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【同乗者たち】 第6章 同情者たち 【29】

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時崎だった女は、俺を一つの青い箱の前に導いた。整列するコンピューターの中央辺りに当たる個体だということは分かる。しかし、他の箱と何の違いがあるのかは素人目には分からない。
女は、ゆっくりとその表面に手を滑らした。中央あたりで動きを止め、そして小さく指を曲げる。目視で確認できなかったくぼみに手をかけ、カチリという小気味いい音共に、小さな蓋が開くのが見えた。
端末を差し込む穴が、こじんまりとしたそこに収まっている。

「ペンの蓋を開けてください」

女の支持通りにキャップを捻る。現れたのはペン先ではなく、小さな端末だった。見たことのない形をしている。

「……これは?」
「自動執筆アプリです。あらゆる物語をディープラーニングした最新型です。少々私が手を加えてはいますが」
「……アプリ?」
「この中の機能の一つである『プロット整理モード』を改良しました。まず、全人類の記憶から『前世の存在』にまつわるすべての事柄を消去する。クロアナ、走馬灯局、監理官、隔離所、それらの概念が人々の脳内から消えたことによる不具合を、このアプリで修復するのです。すべての辻褄があうように」
「修復って……」
「具体的には、まずこの塔は『図書館』になるのが最適と判断されます。あらゆる人間の人生が記録されていますから、それを全消去するより、それらを混ぜ合わせて、物語や学術書に変換するほうが整合性も取れる。設備的にも、膨大なデータを保管する施設として不自然ではなく、立派な観光名所となります。また、前世隔離所は前時代の施設である刑務所に、監理センターは私用自動車の運転免許証更新センターに、前世リハビリセンターは……」

話の途中で俺は思わず笑ってしまった。隣にいるナオキは、不機嫌そうに言う。

「やっぱり俺よりかなり優秀だったんだな、この機械。全人類の意識を書き換えた不具合をなくすなんて」
「下手に意地張らず、使った方がよかったな」
「ま、俺は自力で書くよ。人間としての、最後の意地だ」

そう言って首を振る。
俺は一歩前に踏み出すと、ペンを箱の差し込み口に近づけた。しかし直前で手を止めて、女の顔を見やる。

「本当に、全人類に適用されるんだな」
「はい。多少のゆがみ発生しますが、大きな問題にはなりません」
「特定の人間の記憶を、残しておくことはできないのか?」
「お望みならば」
「じゃあ、俺は覚えておきたい」
「おすすめしません。この先、自責の念に苛まされ、悩むことが多いでしょう」
「全部背負いたいんだ。自分がやったこと」

そうつぶやいた俺の横から、明るい声が割り込んだ。

「じゃー俺もよろしく」
「ナオキ?」
「こんな貴重な経験、なかなかないだろ。覚えておいた方が、この先いい小説を書ける気がするし。ヨーイチだけずるいしな」
「私も忘れるなんてまっぴらだね。このためにずっと、ナナシとして戦ってきたんだから」

ナナシもナオキの横で声を上げた。時崎は小さく頷く。

「あなたたちがそう選択することも、予測済みでした。すでに、あなたたちの記憶を残すようにプログラム済みです」

その時、ずっと黙っていた井坂が口を開いた。

「……君は、すべての死者の記憶を持っていると言ったな」
「はい」
「じゃあ、暮日さんの記憶も、そこにあるってことか」
「はい。知りたいですか?」
「知る?」
「彼女が生きていたなら、今この時にどんな言葉をあなたに伝えるか、私にはシミュレートが可能です」

井坂はその言葉にじっと黙り込む。時崎の顔ではなく、じっと青い床を見つめている。過ぎ去った過去、二度と戻れない過去を見つめるように。
ふいに一歩、時崎が足を踏み出した。その足音に釣られるように、井坂が顔をあげる。

「わたしはね、マモくん」

時崎はまっすぐに井坂の顔をのぞき込んでいた。

「君の告白に答えをだすのを先延ばしにしていた……それを考えるよりも大切なことができちゃって、返事をすることが叶わなかったけれど」

さっぱりとした、懐かしい声色で、『彼女』は言う。

「あの時、君と平凡な生活するのも悪くないかなって。そう思ってたよ、本当にね」
「……暮日さん」

震える声で井坂が呟く。見開かれた瞳に映っているのは、きっと時崎の姿ではないのだろう。皺が寄ったその頬に、涙が伝って、青い床にすべり落ちた。
それを合図に現実に戻ったように、時崎は一歩下がる。

「これは彼女の脳コネクトームの移り変わりを踏まえて再生された、彼女が今このとき、極めて言う可能性の高い言葉です」

時崎の言葉に、井坂は小さくつぶやく。

「……きっとそのペン、ぼくの記憶も残す設定なんだろうね」
「ええ」
「忘れるにはもったいなさ過ぎる言葉だ」




俺は窓辺に寄って、住み慣れた町並みを見下ろしていた。たくさんの人間という単位が動き回り、町という大きなシステムを構築している。今生きている全人類が、自身の手で自らの歴史を書き換えているなど、ここから眺めているぶんには分からない。

「すべてを書き換えるには、3日ほどかかります」

ふいに横から声がする。時崎が俺の横に並んで、じっと町を見下ろしていた。

「今、前世にまつわるデジタルテキストはすべて別のものに書き換えられています。他でもない人間たちの手によって。この作業中の記憶も、彼らには残りません。都合の良い代替記憶が差し込まれます」
「……みんな、操られているってことだな、このアプリに」
「はい。前世にまつわるデジタルテキストはすべて書き換えられ、前世監理用に開発されたシステムもすべて別のものに変更されています。禁止されているデッドメディア、紙などに書かれたもの、公共施設の看板なども、すべて人々の記憶をたどって処分されているはず」

処分、という言葉が胸にひっかかった。記憶は、人間そのもの。その記憶を改竄する俺は、とどのつまり。

「……結局俺は、大量殺人犯だったな」

誰に言うでもなくつぶやいた。

「被害者だ、とは思わないのですね」
「自分で決断したことだから」
「そうですか」
「そういえば、随分と都合がいい」
「都合」
「デットメディアが禁止されたのは、走馬灯局が設立されて、魂という存在が人間たちに知れ渡った時だ。世界が無抵抗にデジタル移行したことによって、こうして記憶の書き換えもスムーズに行われている」
「魂が……そう誘導したと? 書き換えに手間のかかるアナログ要素を廃止するように」
「人に寄生し続けるための、奴らなりの知恵なのかって思ったんだ。君は……魂が何なのか、わかったんだろ?」
「なぜそう思うんですか?」
「君は、いわば人工的に作られた魂のような装置だ。魂は全人類の記憶を記録し続けているダークマター。そしてそれは、君も同じだ。現在進行形じゃなくて、過去の人々ってだけで」
「残念ながら、私にも魂が何なのか、ついに分かることはありませんでした」

女は、短く答えた。

「ただ私は、魂に対して畏怖を感じていました」
「畏怖」
「運命とか、真理とか、神とか、人間でいえば、そういう言葉にも言い換えられるでしょう。どうすることもできない。ただ、『奴ら』が好き勝手しているのを、下から見上げて眺めることしかできない。ほっといてほしい、自由にさせて欲しいと願っても無駄。私も、何か大いなるものに、あやつられているに過ぎません。あなたたちと同じように」

そう言う彼女は表情を変えない。しかしその言葉がまとう空気は、悲しげに揺れているように俺には聞こえる。

「きみの記憶も消えるのか」
「はい。わたしの記憶は一番最後に書き換わります。3日後の午後、突如として私は、あなたの知っている『時崎ミチル』になるでしょう。本物の、時崎ミチルに。それが、全人類の記憶書き換え終了の合図です」
「……今までの君は、時崎ミチルを演じていたってことか」
「はい。彼女の脳のつくりから導き出される彼女の性格、生きた家庭、友人関係、あらゆる事情の総合的なシミュレーションにによって導き出された彼女を『完璧に』演じていました。けれどそこに『時崎ミチル』としての意識はありません」

くるくると表情を変化させる、お節介な同僚。彼女にもまた、『時崎』としての意識はなかった。
それは、人形と一緒に過ごしていた事と同じ。しかし、虚しいとは思わない。

「彼女に意識が無かったとしても……俺は時崎の心を、俺の心で感じていたよ」

ガラスに映った虚構ではなく、時崎の顔を見つめながら、俺は言った。

「生きていようが、いまいが、他人の心なんて結局想像するしかないんだ。だから、君の存在が現実だろうが虚構だろうが、それはたいした問題じゃない。俺が感じた君への感情だけは、実在している……俺はそれを知っている。それだけで、十分だ」
「……あなたの来世のように?」

俺が答える前に女はしゃがみ込むと、床に手をかけた。コンピューターのくぼみをひらいた要領と同じく彼女は、床の一部をはがした。コツン、という軽い音色と共に、床の一部は蓋となり、正方形の穴がそこに現れる。
そこには、一台のブレインスキャナがおさまっていた。

「ここに隠しておいたんです。貴方へのお礼です」
「お礼?」
「ここには、私がシミュレーションした『未来』が保存されている。つまり、予言です」
「予言」
「あなたたち人間の行動は、すべて過去の人間の行動が関わっています。あなたたちが生きる環境を作るのは、過去に生きた人たちだから。そして逆も言えます。あなたたち、そして貴方の来世たちが起こす行動は、シュミレーションによってきわめて正確に導き出すことができる。もはや人の領分外のことも……大きなところではこれから起こる災害から、小さなところでは明日生まれる子供の性別とアレルギーまで。過去の人間各々が持っていた小さなデータをすべて集結させた、膨大なビッグデータによって、推測が可能です」

そう言うと、彼女はスキャナを持ち上げて構えた。時崎の目も、スキャナの目も、まっすぐ俺に向けられている。

「これは、あなたに必要な未来の記憶です」

そう言って、引き金をひいた。




* * *


「……ありがとう」

彼女がシュミレーションした未来を「理解」した俺が言うと、時崎はブレインスキャナをこちらに差し出した。

「今、あなたが見たデータは削除しておきました。そのまま、これを『使用』してください。これで頭を撃ち抜けば、今度はあなたの記憶がこの機材の中に入ります」
「助かるよ」
「ちなみにブレインスキャナは、三日後に人気アニメの限定品であるオモチャとして人々に認知されるようになります」
「……みたいだな」

小さく笑って、俺はスキャナを腰のホルスターに納める。そのとき、上着に手が当たって、ポケットからカサリという小さな音が聞こえてきた。手を突っ込むと、とても自分の趣味ではないファンシーな模様が目に飛び込んでくる。ショップのシールが貼られた紙袋。慣れない手つきでそれを開封すると、真っ白な花の髪飾りがでてきた。
そうだ。サキと出会わなかった俺は、上着のポケットにこれをずっと入れっぱなしにしていたのだった。
じっとそれを見つめていると、ふいに時崎が背を向けて、部屋の出口にむかって歩きだした。

「時崎」
「私も少し処理しないといけないことが残っているので。私が『時崎ミチル』になったとき、辻褄の合わなくなることは避けないと。次あなたに会う時、私はあなたがよく知る「時崎ミチル」でしょう」
「君のことも、」
「『忘れない』、でしょう?」

時崎は振り返ると、小さく笑った。

「知っています。観測ずみですから」

それはおそらく作られた笑みなのだろう。しかし俺にはどうしようもなく、彼女が寂しく笑ったように思えた。俺の胸は、少しだけ痛む。この痛みを、決して忘れたくないと思った。時崎ミチルを演じていた、『彼女』自身のことを。

「3日も塔から出られないなんてなぁ……暇だよな」

あくびを漏らしながらナオキが近づいてくる。記憶の書き換え中は、なるべく人との接触をさけろと釘を刺されている。2日目には、この前世記録室にも、アプリに操られた人たちがやってきて、この部屋の前世にまつわる証拠を取り払うらしい。

「カフェテリアにいけばいいんだっけ」
「ああ。あそこは書き換え不要……3日間、人が来ないらしい」
「ふーん……まあコーヒーが美味しいって、マモ君が言ってたし、ちょっと楽しみかも。早くいこうぜ」

新作でも考えるかなぁ、とぼやくナオキの背中に「なあ」と俺は問いかける。

「文章の書き方、教えてくれないか」
「……は?」
「いや、書き方っていうか……言葉の伝え方っていうか」
「え、なに。手紙でも書くつもり?」
「手紙……そうだな、うん」

俺は頷いた。ポケットの中にある紙袋をそっと握る。彼女の笑い声が、脳裏に蘇る。この耳で、一度も聞いたことがないはずの笑い声。それなのに泣きたくなるほど鮮やかに蘇ってくる。


必ず。
必ず会いに行くと約束した。

「会いたい人がいるんだ」

そして俺は、自身の頭に銃口をあてて、引き金を引く。



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