ハルのこと、何も知らない【ゴースト・ロックンロール#10】

その日から私たちは、練習の場をカズさんの家からライブハウス「レヴェル」に移した。
思いっきり大きな音で楽器を鳴らせることができて、ハルは毎日嬉しそうだった。しかしそれはハルだけではない。ヒロもカズさんも、心なしかどこか楽しそうだった。私自身、本物のドラムを叩く感触は、想像以上に気もちいいと感じていた。最初は拙かっただろう私たちの「宝の地図」の演奏も、時間も忘れて練習するうちどんどん一体感を増して良くなっていった。

(サキのドラムは本当に力強くていいな。女の子のドラマーでここまでできる人はなかなかいないよ。やっぱり剣道のおかげかな?)
「つまり、馬鹿力ってことだ」

ヒロがくすくす笑い、私はスティックで思いっきり彼の臑を叩く。ぶたれた痛みでもだえているヒロの膝の上には、赤いギターがあった。今までちっとも練習なんてしていなかったのに、最近ヒロはちょこちょことギターをいじりはじめている。何気に才能があったのか、すごい速さで上達していた。
エレキギターの本当の音を聞いて興味が湧いてきたのか……それとも、他に理由があるのだろうか?
私がそんなことをぼんやりと考えはじめた時、シゲさんがよたよたとこっちに寄ってきて言った。

「ところで、みなさん。そろそろ、本物のライブの雰囲気、味わってみませんか?」
「本物の、ライブ?」

私たちが繰り返すと、シゲさんは「はい」と嬉しそうにうなずいた。

「照明を暗くして、曲にあわせてライトをつけるのです。スモーク……煙もだせますよ。私は以前、そういう仕事をしていたので……みなさんの演奏を見ていると、なんだか体がうずうずしてしまって」

シゲさんはもじもじしながらそう言った。その言葉にすぐさま反応したのはハルだ。

(それはいいね!さっそくやろう!)

ハルに促され、私たちはいつも通り自分達の位置についた。すると、ハルが音をたしかめるように、腕を一振りしてジャーンとギターの音を鳴らす。最近気づいたが、ハルは皆で曲を合わせる前にかならず「この音」を鳴らしていた。
ハルに聞くと、これは複数の弦を同時に弾いて出す和音で、「コード」というらしい。

『(生きていた頃、ライブ前にはかならずこのコードを鳴らしていたのが、癖になってて。これは僕のお気に入りのコードなのさ)』

ハルは少しだけ照れくさそうに、そう語った。
言葉ではなんとなく表しにくい、独特の音……。
私はこれを、こっそり「ハルのコード」と呼んでいる。
いつものように「ハルのコード」を鳴らし終えたハルは、目で遠くにいるシゲさんに合図を送った。ステージの反対側、機材の前に座ったシゲさんが軽く手をあげて返事をする。その瞬間、ふわっとあたりが暗くなった。

(サキ、いつも通りによろしく)

私はその声にうなずき、いつも通りスティックでカウントをとった。そしてジャーン!と曲が入った瞬間、頭上の黄色いライトがパッとついて、私たちを照らし出した。曲のテンポにあわせて、チカチカと照明がうごく。その熱をあびて、いつもより汗がじんわりとでた。だが、まるで自分がアーティストのように照らされているようで、高揚感がます。
うずまくような轟音とリズム、そしてライトの光。ロックンロールのライブとは、こんなに…こんなに激しく、楽しいのか。曲のクライマックスになるにつれて、ドラムを叩く強さが激しくなる。楽器と自分が一体になった感覚…いや、このステージ全体が一体になった感覚がした。
曲がおわると、私たちはいつもより荒く息をしながら互いに顔を見合わせた。

「す、すげえ…」

ヒロがぽつんとつぶやく。ハルがヒロの体からするっと出てきた。

(どう、すごいでしょ?)

ハルは顔をきらきらさせながら叫ぶように私たちに言った。

(ああ、本当のライブなんて、こんなもんじゃないよ!もっとすごいんだ!お客さんの歓声やかけ声、突き上げられた拳に熱気…ああ、君たちに本物のライブを味わわせてあげたいな……!)

今までで一番興奮した様子で、ハルはそう言った。その顔が、瞳が、なんとも楽しそうで嬉しそうで、私とヒロとカズさんも、顔をあわせて笑ってしまった。

その後興奮しすぎてつかれたのか、ハルはヒロの中へ帰り眠ってしまった。今日の練習は終わりにしようと楽器を倉庫へ隠し、私たちはシゲさんに挨拶をして階段をのぼった。

「そういえばハルは…『幽霊船』は、いつもこんな風にここでライブをしていたのか?」

いつものように私たちをシャッターまで見送りにきてくれているシゲさんに、ヒロが問いかけた。

「ええ、そうです。ハルさんたちは本当に楽しそうに、いつもここでライブをしておりました。中学卒業とともにここで働いていた私には、特に夢も希望もなくって…そんなわたしにとって、ハルさんはあこがれでした」

毎日、「幽霊船」の「宝の地図」に元気づけられていたんです。シゲさんはそう言って優しく笑った。

「あの曲は、ハルさんが作ったんですよ。聞いてくれる人に……そして自分にむけて。おそれずに、いろいろなことに挑戦してほしいと……そんな希望をこめた歌なんです」

シゲさんはそう言って、私たちに手をふった。
夕闇にそまりつつある帰り道を、私たちは並んで歩いた。どっと疲れがでているが、不思議な高揚感ものこっている。
ハルの笑顔が、頭の中でよみがえった。本当に、心の底から楽しそうな笑顔だった。

「なんかさ」

ふいにぽつん、とヒロがつぶやいた。

「俺たち、ハルのこと何にも知らないよな」

そのヒロの表情が、いつもと違った。いつもの無気力そうな顔ではない、どこか、思い詰めたような。

「なにか、あったの?」
「…最近、夢をみるんだ。すっげー悲しい夢」

ヒロの瞳に夕日が映っている。その視線の先は、横断歩道だった。ハルと、はじめて出会ったあの横断歩道だ。

「起きると忘れてしまうんだけどさ。すごく悲しい夢みてたのだけは覚えてる。とりつかれてるからか、なんとなくわかるんだ。きっと、あれはあいつの記憶だ」

ハルは無茶ばかり言うけれど、いつも優しくおだやかだった。悲しい、という言葉が、彼とはうまく結びつかないほど。無邪気に笑って、再びギターを弾いて歌えるのが楽しいと、何度も何度も私たちに語っていた。
でも……その瞳はまっすぐで強い意志をもっているけれど……やはり、何を考えているかわからないような、遠い目をすることもある。

そうだ。私たちは、ハルのことを、まだ何も知らないんだ。


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