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努力の向きを変える。たまにはゆるっと本気のお茶会なんてどうかしら

柚子緑茶美味であった。

お茶好きにはたまりません。
先日、ボスの送別会にて、コロナたんの動向を踏まえてのプチお茶会を開催
ひさしぶりに色々と考えてやってみました。なにせ、幹事ではございませんので、楽しいとこだけもらいます。とはいえ、ハマるととことんやらな気が済まんタチなので、頭の中で考えたアイディアを行動に起こすのに少し躊躇しましたが、中途半端にするのが一番つまらないな。と思いきりやってやりました。
盛り上がってめっちゃ自己満足

多少の計算違いはありましたが、これもまた次の機会の材料とさせて頂きましょう。無駄なものなんて何もない。学んだぜ、この人数で、この人たちで、どんな風にしたら盛り上がるのか。次回はそれにもっとプラスアルファで考える

案外、私は自分で先頭立ってやれる人なんですけど、気分が乗らない時、あるいは他に適材がおる時は、まったくのやる気のなさと共にただひたすらの受け身の参加者に徹します。
旅も人と行くと大抵が私より方向感覚に優れているので後ろをついていくばかりです。でも、周りが私より頼りない場合はものすごく考えて引っ張っていきます。状況によって自分の役割を変えていきます。

昔は理想(自分の言葉)と現実(自分の行動)に板挟みでした。
途中、疲れて開き直って口先だけの人間になってしまったこともありました。
それでも、自分を鼓舞して力を込めて、常に歯を噛み締め、呼吸浅く、手をグーにして、心も身体も緊張させて毎日を過ごしていました。
その頃の私にとって「頑張る」とは、そういうことでした。

理想に近づこうとすれば自分にも、周りにも無理を強いることになり
それが苦しくてもう耐えられなくなって
パーンと弾けた後

全てがどうでもよくなって

面白いことにその結果、身体に力が入らなくなりました。緩め緩めといろんなところから声がしました。深く息をして、頭で考えるのはやめなさい。強く握り締めてるものを放して、その手のひらをよく見てごらん

わたしの手相は、少し変わってて
ある人曰く、「大物線」らしいのですが
運命線が下から上に真っ直ぐに伸びています。

中指の下まで伸びる線に、ただまっすぐ自分らしくそのままで歩めばいい。と教わります。

自分の本音と向き合って、意識的に自分を甘やかすようになりました。周りになんと思われても自分の心に正直に生きることにしました。
それに対する批判、苦言ありましたけど
そのどれもが結局は自分の中にある自分の本音の投影なんだと思いました。
変わることを否定してるのは自分の弱さ
協調性のない振る舞いを責めているのは自分の怒り

それから
どこかの誰か、目の前の誰かに認めてもらうためではなく、自分自身に認めてもらうために努力しました。

努力の向きを変えました。

自分軸で生きるとは、我儘になることとは違います。自分を知ることであり、自分と他人の違いを理解することです。自分を押し付けることでも相手を批判することでもありません。自分はこうである。そう知るだけです。

私はまず他人視点になりがちな意識を変えることから始めました。相手の気持ちに寄りすぎてると気づいたら、自分に戻す。自分に戻す。
「わたしは、ここ」そう呟いて胸をトントンと叩くだけ
想像の中の相手の気持ちではなく、自分がどう思うかをまずは一番に考える

ただひたすらにその練習

幼い頃から身につけた長年の自分の考え方を変えていくのだから相当の練習量が必要だけど、それはやってみればとても新鮮で面白く
今となればあの頃の気持ちになることの方が難しいかもしれない。
逃げて逃げて逃げてきたけど
怠けて怠けて怠けてきたけど
めんどくさいを乗り越えて
ここにいる。今の方が格段に毎日が楽しい。

手間がかかっても楽しい。

「楽」=楽しい
なわけではない

パーンと弾けて、ゆるゆるした後
自分の言葉で話すことをやめていました。
単なる受け身の参加者を貫いていたのですが、最近は少しずつ声を出す場面が増えてきました。
声を上げて場を盛り上げることも本当は好きなんです。そこにいる全員のパワーが一つになってその空間が唸るのを見るのはとても好きです。
あれほど、ワクワクする時間はありません。

んふふ
忘れてた

プチお茶会、楽しかった

自分の持ってるものを思い出す、そんな楽しい宴
たまには本気を出すのもいい

わたしの伊勢物語2020(20)


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