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リストが作曲した「愛の夢」。そのすべてを知っていただろうか?
フランツ・リストが作曲したピアノ曲「愛の夢」は名曲である。
世の中に数多くあるピアノ曲のなかでも、抜群の知名度と人気を誇る。
CDのピアノ名曲集には必ずと言っていいほど入っているし、ピアノ演奏会での演奏頻度も高いことがそれを裏付ける。
「愛の夢」というタイトルを聞くだけで、冒頭のハープのアルペジオのような音をバックにして流れる甘いメロディが思い浮かぶはずだ。
「愛の夢」とだけ書いてしまったのだが、演奏会プログラムには「愛の夢 第3番」と表記される作品である。
●よく知られている名曲に対して、ふと浮かんだ疑問
A:「愛の夢 第3番はとてもいい曲だよね」
B:「そうだね、その通り!」
A:「それじゃあ、聞くけど・・・」
B:「なに?」
A:「愛の夢 第1番はどんな曲なの?」
B:「えっ?」
A:「愛の夢 第2番もいい曲なの?」
B:「・・・」
A:「第4番は? 何番まであるの?」
B:「・・・」
ふと、こんな問答が、わたしの中で行われた。
結構長い期間にわたってクラシック音楽を聴いてきたのだが、確かに、愛の夢は全部で何番まであって、第3番以外がどのような曲なのか、は全く知らない。
普段の生活におけるあたりまえのことでも「おやっ?」と不思議に感じることは、とても重要なことだと思っているはずなのだけれど。
昔から何か集め始めたらコンプリートしたくなる性格のわたしなので、リストの「愛の夢」すべて知ることもコンプリートしなくてはならない。
「愛の夢 第3番」以外の「愛の夢」・・・
少なくとも「愛の夢 第1番」と「愛の夢 第2番」は「存在する」と考えられる。
では第何番まであるのか?
多作なリストだが、まさかハイドンの交響曲の様に第100番まであるわけはないだろう。
それだけ「愛の夢」を表現できるネタを持っているのなら、さすが自身の演奏会で多くの女性を失神させたという「ピアノの魔術師」フランツ・リストならあり得るかもかもしれない。
そして、なぜ第3番「だけ」が、「名曲」として、こんなにもてはやされるのだろうか?
もしかしたら、第3番以外は、聞くに堪えない駄作なのか?
いや、フランツ・リストの駄作など、今の世の中に存在しないと思いたい。
●「愛の夢」は、全部で3曲存在している
「愛の夢」は、全部で3曲(第1番、第2番、第3番)が存在している。
また「3つの夜想曲(ノットゥルノ)」という副題もついている。
これは第3番の曲調からもわかるが、情熱的な音楽ではあっても、どことなく穏やかさもあるので、「愛の夢」は、愛を想うに相応しい夜に聴くのが似合いそうだ。
そして「愛の夢」はすべて、最初からピアノ曲として作られたのではなく、リストがすでに歌曲として作曲していたものを、同時期にピアノのために編曲したものである。
●「愛の夢 第1番」を聴いてみる
静かにゆったり開始されるが、甘美さを醸し出すメロディだ。
そして感情が徐々に高まっていく展開は第3番にも通じるものがある。
そして主題のメロディが再び繰り返されるが、ここでは最初用よりさらにピアノの装飾の音が多くなり、華やかさが増していく。
後半の音が崩れていくような下降音型を含めて「ピアノの魔術師」リストの特徴が発揮されている。
高まった感情は最後は惜しむように静かになるのも第3番とも通じる流れだ。
とてもロマンティックでいい曲ではないか。
●「愛の夢 第2番」を聴いてみる
何か、もの思いに耽りながらピアノを演奏しているイメージが浮かぶ。
それはもちろん愛についてだろう。
なんとなく不安定で落ち着かない様子がちょっと変わって気持ち悪いのだが。
そのまま静かに終わるのかと思いきや、押さえていた感情が一気に爆発するような、ピアノの音色の煌めきが放たれるところがいい。
3曲を通して聴くのであれば、第1番と第3番との性格の違いが、アクセントとしての効果が出ている。
●原曲の歌曲の詩を読み、音楽も聴いてみる
「愛の夢」の原曲は歌曲である。
歌曲では歌詞が歌われるので、その音楽は詩の内容が色濃く反映されていることは間違いない。
どのような詩なのか?
〇「第1番」の原曲「気高き愛」(Hohe Liebe)
愛の腕の中で、あなたは酔いしれるように安らぐ。
人生の果実があなたを誘う
ただひとつの眼差しが私に注がれた。
しかし、私はあなたたちの誰よりも豊かだ。
地上での幸福は惜しいが
わたしは殉教者として、あなたを見つめる。
わたしの頭上、黄金に輝く彼方に天国は開かれたのだから。
甘美さを醸し出すメロディはこの詩の前半における愛を表現していることが判る。
しかし後半は「殉教者」「天国」という「死」を思い起こさせる言葉がある。
これは人間と人間とにおける愛、なのだろうか?
ひょっとしてこの愛は「神に対する愛」、ではないだろうか?
〇「第2番」の原曲「わたしは死んでしまいたい(聖なる死)」(Gestorben war ich)
私は死んでしまいたい
愛の喜びを込めて。
私は埋葬されたい
彼女の腕の中で。
私は目を覚ましたい
彼女のキスによって。
私は天国が見たい
彼女の目の中に。
3曲の中でも短い節で構成されているが、情熱的な愛の感情が凝縮されている。
もの思いに耽りながらピアノを演奏しているイメージと記したが、この詩のように、短く、ポツリポツリと、思いを巡らせている雰囲気。
ある意味遠くからの目線で、高い望み憧れを伴った愛を感じさせるものだ。
そして、ピアノ版よりも、ちょっとあっけなく、短く終わってしまう。
第1番、第2番ともに、ピアノ版には歌曲版にない繰り返しがあり、それによりピアノの表現が多彩で幅広いものになっていた。
●なぜ第3番だけがもてはやされるのか?
第1番も第2番も、ピアノ作品として素晴らしいもので、リストのピアニズムを楽しめるものである。
でも、やはり、第3番が決定的に違っているのは
・甘く恍惚させるような美しい旋律
・ドラマチックに盛り上がる曲の構成
・弱さと力強さの対比バランス
・ふと感じるメランコリー
など
これらの要素が綿密に織り込まれていて、「愛の夢 第1番」「愛の夢 第2番」だけでなく、ピアノ作品の中でも群を抜いた作品になっている、ということだろう。
●歌をピアノだけで、どのように表現させるのか
ピアノの名曲として誰もが知っているリストの「愛の夢 第3番」。
「愛の夢 第1番はどんな曲なの?」
「愛の夢 第2番もいい曲なの?」
という疑問から、「愛の夢」すべてをこの機会に知ることができたのは本当に良かった。
そして「愛の夢 第1番」も「愛の夢 第2番」も、知られてはいないが、なかなかいい曲であること。
でもやっぱり、第3番は格別な作品で、これだけが単独で演奏されたりCDの選曲で選ばれている理由がわかった気がする。
リストは自身の歌曲もそうだが、シューベルトの歌曲もたくさん、ピアノ用に編曲していて、「歌」を、歌詞なしで、ピアノだけでどのようにうまく表現させるのか、ということにこだわっていたのだろう。
時には「愛の夢」は3曲で構成されている前提で、まとめて聴くこともおすすめしたい。
なかなか全曲を網羅したCDは少ないようだが、わたしがの手元にあるCDはこちらである。
まだわたしが知らない作品がこの世にいっぱいあるが、こういう発見の繰り返しで、ますますクラシック音楽の沼から抜けられなくなるのである。
次の新しい出会いが楽しみだ。
「愛の夢 第3番」については、こちらも参照いただければ、違う一面を知ることができると思う。
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