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【同乗者たち】第3章 嘘つきたち【13】

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『幻覚』と一緒に買い物に行くのは、言うまでもなく初めての経験だった。
生まれてこのかた一度も行ったことのないショッピングモールに足を踏み入れ、そのあまりの煌びやかさに思わず目が眩む。ネット通販が主流となった今でも、現実のショッピングは女性にとって最大の娯楽らしい。女の笑い声とフロアに充満する暴力的な香水の臭いに、ヨーイチは今にも倒れそうだった。
その一角にある人気ファッションブランドの店で、ヨーイチは孤独に襲われながら店員の質問に答えていた。

「身長はどれくらいでしょう?」
「……145くらい、だと思います。多分」
「体型は? 痩せてるとか、ちょっとふっくらしているとか」
「やせ形……多分」

ヨーイチの質問にうなずきながら、派手な身なりの店員は同情したように彼に微笑みかける。

「ボディデータを転送してくだされば、ぴったりのものをご用意できますし、仮想試着も可能なんですけど……贈り物だったら仕方がないですよね。パーソナルな情報で家族でも共有しない人も多いですし。恥ずかしがって転送してくれないお客さんも多いんです」
「はあ」
「でも、きっと喜ぶと思います、妹さん」

お節介な店員がそう言って微笑む。「妹じゃなくて来世だけどね」とサキが隣でつぶやいた。しかし店員は無反応だ。サキの方を見ようともしない。

「これなんて、どうです?」

店員は白いワンピースをハンガーごと持ち上げて、ヨーイチにたずねた。どうです、と問われたところで、ヨーイチには女物の洋服のことなんてさっぱりだ。さらさらした手触りのそれを受け取り、無意味に眺めた後、ヨーイチは試しにそれを隣にいるサキに手渡した。
サキは驚きながらも、それを受け取った。ヨーイチはちらりと店員を盗み見る。店員には、サキの姿は見えないのだ。では、彼女に手渡したこの洋服は、店員には浮いているようにでも見えるのだろうか?

「あ、すみません」

店員は我に返ったように言った。

「ワンピース、まだお渡ししてませんでしたね」

そして、店員は同じサイズのワンピースをヨーイチに差し出した。



「……矛盾が生じたとき、辻褄が合うように周りが変容するみたいなの」

ラッピングのために店員がバックヤードに戻った隙に、サキがヨーイチに話しかけた。一人で町を彷徨っている間に、色々試したことから導き出した彼女の答えらしい。

「私はまだ生まれてないから、私が干渉して世界に生じる不具合は、都合のいいように勝手に改変されるんだ、多分」
「そりゃ、便利なこった」
「信じてないでしょ」
「信じるも何も……頭がおかしくなりそうでそれどころじゃない。でも、そうだな……ナオキが同じようなことを言っていたな」
「ナオキ?」
「友人だ。脳は常に自分の都合の良いように物語を作り出す、っていう話。納得ができるように」
「物語、って変な表現。でも確かにその通りだと思うよ」

サキは痛んだ髪の毛を指でくるくると弄びながらうなずいた。

「存在していないはずの私が干渉することで、ワンピースは宙に浮いていることになってしまう。けれど店員にとって、それは矛盾の塊でしょ。だから、まだヨーイチにワンピースを渡していないということに……自分に都合の良い現実に改変する。勝手に物語を作っちゃうわけね」
「……お前も、俺の脳が都合が良いと判断して見せている物語なのかもな」

ヨーイチはちらりとサキを見下ろして言った。
サキはヨーイチの言葉を鼻であしらい、腕を曲げてポーズをとっているマネキンの腕にワンピースをひっかけた。彼女が干渉したこの「現実」は、また店員によって都合のいいように改変されるのだろう。自分でそこにひっかけたとか、あるいは元々そういうディスプレイだった、とか。

「他のお店見てくる」

不機嫌そうにサキはそう言って、ヨーイチを一人残し同フロアの店を回り始めた。ヨーイチの目にはすべてが同じ店にしか見えないのだが、女性にとってはどれも違うものらしい。まぶしいライティングに目が痛くなり顔を背けると、店内の隅っこに小さな棚が置かれているのに気付いた。
なんとなく近寄ってみると、そこには小ぶりのアクセサリーがディスプレイされていた。ヨーイチの目を一際引いたのは、一番端に置かれていた白い花の髪留めだ。売れ残っているのか、半額の値札シールが張られている。

「残り一個なんですけれど、なかなかもらい手がいなくて」

背後から店員に声をかけられて初めて、ヨーイチはそれを手にとっていることに気がついた。

「ラッピングおわりましたよ」

店員から袋を受け取って、しばらく考えた後、ヨーイチは髪留めを店員に差し出した。

「……これも、一緒に包んでもらえますか」


サキが腹が減ったというので、ショッピングモールを出て飲食街を歩く。繁華街を初めて歩くサキは、立ち並ぶ雑貨屋やカフェに目を輝かせ、よそ見ばかりするせいで行き違う人たちと高確率でぶつかっていた。しかし、ぶつかった相手は一度驚いたように立ち止まるものの、次の瞬間には何事もなかったかのように再び歩き出す。彼女が存在することを認識しない。つまりぶつかったということすら認識できなくなってしまうのだ。
サキ自身もその事実に最初はショックを受けていたようだが、今では慣れっこのようで、遊ぶように人にぶつかっている。端から見ているヨーイチは気味が悪くて仕方がなかった。
気分を変えようと、ヨーイチは口を開いた。

「どうせなら、あのワンピースを買えばよかったんじゃないのか」
「なに急に、あなたの趣味? 気持ち悪いね」
「馬鹿言うな。お前が今着ている隔離所の服も、さっき買った服も、似たようなもんだと言ってるんだ」

ヨーイチは持たされている紙袋を小さく揺らす。彼女が最終的に選んだのは、ボーイッシュな無地の黒いパーカーに、すらりとしたパンツだった。わざわざ買いに出たいと言ったくらいだから、それなりにこだわったものが欲しいのだろうと思っていたのだ。

「動きやすさを重視して選んだだけだよ」
「だったら隔離所の服のままでいいだろ」
「汚れてたし……それに、あんなの着ていたら、自分が犯罪者だって思い知らされ続けるようなものでしょ」
「誰もお前のことを見ない……見れないんだから、そんなこと気にしてどうする」
「あんたモテないでしょう」

鼻を鳴らしてサキはそっぽをむく。ヨーイチはそれ以上の詮索をせずに、目的地であったカフェの扉の取っ手をつかんだ。
その瞬間、内側から扉が引かれて、見慣れた顔が現れた。

「あれ? ヨーイチじゃん」

ナオキが目を丸くしてヨーイチを見つめていた。テイクアウトのコーヒーを片手に、店から出るところだったらしい。このカフェは元々、ナオキに勧められて知った店だった。よく執筆作業の追い込み時期は、ここに籠もっていると聞いている。

「何、昼飯食いにきたの」
「まあ、そんなところ」
「へえ、こんなところまで珍しい……って、おい…!」

驚いたようにナオキがヨーイチの手元を見つめる。そこにはサキの服を買った店のショッピングバッグがぶらさがっていた。

「それって、いま女子に人気のブランドの……いつの間に彼女ができたんだ、ずるいぞ!」
「いや、これは」

咄嗟に姉のプレゼントだ、と言いそうになって口をつぐむ。ナオキはヨーイチの知らないところで姉の見舞いに顔を出していると言っていた。嘘はすぐにバレてしまうだろう。

「これはその」
「その」
「親戚の、子供に」
「親戚? でも、お前の両親ってたしか」

困惑したようにナオキは口を閉ざした。
ヨーイチの背中に嫌な汗が流れた。自分は今、友人に嘘をつこうとしている。ヨーイチはしばらく口を閉ざした後、意を決して顔をあげた。

「ナオキ、実はさ」

ヨーイチがそう言いかけたとき、脳視界でアイコンが点滅した。「もしもーし」と場違いに間延びした井坂の声が脳内通話で聞こえてくる。

<ヨーイチ君、いますぐタワーにきてくれるかい?>
<え? でも>
<忘れたの? 今日、三日目でしょ。君の放った虫が戻ってきたんだよ>

「ヨーイチ? どうした?」

脳通話はヨーイチにしか聞こえない。押し黙ったように見える友人に、ナオキが不安そうに言った。<すぐに向かいます>と脳内で返事をし、ヨーイチはナオキに向き直った。

「ナオキ、今夜、時間あるか」
「そりゃ俺は万年暇人だけど」
「話したいことがある」

いつになく真面目なヨーイチの様子に何かを察したのか、ナオキは素直に「わかった」とうなずいた。

「じゃあ、七時に山小屋で。忘れてすっぽかすなよな」

いつもと変わらずそう言って、ナオキはひらりと手をふって去って行った。その背中を見送りながら、ヨーイチは溜めていた息を吐き出す。その隣で、サキがぽつりとつぶやいた。

「驚いた。話すの? 彼に」
「ああ」
「頭がいかれたと思われるよ」
「別に良い。実際、もういかれてる」

しかしサキは納得がいかない表情だ。ヨーイチは踵を返し、タワーへ向かう道のりを早足で歩きながら小声で付け足した。

「あいつは嘘をつかない。だから俺もつきたくない」
「……親友だから?」
「そうだ」
「なんか、いいね、そういうの」

サキがナオキの背中を見つめながらつぶやいた。

「友達って、どんな感じなんだろ」

私も欲しかった。つぶやいたサキの言葉は寂しげに散っていった。


腹を鳴らすサキのために、屋台でクレープを買ってから走馬燈タワーへと向かう。エントランスから職員入り口のセンサーゲートを通る時はさすがに肝が冷えた。走馬燈局の職員はもちろんクリーンな魂の者しかなれない。Sランクなんてもっての他だ。
そんな心配も虚しく、クレープを片手にもったサキがゲートを通っても、鉄の塊はうんともすんとも鳴らなかった。いっそ鳴ってくれた方が、自分の見ているこの少女は妄想じゃないと確信できるのだが。
指揮官室に入ると、運び込まれた無数のディスプレイが整然と並ぶ光景に出迎えられた。矢土と井坂が食い入るように画面をみつめている。時崎は今日は非番のようで姿が見えなかった。

「あ、きたきた、ヨーイチ君」

井坂がひらひらと手招きし、ヨーイチは隣に並んでディスプレイを見回した。

「これは……」
「君がばらまいてきた虫カメラたちの視界。今、時間ごとに他の班でも手分けして見ているところ。僕らの班は、時間軸では最後のほうの映像だね。一度最後までざっくり見て、後で気になる部分を拡大してみよう」

井坂の言葉にうなずいて、ヨーイチも二人にならってディスプレイを注視した。
縦横にならべられたディスプレイは、ヨーイチが潜入していたアパート、ライブハウス、ホテルの映像を倍速で映し出していた。見覚えのある顔も多い。ヨーイチの身体検査をした番人はカウンターに寝そべりながら酒をあおり、坊主頭のユータはひたすらに地図を眺めている。音声が入ったときにはマイクがオンになるらしく、かすかなノイズととともに思ったよりクリアな音声が流れ込んできた。

「覗き見なんて悪趣味」

クレープを食べ終えたサキが、ソファに腰掛けながらつまらなそうに言う。ヨーイチはもちろん返事をしなかった。
しばらくは取り立てて気になるような動きをみせなかった。強いて言えば、ユータがじっと見つめていた地図が何なのかが気になるくらいか。あとで拡大してもらおうとヨーイチが思ったとき、矢土が「止めろ」と声をあげた。
矢土が見つめているのは左端のディスプレイだ。ライブハウスの廊下を映している。井坂が小さくつぶやいた。

「フード男だ」
「フード女、ですね」
「ヨーイチ君の話を聞いても信じられなくてね。名前はナナシ、だっけ」
「確かに彼女です」

ヨーイチはディスプレイに映った後ろ姿にうなずいた。フードからこぼれた金髪が一房覗いている。間違いないだろう。
該当するディスプレイだけを、通常倍速で再生して音量をあげた。ノイズの音が大きくなり、足音が響いて、止まる。一人分では無い。

『……まあ、見逃がしちゃったんだけどさ。でも問題は無いと思う』

ナナシが振り返って話すのが聞こえる。まだカメラには映っていないが、背後に誰かがいるらしい。

『君も、データベースで見たことあるかも。広く出回っていたからね。3-d隔離所から逃げてきたらしい。篠田ソーイチ、って聞き覚えない?』

ナナシがそう言った瞬間、背後にいた人間がカメラに映った。キャップをかぶった、茶髪の男だ。カメラを背にしているから、顔が見えない。
男の声を、マイクが初めて拾う。

『……ソーイチ』
『そう。私たちが呼んだんじゃない、勝手に抜け出してきたらしいけど』
『へえ』

男はそうつぶやいて振り返った。

『ナナシ……外で話そうか』
『え?』
『それと、今すぐこのアジトは引き払った方が良い』

カメラが、キャップの下に現れたその顔をとらえる。
その瞬間、ヨーイチの耳から音が消えた。
画面に映るその顔を、ぼんやりと見つめる。誰かが、何かを話している声がする。しかし意味がよくわからない。
ありえない。ありえないのに、この映像は、何なのだ。

「ヨーイチ君? どうした?」

どこか遠くで、誰かが自分を呼ぶ声が聞こえた。
しかし今、頭を占めるのは一つの言葉だけ。

「……ナオキ」

どうして、お前がそこにいる。


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