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ドイツの祝日 諸聖人の日と蝋燭

10月の最終日曜日でサマータイムが終わり、あっという間に11月。
そろそろ、来年のカレンダーを買う時期になった。
ドイツの祝日は、日本と少し違う。
ドイツ全土共通の祝日は、9日。
残りは、州によって異なってくる。
そのため、カレンダーを買うと、来年はいつが祝日になるのかチェックをする。

州ごとに変わる祝日を含めてカウントすると、バイエルン州が一番多く14日。
宗教に関わる祝日が多いそうだ。
バイエルン出身の同僚が無断で遅刻したので、病気かと心配で連絡をしたら、お休みだと思ってまだ寝ていたなんて話もある。
祝日が少ない事で有名なベルリン都市州は、3月8日の国際女性デーが新しく祝日として加わった。

ここノルトライン・ヴェストファーレン州の祝日(Gesetzliche Feiertage)は11日。
デュッセルドルフやケルン地域では、カーニバルを祝う薔薇の月曜日(Rosenmontag)もお休みにしている企業が多い。
会社によっては、クリスマス・イヴや大晦日を休暇にしたり、または有給休暇から充てるように指示される事もある。

このように、ドイツの祝日は日本よりも少ない。
更には振替休日制度もないため、祝日が土日に重なると、単にお休みが減るだけだ。
いつだったか、日本の振替休日についてドイツ人に説明をしたところ、そこまでして祝日をずらすなんて、有給休暇の取れない日本らしい制度だねと、皮肉を言われたものだ。

11月1日は、諸聖人の日(万世節)で祝日。
Allerheiligen
殉教者、全ての聖人のためのカトリックの祝日。
プロテスタントでは、聖人崇敬は廃止されているので、死者のために祈る日とされている。
お墓には蝋燭が灯され、その蝋燭を道しるべにして死者が現世に戻ってきて、再会できる日とも言われている。

因みに、この祝日の前日10月31日はハロウィーンだが、ハロウィーンはケルト人の風習から来ているそうだ。
この諸聖人の日の前祝、精霊を祭る夜だったという。

この風習が海を渡り、アメリカではかぼちゃのジャック・オ・ランタンや、子供達がTrick or Treat!と言いながら家々を回る行事になった。
それでも、ランタンが残っているのは、死者を弔う蝋燭の意味合いがきちんと伝わっているのだろう。
日本の各地で仮装をして騒ぐイベントになると、死者を弔う意味は完全に消えてしまっている。
風習というのは、こうして形を変えて伝えられていく。
それがたとえ禁止されても、残るものは残り、または消え去ってしまうものもある。
そして時には、全く意味の違うものとして伝わる。

さて、この蝋燭の話を聞いた時に、私はお盆を思い出した。
提灯を持って、お墓に向かう。
父が手に持っているのは、家紋入りのどっしりとした大きな提灯だ。
強い風でも火が消えることはないが、私が持つには重すぎる。
私のものは、細い竹の先にぶらさがった、ピンク色の小さな手持ち提灯。
祖母は、提灯と共に、お墓に供える花を持つ。
それがいつもの決まり。

お墓参りが済むと、帰り際に提灯の蝋燭に火を灯す。
火は、ご先祖様の魂なのだと教わった。
火を消さないように、静かに歩く。
帰る途中で火が消えてしまうと、父の大きな提灯から火をもらい、さらに慎重にゆっくりと歩いて自宅に戻る。
提灯の蝋燭から、仏壇の蝋燭へ火を移し、やっと安堵する。
今年もお迎えができてよかったね、と祖母は優しく微笑む。

お盆が終わると、全くその反対のことをして、ご先祖様の魂をお墓に返しに行く。
こんな風習を経験した事があるのは、私の周りにはあまりいなかった。
祖母も父も、とても信仰深い人だったのだろう。
とはいえ、宗派云々ではなく、家、柱、雨、風、雷、木、森、川、そしてお手洗い、全ての場所や自然の中に神様がいると教えてくれた。『トイレの神様』という歌を聞いた時、自分の祖母の事かと思ったほど、祖母も全く同じことを話していた。

祖母は、雷が苦手だった。
そんな祖母に育てられたせいか、私は今でも少し雷が怖い。
嵐がやってくると、今日は雷の神様が怒っているね、と祖母は言い、雷を恐れて小さくなっていた。
それでも『大丈夫だよ』と、もっと怖がる私を抱きしめてくれた。

祖母の手は私より体温が低く、ほんの少しひんやりする。
皺やシミの多い、祖母の手の甲。
美味しい料理を作り出し、畑の野菜の世話をし、私の洋服まで縫ってくれる、魔法の手。
私は今でも正確に、その手の甲にあるシミと、ほくろを思い出せる。

私が7歳になる前、祖母は私を呉服屋さんに連れて行った。
七五三の着物を選ぶためだ。

さぁ、どれでも好きな物を選びなさい

祖母は私にそう言ってくれた。
私は祖母と一緒に、何度もその呉服屋さんに行ったことがあったが、自分用は初めてだった。三歳、五歳の時は、赤い三つ身と被布を着たけれど、それは既に選ばれた物を当日着せられただけだ。

私は、自分の着物を持てること、そしてそれを自分で選べる事が嬉しかった。
祖母の箪笥に眠るたくさんの着物を、私はよく見せてもらっていて、祖母の綺麗な着物に憧れていた。
祖母の箪笥を開けた時の匂いが、とても懐かしい。

私はその日、たくさんの時間をかけて着物を選んだ。
祖母は、そんな私に付き合って、私を急かすこともせず、ずっと傍にいてくれた。

私が選んだのは、子供が好みそうな赤やピンクではなく、青い着物だった。
祖母もお店の人も私の選択に驚いたが、いい着物を選べたね、と褒めてくれた。
着物を簡単に着付けてもらってから、祖母は私の手を取り、髪飾りのコーナーに連れて行った。

祖母はそこで藤の花の髪飾りを手に取り、その着物にはこれが似合うね、と私の髪にその飾りをそっと添えた。 
大きな鏡に映る、初めての着物姿の自分。
その髪飾りはとても可愛くて、私はすぐに気に入った。

七五三のお祝い当日、私は着付けとお化粧、髪結をしてもらった後、後ろで見守っていた祖母を振り返り、一つお願いをした。
最後の仕上げに、髪飾りを挿して欲しいと。

七五三の写真は、今でも大切に持っている。
写真館で撮ったものは手元にないが、自宅で撮ったものだけは手元にある。
薄っすらと白粉を塗られ、赤い口紅をした子供の頃の私。
お気に入りの着物を着て、可愛い髪飾りを挿し、満足そうだ。

写真は、父が撮ってくれた。
着物を着た私を見て少し驚いた後、何枚もシャッターを切っていた。

当日は、たくさんの人がお祝いに来てくれた。
着物が窮屈になって我慢できなくなるまで、ずっと着ていた。
その後、赤いドレスを着せてもらったら、Ditoちゃんはお色直しをして、小さな花嫁さんみたいだね、と皆んなが言うので、恥ずかしくて祖母の後ろに隠れた。

今でも、春先に藤の花を見る度に、祖母のほんの少しひんやりした手を思い出す。

ドイツ語で、藤の花をBlauregen 青い雨と呼ぶ。
その言葉を聞くと、本当に雨が降っているように見えるから、不思議なものだ。 

ドイツでも時々、藤の花を見ることができる。
雨の冷たさと、祖母の手のひんやりした感じが、私の中でぴったりと一致して、藤の花が祖母に見えてくる。
祖母に遭えたような、嬉しい気持ちになる。

これは、ドイツで出会った藤だ。
とても美しかった。

諸聖人の日は、私にとって聖人を祀る日ではなく、お盆のドイツ版だと考えている。
小さな蝋燭に火を灯し、家族の一人一人を思い出す。
だから私は今日、七五三のお祝を思い出したのだろう。
七五三の記憶は、家族の記憶。

青い七五三の着物
藤の花の髪飾り
青い雨

雨は私に、祖母を連想させる。

そっと蝋燭に火を灯し、バルコニーへ置く。
これが、道しるべになるように。
私をすぐに見つけられるように。
日本のお盆とは季節が重なっていないから、天国からドイツまで遊びに来てくれるだろう。

先週は、弱い雨が降り続いた。
青い雨。

待ちきれない祖母が、私を探しにきたのかもしれない。
今日は、雨は降っても降らなくても、雷が鳴らなければそれで良い。

天国では、雷は鳴らないだろう。
久しぶりの雷では、祖母はさぞかしびっくりしてしまうだろうから。

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