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【同乗者たち】第3章 嘘つきたち【14】

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「君って、天涯孤独なんでしょ」

初めて話しかけられた時のことを、今でも鮮明に覚えている。
ヨーイチの通う塾に、彼は1週間遅れて入ってきた。授業中もうたた寝をしているような問題児だったが、ひとたび先生に指されれば、どんな難題でもすらりと答える。そんな頭をもちながら、何故塾に入ったのかと女の子に尋ねられ、「友達が欲しくてさ」とおどけたように、いつも答えていた。

「今日さぁ、先生達の話がきこえちゃって。両親は失踪して、頼りの姉ちゃんは記憶喪失、体もうまく動かせず入院中なんでしょ。それで、『魂の家』にお世話になってるって」
「……だから、何」
「俺さぁ、将来、小説家になりたいんだ」

彼はヨーイチにかまわず言葉を続けた。

「だけど今まで平凡な人生を送ってきて、何を書いても深み? みたいなのが出ないんだよな。だから君の話を聞かせてくれよ。なあ、両親や姉に捨てられるって、どんな気持ちになるの?」

それから、彼が何を話しかけてきても、ヨーイチは一切口を開かなかった。
しかし次の日も、次の日も、次の日も……何度ヨーイチが無視をしても、彼はめげることはなかった。

「なあ、いい加減話してくれよ」

夏期講習の帰り道、夕日で長く引き延ばされた自分の影に、彼の影が絡む。いつも通りだと慣れきっていた行為だが、その日だけは違った。午前中、姉の見舞いに行って嫌な思いをしていた上に、返ってきたテストの成績が芳しくなかった。誰にも話しかけられたくなんてなかった。

「なあ、一人になるって、どんな気分なわけ?」
「……るさい」
「なにもかもが消えて無くなるんだよな。からっぽになった感じ?」
「うるさい!」

ヨーイチはそう言って、そいつの手を振り払った。
夕方、交通量の少ない横断歩道だった。頭に血が上ったヨーイチは、信号を確認することなく足を踏み出した。道路の中心にきた瞬間、まばゆい光に目が眩む。何か、大きな音がけたたましく鳴っている。
あぶない、という叫び声が聞こえたような気がして、気付いた時には何かに突き飛ばされていた。



「……なんで助けたんだ」
「なんでって」
「お前、もしかしたら死んでたかもしれないんだぞ」

車道の向こうの土手に寝転んだ彼を見下ろして、ヨーイチはつぶやく。幸い、自動ブレーキが早めに作動したおかげで、彼は頬に痛々しい傷がついたものの、病院送りになる事は無かった。けろっとした様子で「ちょっと休もうぜ」とヨーイチを車道の向こうの土手へ引っ張り、寝転んでしまった。
ヨーイチが負ったのは、顔をかばったときにできた手の甲のすり傷だけ。自身の心を代弁するかのように、鈍く痛む。

「死ぬのなんて、怖くないだろ。来世があるし」

そうつぶやいてから、クラスメイトは頬をかいて「まあ、それだけじゃないんだけど」と漏らした。

「俺さぁ、実は友達がいないんだ」
「……は?」
「だから君が天涯孤独だって聞いて、嬉しくなった。そいつの話を聞きたくなった。きっと一人って寂しいんだろうってさ。その弱みにつけ込んだらさ、友達になってくれるかもしれないって」

悪びれる様子も無く彼は笑う。少しだけ照れくさそうに。

「ずっと昔から、友達が欲しかったんだ」

あきれて、何も言えなかった。

「……お前、馬鹿なの。嘘ってやつを知らないわけ」
「嘘?」
「普通、友達になりたいなら、自分を良く見せようとするもんだろ」
「例えば?」
「例えばって……」
「そんなまどろっこしいことできないし」

けろっとした顔で、ナオキは笑った。

「俺、嘘が下手なんだよね」





「嘘みたいに、ボロがでないんだよ」

そう言って、井坂は資料をディスプレイに表示した。

「九条(くじょう)ナオキ。両親は健在、どちらも一般人、兄弟はなし。実家を出て一人暮らし。仕事は居酒屋のアルバイト、小説家として本も出してるがほぼ無名。走馬燈に恨みをもつような過去もない。前世もクリーンだ。売魂者と関わる理由がわからない」

とん、と井坂の指が画面を叩く。そこにはナオキの写真が表示されていた。前世証明書の写真だ、見覚えがある。当時、前世管理センターで働いていた新人のヨーイチが、ナオキの前世確認を行った。その時に更新した写真だ。

「君の友人なんだってね」
「……はい」

けれど、今はもうわからない。
静かに椅子に座って口を閉ざしているヨーイチに、矢土指揮官が言った。

「売魂者たちは自分たちがカメラに撮られていたことを知らない。もちろんこの九条ナオキも、まさか親友が自分の正体を知ったとは露にも思っていないに違いない」
「ヤッチー指揮官、まさか」
「新田、気づかないふりをして、九条から情報をききだせるか」

力なく座っているヨーイチの目の前に立ち、矢土が言い放つ。その肩を井坂が掴んだ。

「ちょっとそれは無謀じゃない、指揮官。古くからの友人を騙すなんて、そんなことを彼にさせる気ですか」
「先に騙していたのは向こうの方だろう」
「うまくいくとは思えない。それに前々から、ヨーイチ君は精神的に不安定だ。トキちゃんを呼んでもう一度診てもらった方が」
「父親面か、井坂」

矢土の美しい唇が歪み、馬鹿にするように笑って言った。

「お前が他人に情を入れると、碌なことにならない。自分でもわかっているだろ」
「僕はただ」
「あの時もそうだったな。情に操られて、また同じことを繰り返すつもりか」
「……それとこれは関係がない」
「お前は今頃私と同じ指揮官クラス、いや、もっと上へ行くべき人間だった。それなのに、未だに平の監理官で燻って、そろそろ引退といったところだ。何故だか分かっているだろう? それはお前が甘く、ただの他人に同情する、馬鹿で弱い人間だからだ」

矢土が言い放ったその瞬間、視界の隅に新規メッセージが表示された。井坂と矢土に緊急の招集がかかったらしい。矢土はあらためてヨーイチに向き直ると、冷たく言葉を浴びせた。

「作戦が決定するまでは、九条との接触を禁じる。相手に感づかれるな。変な気は起こすなよ……いいな」
「……はい」

小さな声でヨーイチは返事をする。井坂は何かを言いたげにしていたが、小さく息を吐き出すと、矢土とともに指揮官室を出て行った。
残されたヨーイチは、ぼんやりと机上ディスプレイを見つめた。ヨーイチのよく知っている顔が、よく知っている人間の人生が印字されている。
それがすべて、嘘だったとしたら。

「……どうするの?」

背後からふいに声をかけられる。そういえば、サキの存在をすっかり忘れていた。ヨーイチが意識しないと、まるで元々そこに存在していないかの様に姿をくらます。

「……あいつは一般人だった」
「クロアナ以外が嘘をつかないわけじゃない」
「わかってる、そんなこと」

ヨーイチは時計を見た。針は、すでに六時を回っている。約束の時間が近づいていた。





『山小屋』の一番奥の席。油でべたつくテーブルと机。騒がしい店内も、キッチンから聞こえてくる調理音も、いつもと変わらない。

「あれ、お前が待ち合わせ時間前にくるなんて、珍しいじゃん」

いつもと変わらない親友。

「何、そんなに腹がへってたの」
「……まあ」
「注文は?」
「まだ」
「じゃ、とりあえず生二つね」

ナオキが声を張り上げて注文を通す。続けてディスプレイのメニューに目を落としながら、世間話をするように言う。

「で、話したい事って何?」

ヨーイチが悩みを打ち明けることを知っていて、それをさして重要なことじゃないかのように振る舞う。それが彼のやり方で、優しい所だ。彼と友人になった日、突き飛ばされてできた擦り傷が、もうとっくに直ったはずのそこが鈍く痛んだ気がして、ヨーイチは手の甲をさすった。

「……新作小説、順調か」
「なんだよ、話したい事ってそれ?」

ちらっとヨーイチを見上げて、ナオキは再びメニューに目を戻す。

「そうだなぁ、やっぱり難しいよ。監理官視点の話にするか、クロアナ視点にするかっていうのが……クロアナだって、まったく小説を読まないってわけじゃないだろ。二つの立場から共感と感動を得られるような筋書きができれば一番なんだけど。欲張りすぎかな」
「どちらも、というのは卑怯だ。その二つは交わることは決して無い。自分の立場は、明確に示した方が良い」
「昔から厳しいよなぁ、ヨーイチは」

テーブルの下で、ヨーイチは手をゆっくりとホルスターに伸ばす。ナオキと一緒に居るときに、スキャナに手をかけたことなど一度もなかった。グリップを握ってそれを抜き取る。この距離なら頭じゃなくても、ロックオンができるはずだ。ヨーイチはテーブルの下で、スキャナの目を友に向ける。

【一般人です】

赤い文字が表示される。

【一般人です。使用は認められません。一般人です。使用は認められません。一般人です――……】

そのテキストを見てもなお、ヨーイチは構えたそれを動かすことができなかった。あと1分もこうしていたら、局の監理本部に連絡が行くかも知れない。わかっているのに、ロックされているトリガーにかけた指の力を緩めることが難しい。

「……売魂者を悪役にするって言ってたよな」
「え? まあ、今のところは」
「いっそ、その敵を主人公にでもしてみたらどうだ」
「売魂者を? そんなこと言って、その小説が売れてみろ。お前ら監理官に捕まっちまうかもな」
「うまく書けるんじゃないか。売魂者については、よく知ってるだろ。俺よりもずっと」

ヨーイチの言葉に、ナオキが顔をあげる。ヨーイチはその目をまっすぐに見つめる。笑おうとした自分の口が、醜くゆがむのを感じた。

「売魂者とずいぶんと仲がいいみたいだしな。俺が教える必要なんて、なかったんじゃないのか」

長い沈黙。店内の賑やかな声が、やけに大きく響く。
その動きは一瞬のことだった。じっとヨーイチを見つめていたナオキの目尻が下がって、その反対にゆるりと口角が上がる。

「ばれた?」

足下から、なにかが崩れていくような感覚がした。

「俺、やっぱり嘘が苦手みたいだ」
「……ナオキ、お前は」
「でもまさかお前があのアジトに乗り込むなんて、予想外だったわ。今頃あそこはもぬけの殻だよ。……『篠田ソーイチ』だっけ? 誰が考えた偽名だよ。笑いこらえるの大変だったんだ、こっちはさ」
「いつからだ……いつから俺のことを騙していた」
「覚えてなんかいないよ、そんなこと。そうだな、お前と出会う前からかな」

目の前の男の瞳は不思議な色に光っていた。ヨーイチが、一度も見たことの無い瞳だった。

「ずっと、ずっと前からだよ」

誰だ、こいつは。
こんな男を、自分は知らない。
ふいにヨーイチが握るブレインスキャナに、別の力が加わる。ナオキが、テーブルの下でその銃身を掴んだのだ。ぐっとそれを引っ張られて、テーブルががたんと鳴った。ナオキはさらに自身のほうへと引き寄せる。そのスキャナの目が、銃口が、自身の腹にぐっと食い込むこともいとわずに。

「撃てないよな、ヨーイチ」
「……離せ」
「撃てないよ、お前にはさ。俺はお前のことよく知っている。自分と関わる人間を撥ね付けているようで、他人に期待することを完全にやめられない。寂しくて優しい人間」

緊急時用にトリガーロックは解除できる。頭の中でコマンドを入力して、引き金を引けばいいだけだ。簡単なことなのに、それなのに、この男の言う通り。

「お前に引き金は弾けないよ」

ブレインスキャナで人を殺せない。けれど分かっているのだ。これを弾いてしまえばきっともう元には戻れないと。
その時、鋭い痛みが手の甲に走った。まるで、あの時に負った擦り傷のようなちっぽけな痛み。また錯覚かと思ったが、違う、これは現実の痛みだ。
慌てて手を引っ込める。抵抗はなかった。ナオキはもう用事は済んだとばかりに、スキャナから手を離していた。
立ち上がろうとして、再び椅子に座り込む。力が入らない。ごと、という鈍い音は、自分の手からスキャナが床に落ちた音だろうか。分からない。何も。
目の前がかすむ。目の前に居る男の顔がぼやける。

「悪いけどさ、もう少しだけ見逃してほしい」
「何を……」
「これは俺と『あいつ』との、大切な約束なんだ」

瞼が落ちる。闇に飲まれる。

「もうすぐ果たされるんだ。だから、その時がきたら――……」

夕日に染まったあの土手で、「友達がほしかった」、そう無邪気に語った友人の顔が、滲み、消える。




目をあけると、自分の寝室の天井が見えた。
ゆっくりと体を起こす。頭が割れるように痛い。人の気配を感じて横を向くと、そっぽをむいたサキがそこに座っていた。

「……言っとくけど」

サキは不機嫌そうにつぶやいた。

「全部夢じゃないよ。残念ながら」

聞いたことのある台詞だ。
手の甲を見る。小さな傷跡が見えた。睡眠作用のあるなにかを体に投与されたのか、体がだるい。

「ナオキは」
「気を失ったヨーイチを背負って、ここまで運んできた。端から見たら、酔いつぶれた友人を家まで送る良い友人にしか見えないだろうね」
「なんで止めなかった」
「無意味だって、あんただってわかってるでしょ。私が止めたところで……何も変わらない」

それはサキがヨーイチ以外のこの世のすべてに干渉できないという意味ではないだろう。あいつが、あの男が自分を欺いていたという事実は、何をしたって変わることはない。そう言っているのだ。

「辛いんだろうね。空っぽになった、って思ってる」

ぼうっとする頭に、サキの言葉が流れ込んでくる。
なあ、一人になるって、どんな気分なわけ?
あの夕暮れの横断歩道の前での、ナオキの言葉が思い出される。あのとき、ヨーイチはからっぽだった。それを満たしたのは間違いなくナオキだ。でもそれはすべてまやかしだった、空虚を空虚で埋めたところで、そこにあるのは空の器だけ。

「……お前に、なにがわかるんだよ」

押し殺した声が、顔を覆った指の隙間から漏れた。

「お前は生まれたときから何ももってない。失うことだって、友達だって、家族だって、何も、知らないくせに。俺の、何が分かるっていうんだ」

その時、頭にふわりと何かが乗った。目の前にサキの体がある。両の手で顔を覆ったヨーイチの頭の上で、サキの小さな手のひらがぎこちなく動いている。
頭を撫でられているのだ、と気づくまでにしばらくかかった。

「……何のつもりだ」
「わたしにはあなたの気持ちなんてわからない。私の気持ちは私しか分からないのと同じこと。でも想像することはできる」

まるで壊れ物をなでるように、彼女の手のひらはゆっくりと往復する。

「私だったら、きっと、こうして欲しいって思うから」

なんてありふれた解だろう。
同情されているのだ。そう思いながらも、ヨーイチは彼女の小さな手のひらを振り払うことができなかった。


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