にひ。

1月11日。4分の3ポッキーの日。こんばんは。

タイトルが雑すぎました。

私のアルバイト先で以前働いていたスタッフsさんのインスタグラムを見ながらおじさん正社員たちと談笑していた時の話。

私自身sさんとお会いしたことはないのですが、聞いていた話によると見た目の系統は私に似ていて、仕事に対してはとてもまじめでやる気ある系のバイトさんだったらしいです。(仕事にまじめなところも私と似てますよ)話に聞いていて勝手に親近感沸いていたのですが、みんなでsさんのインスタグラムを見ているとお友達とディズニーに行ったときのキラキラ写真やカラオケでぶち上げている動画などが投稿されていて、いわゆるワイワイ系(今時いうのか?)のかたのように映っていました。

そんな投稿を見ておじさん正社員たちは、「sちゃんてこんな感じじゃなかったよね?」「なんかはじけちゃったんじゃないの?」と昔おとなしかった姪が数年ぶりに会ってイケイケ系(今時いう?)になっていた時のちょっと寂しいような残念なような、冷ややかな感じで話してたんです。

・・・・・!

そこで思いました。どうして人は自分が見ていた(見えていた)ものがそのものの本来のあり方だと思ってしまうのでしょう?
sさんに関しては、ただバイト先で自分のそういった面を出していなかっただけでは?(見せなかった、あるいは出せなかった、ということでもありません)例えば私がそこでそのようなことを口にしていても、おじさんたちの考えは上の()内のような方向で進んだのではないのでしょうか。それともsさんのそういった面を見られなかった、引き出せなかったことに関して少しでも寂しさや罪悪感を感じて目をそらしているのでしょうか?

その瞬間のひっかかりが忘れられなくて、今でもことあるごとに思い出すんです。(ことあるごととは似たようなことが感じられた時です)

こういう小さなひっかりって、その時はなかなか言葉にするに至らないんですが、こうやって時間が経ってから急に発信したくなります。あれは確か1年ほど前の話だった気がする。

特に盛り上がりのない話になってしまいました。

ちなみに最近は悩みもなくとってもハッピーな毎日を送っています。

「今日の幸せ」とか言って高校のころ毎日ブログを更新していたことを思い出した。

今日の幸せ
schatziという言葉を覚えたこと
schatziと呼びたい相手がいると思ったこと

にひ。

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