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"心配されるのが嫌"な気持ちと向き合ったら、母と素直に話せたガチコーチング6回目

おとといさっちゃんコーチとのガチコーチングが終わりました。寂しい。

めっちゃおもろいコーチで大好きです。

この記事の立て付け
THE COACH Academyのインテグレーションコース中に、ガチコーチングというプログラムがあります。
一緒に学ぶ同期同士でセッションを行い、フィードバックも行います。
コーチとしても、クライアントとしても、継続していく中で、変容に伴走することを体感する時間です!
THECOACHのインテグレーションコース気になっている方、わたしの旅路に興味を持ってくださる方に、ぜひとも読んでいただきたいです。
以前のガチコーチングの記録はこちら



タイムリーにざわざわしているテーマを扱った。
心配されることに過度に反応してしまう自分がいること。

家族にコーチングをしていることを打ち明けたとき、最初は宗教なのではないかと訝しがられた。

それがとても悔しく悲しく、でも家族にわかってもらいたいという気持ちもあり、隠してやり続けるということはわたしにはできなかった。

苛立ち悲しくなりながら、反発しながらも言葉を尽くして伝え、なんとなくわかってもらえたように思う。

家族は"もし宗教だったら"ということで強く心配の気持ちがあったようだ。

家族だからこそ、近いからこそ、その心配の表出がとげとげしくなることもあるのかなと思った。


そして今日この頃、仕事でお暇をいただいているわたしは、家族に心配される対象になっているだろうと思った。

そう強く思い込んでいた。


過去に心配された記憶、そして裏返すと自分自身も他人に対して過度に心配しすぎる傾向があること

その裏には相手に対する自分の不安を解消して安心したいという気持ちがあること、これらが関与していそうだとわかってきた。

そんなに心配しないでよ!こどもじゃないんだから!

という気持ちと

心配してくれる存在がいるのはありがてぇなぁ

という気持ちが同居している。

ざわつきはやっぱり自分の中にある感情が反応しているんだなと思った。


セッション中に気づいたものを持ち帰って、今日実家に戻った。


自分の心の動きを知ったからこそ、少し落ち着いて話をすることができた。


「すごく心配してくれているんじゃないかと思って、でもわたしは大丈夫だということを伝えたくて帰ってきた」と、素直に伝えてみた。

母は、「ニュースなどで色々なことがあったから最悪の事態だけは起きないでほしいと心配しているけど、そのほかはもう大人だからそんなに心配していないよ、大丈夫だと言いにきてくれたんだから大丈夫なんだろうと思ったよ」と話してくれた。

でも親はいつまでも子を心配する生き物なんだよ、とも。


親にとって、子はずっと子どもだろうけど、わたし自身も子どもの時のまま母のことを思っていたんだろうな。

いま大人になった自分として、母と話せた気がした、少しだけ。

素直に伝えることで、自分も安心できた。

きっとわたしはいつも安心したいだけなのだ。

それでもいい、素直に伝えて大丈夫なんだという経験を積み重ねていけている今を尊く思う。

そして家族と向き合おうと思えたのは、インテグレーションコースの同期たちがいてくれるから、向き合っている人たちの影響を受けているから。

ありがとう。

仲間と、そうやって少しずつでも自分と向き合っている自分のことが好きだ。



今日も読んでくださった方ありがとうございます。

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