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OSAKA 橋と物語 跳ねる指 4/6 at 筑前橋

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季節が一つ進む頃、かずしは再び営業先に向かうために筑前橋を歩いていた。彼女は紹介した病院で治療を受けたのだろうか。今もピアノを続けているのだろうか。また橋の向こうから白い日傘がやって来ないだろうかと、どこかで期待しながら橋を渡っていると、あの金属の骨組みが秋の夕日を背景にかずしを見下ろしていた。無機質なのに夕日のおかげか有機物に見え、かずしは感傷的な自分がむず痒かった。

営業先から戻り橋を渡る頃、日はすっかり暮れていた。秋風が気持ちよくかずしの頬を打ち、このまま早々に橋を渡るのが惜しり、たっぷりと時間をかけ橋を渡った。直帰を許されたので夕食を済まそうと、筑前橋の南にあるいくつかの飲食店を物色した。焼き鳥、イタリアン、居酒屋と夜は酒ありきの店ばかりだった。17時過ぎだが、すでにサラリーマンが街灯に釣られる虫のようにゆらゆらと店に入っていく。かずきは酒を飲むと正体を無くすことがままあり、ひとりで飲むときは必ず馴染みの店で飲むことにしていた。泥酔しても馴染みの店から家まではオートモードが入り何事もなく帰宅できるからだ。この辺りは営業先で何度も訪れてはいるが、オートモードは働いてくれなさそうにないので、酒は断念し定食屋に入った。

定食屋といっても暖簾がある昔ながらの定食屋ではなく、ふんだんな野菜に麹を使った魚料理、具だくさんな味噌汁と玄米といった全栄養素を詰め込んだ定食を提供している。チェーン店とコンビニ飯を延々繰り返すかずしが普段入らない類の店だった。少し歩けば牛丼屋があると知っていたが、頬の内側の口内炎に舌で触れ、この日は野菜を多めに摂取することにした。

注文を通し料理が来るまでの間、同僚から電話があった。飲みの誘いだった。同僚の声のトーンから相談事だと察しがついた。せっかくの直帰で早く帰れるはずだったが、明日から三連休なので、相手になることにした。会社の定時は18時30分だが、同僚は総務で月末は忙しいので定時上がりは難しい。20時に会社近くの店で待ち合わせることにした。同僚に奢らせるつもりなので、夕飯を早めたことを後悔しかけたが、目前の野菜たっぷりの定食に箸をつけたとき、その旨さに後悔は消し飛んだ。

店を出たのは17時50分過ぎだった。かずしは会社近くへ戻り馴染みのコーヒーチェーン店で時間を潰すことにした。肥後橋の方へとだらだらと来た道を戻っていると、先程までなかった立て看板が設置されていた。「無料ピアノ・リサイタル 出入り自由 18:00~」とチョークで手書きで告知されている。ビルの出入り口のプレートを確認すると、2階に音楽バーが入居している。かずしは立て看板に目を戻した。曲目情報は一切ない。よく姉のピアノ演奏を聴いてはいたが、ピアノに造詣はないが、興味を惹かれた。人ひとりどうにか通れる階段が二階へと細く伸びていて、まだ照明が灯っておらず踏み込みにくい雰囲気だ。

「どうぞ、入って」

不意に後ろから声をかけられ、かずしは声を上げそうになった。くせ毛かパーマか判然としない、大型牧羊犬のような髪をした男が、ひょろりと細長い手の先にコンビニ袋を持ち、かずしの腕に軽く自分の腕をぶつけ横を通り抜けた。階段の手前で振り返ると、「袖触れ合うも多少の縁」と手招きした。サラリーマン生活ではお目にかからないタイプだ。人を喰ったような態度に高木を思い出し、防衛本能が働いた。「また、今度にします」という二度と来ない今度を差し出すと、「ああ、もったいない」と男は言い残し、蹴面の狭い階段をつま先だけで跳ねるように登っていった。かずしがほっとして再び駅へ向かおうとすると、「大丈夫でしたか?」と女性に呼び止められる。黒のパンツに白シャツの上に黒ベスト姿で、飲食店の従業員に多い格好をした小柄な女性だった。

「今の人に変なこと言われませんでした?」

かずしは「大丈夫です」と答えすぐに切り上げようとしたが、彼女は「よかったら、聴いていきませんか? 出入り自由なんで、演奏途中でも気兼ねなく出てもらって構いませんから」立て続けに誘われ、かずしは観念した。同僚との待ち合わせまでの時間つぶしにはよかった。


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