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東洋と西洋

「お父さん、癌だって」
突然の母からの電話。
開口一番、その言葉を告げた母の表情はわからなかった。
ただ、襲い来る荒波に呑まれぬよう、必死に押し殺していることは感じ取れた。

看護師になって、早数年が過ぎた初夏の日。
半袖のTシャツに身を包んで、ソファの上でゴロゴロと過ごす何気ない休日の昼下がり。
たまに起き上がっては、やっと出した扇風機に向かって、声音を変えながらお決まりの遊びを繰り返していた。
あの電話から、半日が経過していた。
詳細については、父が仕事から帰宅後、電話で話すことになったので、ぼんやりと何をするでもなく転がっていた。

『癌』

最近の自分にとっては、『悪性腫瘍』の方が聞き慣れている。
母から聞いた瞬間、驚く?信じられない?そんな感情が、自分に現れたのかは定かではない。
いや。
そんなことよりも、やはり遺伝説への納得の方が先だったかも知れない。
父の父。
つまり、自分の祖父も癌で亡くなったと聞かされていた。
看護学校で学んでいた時、そして医療現場での経験の中で、疾患への遺伝性は大きくも小さくも関わっていることを、様々な場面で見たり聞いたりしてきた。
だから、詳細を聞くよりも先に、今後どうするかを早速考え始めた。
ある程度方向性を考えておけば、父も母も落ち着いて病気と向き合っていける気がしたから。
患者家族でありながらも、ここは看護師としての情報を提供して、関わろうと先走ったのだ。

夜ご飯を終えた頃、着信が入った。
画面には「父」と、映っている。
3コール後、スマホを耳に当てた。

桜月「はい。」
父「おう。びっくりしたか?」
桜月「まぁ。検査結果はどんな感じだったの?」
父「胃に腫瘍があるって言われて、医療センターに行ったんだ。結果は、胃癌だった。これから詳しい検査をして、どうするか決めるらしいぞ。大丈夫だ。また連絡する。」

父の淡々と話す声は、どこか拍子抜けしてしまった。
果たして、この状況を受け入れられているのだろうか?と疑問に感じたが、離れて暮らしているため、後は検査結果と医療センターの先生たちの判断を待つしかないと思った。

数日後。
手術になることを告げられた。
やはり、状況的には良いとは言えなかった。
家族で頑張ろう!なんてことは、上手く言えなかったが、自分なりに手術について改めて資料を見返し、父と母に説明をした。
手術日に休みを合わせて、帰省の予定も立てた。
「大丈夫」と、父と母、そして自分にも暗示のように言い聞かせながら。

そうして、さらに数日後のことだった。
仕事を終えて、スマホを開くと父からのLINEが入っていた。
『来週、そっちに行きます。』
何事だろうか?
すぐに折り返し電話を鳴らした。
5コール後、電話に出た父。
そして次に自分の耳に流れ込んできたのは、

「手術はしない」

という声だった。
この数日の間に何があったのだろうか?
頭の中は、パニックを起こして思考停止寸前。
そんな自分を置いて、父は続けた。

父「東洋医学をやってみようと思う。それで治った人がいるらしい。西洋医学を否定しているわけじゃないけど。手術をしなくていいなら、東洋医学を試してみたい。」

え?
今、何と?

桜月「ちょっと待って。もう決めちゃったの?手術しないって、、、やったら腫瘍は切除できるんだよ?」

怒っているわけではない。
とにかく、自分が経験したこと、知識、現在持ち合わせている情報を提供しなければと必死だった。
西洋医学と向き合い学んできた自分にとって
「何故?手術をすれば治るのに!」
が付き纏い、どうにかして手術をして欲しいという一心で言葉を並べ続けた。
自分なりの解答を力説後、静かに口を開いたのは、母であった。

母「桜月の言ってることはわかる。ごめんね。だけど、今は看護師じゃなく娘として話をして欲しい。」

電話越し、表情はわからない。
けれど、言われていることは苦しいほどに理解できてしまう自分がいた。
落ち着け。
看護師であり、患者家族。
患者家族であり。看護師なんだ。

桜月「ごめん。続けて。」
父「それで、来週、そっちにある東洋医学専門の病院を予約できたから、行くことにした。お前が忙しかったら、ホテルをとるが、、、」
桜月「大丈夫、予定はないから泊まっていいよ。」
父「ありがとう。また連絡する。」

電話を切った後、力が抜けてベッドに倒れ込んだ。
気づくと朝で、気づくと父が来る日が明日に迫っていた。
父の泊まりグッズを準備しながら、明日からの数日、とりあえず話しを聞かなければと、自分自身とも話し合いを重ねた。
翌日、仕事終了時間ちょうどぐらいに、「駅に着いた」と、連絡が入り迎えにいった。
ポツリポツリと話をしながら、家までの道を歩いた。

『東洋医学』
漢方や整体といった言葉が、聞き馴染みがあるだろうか?
やはり、そのようなことを一生懸命に話をしてくれる父。
確かに、自分も肌治療のために漢方薬を処方してもらったり、肩こりや足の浮腫みに対して整体に通ったりはしている。
しかし、現在の状況を考えると果たしてそれが正解なのか、わからなくなってしまっていた。
一通り話を聞いた後、明日からの2日間程、東洋医学の治療を受けるらしかったので、自分は自宅にてその帰りを待つ。
せっかく来てくれたので、1日だけであったが、気晴らしに観光にも行った。
そうして地元へと帰る日、色々なことを飲み込みきれず、空港で父を見送ったのだった。

父が帰って、2日後。
電話が鳴った。
画面には「母」の文字が映っている。

桜月「はい。」
母「お父さんのこと、ありがとね」
桜月「ううん。お母さんは?どんな感じ?」
母「実はね。お母さんが、言ったの。病院の帰りに、本屋さんに寄って、そこに東洋医学のことが書いてある雑誌があってね。やってみる?って」

驚いた。
母は、そう言ったことに興味関心が皆無であったし、本なんて読むような人でもなく、祖父母のことがあった時も、目の前で起きている出来事に向き合い、一所懸命に自分のできることを探し、やってきた人であったから。

桜月「そうだったの」
母「この間、あんなこと言ってごめんね。桜月が西洋医学と向き合ってることはわかってる。それを否定するような行動だったこともわかってる。だけど、先生の話を聞いているお父さんを見ていたら、、、
だってお父さん、食べること好きだし、手術すると胃なくなるかもしれないんでしょ?そしたら、今まで通り、ご飯食べられなくなると思ったら、何かしなきゃってなちゃったの。」
桜月「そっか。そうだよね。ごめんね。色々先走って話をして、とりあえず、再来週いったん帰るね。」

電話を切った。
自分が死に物狂いで身につけた知識と技術に、このような形で苦しめられるとは思わなかった。
医療現場に足を踏み込まなければ、ただの患者家族として、無知のまま『癌』の存在に向き合えていたかもしれない。
後悔はしてない。
けれど、通常よりも長期に渡っての反省会に溺れた。
この数年間。
病気や手術に対しての患者の思いを傾聴し、身体的にも精神的にも寄り添うどころか、自分の看護に対する価値観を押し付けていただけではないのだろうか?
祖父母の病気や死に向き合うのではなく、ただただ仕方のないことだと、受け流してしまっていたんじゃないか?
仕事をこなしながらも、頭の片隅には父の顔と母の話す声が蘇る。
再来週には帰省する。
手術を一時中断したことによって、手術日だったその日は受診日になっていた。
とりあえず一緒に医療センターへ行こう。
その日までに、自分の考えもまとめておこう。
休憩室で一人、遅めの昼食をとり、ボーッとそんなことを頭の中で整理していた。

外科医「おっ。桜月ちゃん、今休憩か?」
桜月「先生。お疲れ様です。これから執刀ですか?」
外科医「そうそう。その前に俺も、エネルギー補給〜」
そう言って先生は、有名エネジードリンクの蓋を開け飲み始めた。
外科医「最近、調子はどうよ?」
桜月「まぁまぁですかね〜。実は、身内が手術しないって言い出して、どうしたもんかと思ってるところです(苦笑)」
外科医「え?そうなの?どこの手術予定?」
桜月「胃です」
外科医「まじ?ちょっと、画像とかないの?」
桜月「検査結果プリントしてもらったものなんで、画像荒いですけどいいですか?(あ。そうだ。そういえば先生、胃の専門だったなぁ)」

本当に何気なくであった。
スマホ画面を差し出し、先生はしばらく眺めて呟いた。

外科医「これ全摘じゃなくて、LDG(腹腔鏡下幽門側胃切除術)で行けると思うよ。向こうの先生に全摘って言われたの?」
桜月「みたいですね。」
外科医「何で?手術しないって?」
桜月「先生に言うのも、あれなんですが、、、東洋医学を試してみたいらしくて。」
外科医「あぁ。そう言うこと、、、。」
しばらく先生は考えている様子だった。
そして、、、
外科医「申し訳ないけど、これは手術で摘出しないと、どうにもならないよ。とりあえず俺も、色々情報提供できるよう調べるね。」
桜月「ありがとうございます。」
外科医「いえいえ。桜月ちゃんがここで働いてるのも縁ってことよ。何かあったら、相談して。
あっ。それとこれは参考程度なんだけどさ、東洋医学を試す患者さん結構いるんだよ。だけど、今の時代はさ、まだ西洋医学の方が進んでる。今はね!
今後、東洋医学が先を越しちゃうことがあるかもしれないけど、現代は俺たち外科医が活躍することで命が助かると俺は信じてる。もちろん看護師さんたちの助けもあってね。だから、桜月ちゃんは看護師になった自分を責めるんじゃなく誇って欲しいな。医療はチームだからさ」
そう言って先生は颯爽と休憩室を後にした。
涙が出るかと思った。
さりげなく、そんな事を口にできるのは、多分、自分よりも多くの患者の苦しみを目の当たりにしてきたからだろう。
東洋VS西洋ではない。
どちらも病気に向き合うことに変わりはないのだ。

その夜、駄目もとで電話をした。
胃は全てなくなるわけではないこと、現時点では西洋の方が少しだけ先進していること、自分はやはり看護師という道を選んだ以上、娘として医療職者としての視点は捨てられないことを話した。
「自分に兄弟、姉妹はいない。家族3人しかいない。一人でも欠けたら駄目だと思ってる。手術をして生きてほしいけど、お父さんが選んだのなら、その選択を受け入れる。」
そう伝えた。

2週間があっという間に過ぎて、実家へ帰省した。
受診前夜、家族3人で食卓を囲んだ。
母のご飯はやはり美味しい。

父「桜月。」

父が箸を置いたので、自分も母も父に向き合う。

父「手術を受けようと思う。」
桜月・母「「え!?」」

母も同時に驚いていた。

父「「家族3人しかいない。生きてほしい。」には勝てない。」

そう言って、父は笑って、また母の作ったご飯を食べ進めた。
自分も母も驚き笑顔で、また箸を握ったのだった。

翌日の受診日。
家族3人で、医療センターを訪れて、担当の先生に
「お騒がせして、すいません。」
と言いながら、手術の話を進めてもらった。

自分は西洋医学を勉強して、信じている。
だけど、世の中には、そうじゃない人も大勢いるんだと初めて知った。
現代医療をメディアが取り上げて、ドラマになったり、ドキュメンタリー放送をしたり、医療現場の素晴らしさ過酷さを、少なからず様々な人々に知ってもらえる機会は多くなった。
けれども、自分もこの業界に足を踏み込むまでは、どこか他人事で遠い世界の話であり、それはまだまだ変えることができない現実問題であるのだ。
自分が医療現場にいなければ、外科医に直接相談やアドバイスをもらうことはできなかったし、患者家族とならなければ、痛み苦しみを味わうこともできなかった。
自分は家族のおかげで、一生気づくことはなかった世界を、存分に経験することができたのだ。

東洋と西洋。
確かに、現在は西洋の方が主流であり、先を進んでいるかもしれない。
でも数年後、どのようになっているかは誰にもわからない。
どちらの医学を信じる、信じないと言う問題ではなく、どちらの医学方法も取り入れて、今後の医療業界を学んでいくことが大切なのかなって感じた。

ーWeblio辞書,goo辞書引用よりー

【東洋医学】→「病気を持つ人」が治療対象。
1 東洋諸地域でおこり発展した医学の総称。
2 中国から伝来し、日本で発展した漢方医学。

疾患の予防、診断、治療のために数千年にわたり行われてきた医学の系統。気(身体の生命エネルギー)が20個の経絡(通路)に沿って全身を流れ、人の霊的、情動的、精神的、身体的な健康のバランスを維持しているとの信念に基づく。東洋医学が目指すのは、体内の相対する自然の力である陰と陽の平衡および調和であり、その乱れは気を遮断して病気の原因となる。東洋医学には、鍼治療、食事療法、生薬、瞑想、体操、マッサージなどがある。「traditional chinese medicine(伝統中国医学)」、「tcm」とも呼ばれる。

【西洋医学】→「病気そのもの」が治療のターゲット。
欧米で発達した医学の総称。科学的・実験的な方法を取り、現代医学の主流を占めている。
患者の状態を科学的、局所的及び理論的に分析し、症状の原因となっている病巣や病因を排除する治療を行う医学。身体診察や問診はもちろん、血液検査などの客観的なデータも駆使して診断を行う。









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