンフォートゾーン下げようとしてますよね。

大衆酒場で会社の愚痴言って酔っ払ってる人達でごった返してるところに、数百万円のスーツを着た、明らかに大金持ちの人が現れて、数百万円のウイスキー呑んでたら、大衆たちは非常に居心地が悪くなります。
なんとかその場から居なくなるように行動する人も出る可能性は高いです。
これもコンフォートゾーンの影響です。

テレビでキラキラ輝いてる芸能人を見た時に、どうしようもない文句をテレビに向かって言ってるのも相手のコンフォートゾーンを下げた気になって安心しようとしているのです。
芸能人の不倫で文句言ってる人も、コンフォートゾーンが低いのでしょう。コンフォートゾーンが高ければ、そんなことにかまっている暇はないからです。

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「ドリームキラー」によって、人間の無限の可能性は狭まって、「自分が現状の外のゴールに向かう為の意欲」にとって暗い過去として強烈に焼き付きます。

「私なんてどうせ」というマインドになりやすい人生になります。

親の「善意」が、長期的に見て子供を幸せにしているでしょうか?
「学校で良い成績とって、良い大学行って、良い会社入って、良い奥さんと結婚して、子供産んで、幸せに暮らしなさい」という「善意」が、どんな子供にも幸せになるロールモデルなのか?というのが間違いだということが、だいぶバレてきました。

親、先生など、子供の重要な局面に影響を与える人は、子供の無限の可能性に蓋をすることのないように、まずは認めて頂きたい。

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上記の例のように、ニューヨーク行きたいと言われても、送り出すお金がない場合もあるでしょう。

今はできないことがあっても、まずは子供のwant toをできる限り支援しようとする理解が必要ということです。

ポイントは、本人が自分で正真正銘want toだと考えているドリームを応援するということです。

「友達の~君が、ニューヨークでダンスの修行行くって言うから、オレも行きたい」というのは、ゴール設定でもなんでもありません。

本気のwant toでワクワクしながら行動すれば、だんだん達成方法は見えてきます。
今ニューヨークに行かせられるお金がなくても、他の方法かもしれないけど、クリエイティブに達成方法が見えてくるのです。
本気のwant toで、エフィカシー(自己のゴールに対する自己の達成能力の自己評価)をどんどん高くすることで見えてきます。

そのためにも、親はドリームキラーにならないようにしましょう!
子供がやりたいことをやって幸せに暮らしているのは親のゴールのひとつであるはずです!(やりたいことが犯罪みたいなのだったらダメ!)

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ゴールを達成するには、「ドリームサポーター」が周りに居ることが、大変重要な要素です。
「ドリームサポーター」は、逆にお互いのコンフォートゾーンを上げ合う相乗効果を発揮する人です。

コーチは、誰よりも「ドリームサポーター」ですので、「ドリームキラー」に脅かされたら、コーチングを受けると良いでしょう。

善意のドリームキラーは身近な人が多いので、キラーの影響力が非常に強いです。
では、その影響を受けないようにするにはどうするか?
それは、「ドリームキラーにはゴールを言わない」というのが効果的です。
ゴールを言ったら可能性を狭める発言をしてくるので、最初から言わないようにしましょう。

「ドリームサポーター」にはゴールを話してもエフィカシーを上げるので話しても良いです。

世界中が「ドリームサポーター」になれば、人々の無限の可能性が広がって、素晴らしい世界になるので、コーチとしてコーチングを広げていくことで実現したいと思います。


パーソナルコーチング受付などは下記のリンク



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