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ヴェッツラー①ゲーテ『若きウェルテルの悩み』が生まれた街

私はその時、コブレンツからフランクフルト方面へ向かう電車に揺られていた。
電車は川沿いを走り、カヌーやボート遊びを楽しむ人たちが大勢目に入ってくる。

なんと美しい場所なのだろう!

私はすぐにGoogleマップを開き、自分が今どこにいるのかを知りたくなった。
Googleマップは、Wetzlarという街付近を示していた。
名前は知っていたが、こんなに美しい場所とは知らなかった。
いつか訪れたいと思って調べたところ、ある二つの物が世界的に有名な街である事を知った。
それが、ゲーテとライカだ。

ドイツにはロマンチック街道、木組の家街道、古城街道、そしてゲーテ街道と呼ばれる街道もあり、ヴェッツラーはその街の一つ。
ゲーテの生まれた街フランクフルトから、ライプツィヒまでがこう呼ばれているようだ。

ゲーテはこの街に、1772年5月から9月まで滞在している。
ライプツィヒとストラスブールで法学を学んだ彼は、この街にある帝国最高法院で見習いをする事が目的だったそうだ。
だが、見習いの仕事よりも、恋を学んでしまった。
残念な事に、その相手には婚約者がおり、敢え無く失恋。
しかし、その失恋の体験は彼に『若きウェルテルの悩み』を書かせた。

さて、市内観光ツアーは、大聖堂からスタート。
この大聖堂は、私が今まで訪れたどの教会とも異なっていた。
それは、プロテスタントとカトリック双方の教会という位置付けなのだ。

後から気になって調べたところ、ドイツ国内にはこのような同時性教会が68あるそうで、特にバイエルン州に多く存在するようだ。
ドイツ全体の教会数は約4万4千なので、かなりの少数である事は間違いない。

Statista 2023参考


ついでに、日本の神社仏閣数は約15万だそうだ。さすが、八百万の神の国だ。
(比較対象として、日本のコンビニ数が約5万)

まずは、外観の説明から。

元々、この場所にはロマネスク様式のマリエン修道院が建っており、その修道院を覆うようにゴシック建築の教会を建てる予定だった。
しかし、財政難に陥り、最後まで建てる事ができなかった。
つまり、この建物は、今現在も未完成だ。
様式が異なっているのが良く分かる。

よく見ると、台座だけしか造られておらず、像は一つも飾られていない。

外観の一部は、ツアーでしか見られない所がある。
それは、ロマネスク様式が残っている場所だ。

そこにはライカの創業者Leitz氏の二男、Ernst Leitz IIを称える一枚の石碑が掲げられていた。
善き人、と大きく書かれたこの石碑。
彼は身の危険を犯してまで、1933年から1945年の間に、86名のユダヤ人をライカのニューヨーク支店へ逃した。
また、彼の娘のエルシーも、同じくその手助けをし、ゲシュタポに捕まり監禁された。
後に、彼らが救ったユダヤ人達が、彼らの功績を世に知らせることになったそうだ。

教会入り口には、プロテスタントとカトリック双方の案内が置かれている。
かつては、教会内部は仕切りがあり、分けられていた(ツアーでは、その様子を当時の絵で説明して下さった)そうだが、空爆の被害でカトリックの祭壇部分が破壊されてからは、その区別が取り払われたそうだ。

教会内には、複数のフレスコ画が残る。

教会の後は、ゲーテの恋のお相手ロッテ(シャルロッテ・ブフ)の住んでいた家へ。
因みに、日本の菓子メーカー、ロッテの社名は、彼女の名前から取られている。

現在は博物館となっており、内部の写真は、ツアーとは別に、後から個人的に訪れた時のもの。
ここでも、博物館の係員のかたが一つ一つ展示物を説明して下さった。
展示物を見ていると、本の中のシーンがはっきりと思い出され、鳥肌が立ってしまう。
展示物の全ては書ききれないため、抜粋を。

入り口右手はキッチン。
展示物のほとんどは、元々この家で使われていたものだそうだ。

二階部分は、寝室やリビング。

この下着は、ロッテが実際に着ていたものだそうだ。
そのまま残されているとは驚きだ。

ピアノが上手だったロッテ。
彼女はここで演奏し、ゲーテは傍で聴いていたのだろうか。
近年修復が終わったばかりのこの部屋は、当時により近い形で、再現されているそうだ。

こちらのドレスは、ウェルテルとロッテとの出会い、舞踏会のドレスを再現したもの。
ピンクのリボンは、ウェルテルが後にプレゼントされ、ずっと大切に持っていたというエピソードを思い出させる。

各国語に翻訳された本のうち、日本語も発見。

そしてこちらが、初版。
1774年なので、来年が250周年となる。
彼の代表作とも、出世作とも言われるこの本は爆発的な人気で、この本を読んだ自殺者が激増したという社会現象まで生んだそうだ。
その名も、ウェルテル現象。
ドイツ国内のみならず、各国でこの本の発行や販売を禁止する動きが出るほど、この本の影響力は大きかったようだ。

ロッテハウスの中庭は、心地良い空間だった。ゲーテとロッテは、ここで語らう事もあっただろう。

そしてお次は、ゲーテが下宿していた建物。
こちらは、小さな広場コルンマルクトの一角にあり、木組の建物が並ぶ美しい場所だ。
今は、ステーキハウスとして営業をしている。

彼がここに住んだというプレート。

持参した本と一緒に。

建物内部を見たかったので、こちらでステーキをいただく事にした。
柱などは、当時のものを残しているのだろう。

こちらは、帝国最高法院の博物館。

帝国最高法院は、以前は大聖堂近くに位置しており、ゲーテはこの双頭の鷲のマークが入った赤い建物内で働いていた。
建物は、後に市役所として利用されたそうだ。

若きウェルテルの悩みは、ゲーテの友達の拳銃自殺と、ゲーテ自身の失恋体験が生み出した物語だ。
その友達こそ、カール・ヴィルヘルム・イェルザレム。
彼が拳銃自殺をしたという建物は、今も博物館として残されている。

3階部分が展示室になっており、イェルザレムの肖像画、衣装、タンス、机などが残されている。
え?まさかこの部屋で自殺を?と思うとゾッとしてしまうが、展示物は非常に綺麗に残されている。

こちらもオーディオガイドはなく、全てを口頭で説明してくださる。
彼は、失恋だけで自殺に至った訳ではなく、仕事や人間関係で多くの問題を抱えていた。
人妻を愛し、相手にしてもらえなかった事は、自殺へと走らせた最後の引き金に過ぎないという。

ガイドのかたが、一冊の面白い本を見せて下さった。
それは、イェルザレムが残したメモや手紙と、ゲーテの書いた文章を比較したものだ。
パッと見た感じだけでも、ほぼ半分はイェルザレムの手紙と違わない。

ゲーテの足跡を辿る街歩きも楽しいが、他にも美しい場所がある。
古い石橋と大聖堂。

こちらは、墓地とローズガーデン。
この庭の一角には、街を守っていた古い壁が残されている。
イェルザレムは自殺をしたので、通常の墓地に埋葬される事はなく、墓の場所も長い間不明だったそうだ。
今は、このローズガーデンに埋葬されていた事が判明したという。

そして、この街でもう一つの有名なものが、ライカ。
高級カメラブランドとして名高い。
ライカについては、別の記事として纏めたい。

若きウェルテルの悩み。
初版発行、1774年9月29日。
来年2024年は、初版発行から250周年。
ゲーテがこの街に滞在した1772年から250周年の2022年も、盛大にお祝いされたそうだ。

来年もまた、色々なイベントを企画しているのよと、ロッテハウスのガイドのかたは嬉しそうにお話して下さった。

街の高台に聳える未完成の大聖堂。
美しく清らかな川の流れ。
カヌーを楽しむ人々。
中世の街並みを残す木組の家。
私を迎えてくれた、目に痛いほどの青空。

ゲーテは、この街で恋をした。
そして私は、この街に恋をした。

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