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探り合い

相手の心中を、完璧に正確に、読むことなど容易ではない。
どんな形に見えて、何を感じて、どのような角度から考えるかなんて、本人しか、わかり得ないから。

「相手の考えることが、手に取るようにわかる。」
と言う人がいるが、果たしてそれは、その相手の本心の核心をついているのか?
自分が考えるに、そんなのは無理だと思う。
それができたら、この世界に争いは起きないはずなのだ。

だからと言って、何でもかんでも、思ったことを相手に対して殴りつけていいわけではない。
喜怒哀楽を容赦なく言葉にして、相手へと投げかければ、必ず感情が生まれる。
その感情が、全て良い方向へ進むとは限らないし、下手したら悪い側ばかりが表面に浮き出てしまう。
自分は人と関わるのが、少々苦手だ。
だからこそ、人の目を、取り巻かれている環境を、注意深く観察し、息を潜めては、身体中に透明な膜を貼り付けてきた。
目の前にいる人間は、一体何を考えて、次にどのような行動に出るのだろうか?
視線、表情、体勢、態度、声音、話し方、物の扱い方、言葉の発し方、言葉への返答の仕方。
他にも数え切れないくらい、対人する際は、なるべく相手の正面で、その相手の頭の先から、足の指先までに、全神経を集中させた。
発信されているであろう、無数の情報を取り溢さぬように。

相手のことを、手に取るようにわかりたいわけではない。
ただ相手に、不快感を与えたくないだけ。
共感とか寄り添うとか、励ますとか応援するとか、そんな難しいことはできない。
せめて、相手が話した後に、すっきり爽快感に満たされていればいいなって。
だからこそ、会話や対話の中で、相手の全てを探ろうとする。
心の中を読み取るのではなく、バラバラに散らばっている無数の情報を拾い集めては、まずは仮説という足場を組み立てる。
そうして、相手の心が揺らいでいる隙間を見つけて、どのような情が湧いているのか、探る。
探り、推測し、頭の中で候補に上がった言語を並べては選択し、ようやく口から言葉としての音をこぼす。

まぁ。
自分も人間である以上、全ての対人に対してこれが発動できはしない。
明からさまに嫌悪感を抱かれれば、踏み込むことを控えるし、自分自身の疲労が蓄積された場合は、正面に立つことさえ自ら拒むこともある。
それでも、なるべく相手と対等に渡り合えたらと、常に考えることが止められない。
生きていく上で、人対人が避けられないのなら、相手の本心に少しでも近づきたいと願う。
自分に話をしてくれる。
その中で、できる限り不快を感じぬよう探らせていただいて、言葉をポッと綿毛のように飛ばす。
すると、その相手の心の片隅に、小さくても光を灯すことができるかもしれない。

『探り合い』妙な響きかもしれないが、自分が人と関わりを築く上で、大事なことだなって感じるのです。

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