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【同乗者たち】第4章 探索者たち【15】

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エレベーターのモーターの音が静かに響いている。上へと昇れば昇るほど、耳が詰まるような不快感に陥った。階数表記を眺めているヨーイチを、その横に立つ井坂がちらりと見る。

「……緊張してる?」
「いいえ」
「だよね」

だってヨーイチ君だもんねと、いつものように井坂は笑う。
フード男と密接な関係があると思われる九条ナオキの友人ということで、ヨーイチは入局してはじめて局長室へと呼び出された。ナオキは現在行方を眩ませ、ナナシの率いる売魂者グループも、あの商店街から姿を消していた。一つの証拠も残さず、忽然と。
昨夜、ナオキと会ったということは誰にも言っていない。その行為が決して許されないことも分かっている。それでも今、前世監理官という立場とスキャナを取り上げられるわけにはいかなかった。身勝手なのは承知の上だが、逃してしまった自分が……あの日引き金を弾けなかった自分が、必ず捕まえなければならない。

「……局長と会うのは久しぶりだよ。昔はずいぶんと近い距離にいたんだけど、正直良い思い出が無いから、会いたくはないんだけど」

言葉とは裏腹に、さっぱりとした口調で井坂は言う。ヨーイチは井坂を盗み見た。矢土と井坂の会話は覚えている。井坂は、本来ならもっと上にいける人間であったと。
ヨーイチの視線に気づいたのか、井坂はいつもと変わらない笑みを浮かべて言った。

「ヨーイチ君も知ってるでしょう? 君が生まれる前のことだ。……このタワーに一時隔離されていたクロアナが脱走して、人質にしていた子供を塔から投げ落とした、っていう話」

ユータが言っていた、24年前にもみ消されたという事件だ。
混乱を避けるためと、もちろん走馬燈局の管理怠慢を隠すためもあっただろう、その事実は局内で隠蔽するように方々へ圧力がかかった。しかし実際に一人の子供がタワーから投げ落とされたのだ。外に居た一般人の目撃情報によって管理の行き届かないネットでは盛んに取り上げられ、事実として認識されている事件だった。
罪の無い子供を投げ殺した犯人を避難する走馬燈局・一般人サイドと、怠慢を隠蔽しようとした走馬燈局を糾弾するクロアナ・売魂者サイド、二つの溝をよりいっそう深くした事件であると聞いている。

「あれ、僕の管理不足のせいで起こったんだよね」

まるで天気の話をするように井坂は言った。

「まあ、ある人を信じ切っていてね。まんまと裏切られて、ぼくは責任を問われ、一時期は走馬灯局から離れていた」
「裏切られた……」
「当時は本当に、悲しみと怒りでどうにかなりそうだった。それでもさ、しょうがないよ。その時は、その人のことを信じて疑わなかった。その人を信じている自分のことが誇らしかった」

疑わなかった。その言葉が、ヨーイチの胸を柔く締め付ける。その結果がこれだ。虚しさだけが残る。
ヨーイチが口を開きかけた時、最上階への到着を知らせるチャイムが鳴って、その話はおしまいとなった。
エレベーターから一歩踏み出すと、そこはタワーの形状に合わせてゆるくカーブした見通しの悪いフロアだった。井坂が慣れた様子で一つの扉の前に立つ。扉の横に設置された顔認証機器が反応し、青いランプ点滅とともに音も無く扉がスライドした。
瞬間、芳しいコーヒーの香りが鼻をくすぐった。広く洒落た空間で、等間隔に有名デザイナーの手がけた机と椅子がならび、端にはよく磨かれたカウンターが設置されている。人は居らず、薄暗い。全面に貼られたガラス窓からは、ヨーイチの住む街がまるでジオラマのように広がり、ぼんやり光る夕方の赤色が室内に滲むように染み渡っていた。

「上級職員用のカフェテリアだよ」

伊坂がヨーイチの疑問に答えたその瞬間、彼らが乗ったものとは別のエレベーターの扉が開き、2人の人物が姿を表した。井坂と同年代に見える男が、背筋の良い老人が座る車椅子を押してこちらに歩いてくる。二人とも、ヨーイチもよく知っている人物だった。
車椅子に座っている老人は、走馬燈局現局長、回谷(めぐりや)カケル。魂の存在を世界にしらしめた時の人、回谷ハジメの子孫だ。綺麗に白く染まった髪の毛に、肌には深い皺が刻み込まれている。しかし、細縁メガネから覗くその瞳は、力強い光をたたえていた。
車椅子を押すのは局長の側近、たしか『田端』という特別監理官の男だ。

「局長、お久しぶりですね。田端くんも」

井坂が軽い調子でひらひらと手を降るが、田端は伊坂を無視して局長を窓際のテーブルにつかせると、さっさとその場を離れてカウンターへと向かった。クロアナの手作業によって作られたコーヒーマシンが音を立てる中、局長に進められ、ヨーイチと井坂は老人の正面の席に腰を下ろす。

「……相も変わらず監理センターに落ち着くでもなく、まだ監理官なぞやっているんだな、井坂」
「おかげさまで。ぼくの落ち着きのなさは、貴方もよく知っておいででしょ」

井坂の皮肉っぽい口調に小さく口を歪ませて笑うと、しゃがれた声で局長は続けた。

「わざわざこんな所まで来てもらったのは他でもない、我々にとって非常に重要な存在であった『フードの男』……いや、矢土指揮官の報告では女か。彼女と、九条ナオキの二人の捜索を君たちの班に頼みたいがためだ」
「つまり、いつも通りの任務ってことですよね」

井坂が局長の言葉に口をはさむ。

「いつも通り矢土指揮官に伝えて、指令をぼくらに下せばいいのに。どうしてわざわざ呼んだりしたんです?」
「ただ単に、見てみたかったからだ。腕の立つ新人が入ったと聞いて、しかもそれが井坂……お前の部下になっているというのだから。興味も沸くというものだろう」
「この忙しい時に暢気に見物というわけですか」
「言葉にトゲがある……まだ、昔のことを根にもっているのか」
「…………」
「……あれは私のせいではない」

井坂は言葉を返さず口をつぐんでいる。ちらと横を盗み見ると、いつもは表情豊かな上官の顔が、能面のような無表情になっていた。見てはいけないようなものを見た気がして正面に顔を戻すと、局長の瞳はまっすぐにヨーイチに向けられていた。

「新田監理官」
「はい」
「君はいろいろと苦労してきたみたいだな。入局する前から走馬燈局の記録にあったようだが」
「前世学校に入学するまで、『魂の家』にお世話になりましたので」
「今も昔もクロアナにさんざん苦しめられてきたというわけか。しかし、九条ナオキは君の友人だった上……君の姉、新田リョーコは、クロアナ援助団体である『星の宿』のメンバーだったと調べがついている。今回の君の任務に、支障はでないだろうな?」
「……どういう意味です」
「念のため確認しておきたい。君は友人を我々に差し出す覚悟はあるか」

その言葉に、昨日引き金を弾けなかった人差し指がぴくりと動く。
ヨーイチは、こちらを射抜く老人の瞳を迷いなく見つめ返してうなずいた。

「前世犯罪者は罰せられるべきです。それに手を貸す者も、すべからく」

ヨーイチの返事に、局長は小さく笑った。

「君はなにも間違っていない」

音もなく田端が脇に立ち、入れ立てのコーヒーをテーブルにならべた。カップは2つ。そして最後に小さなプラスチックのケースを、ヨーイチの前にすべらせた。
透明のふたから、小さな注射器が覗く。

「クロアナたちは飢えている。アメを渡せば、すぐに飛びつくでしょう」

無機質な目でヨーイチを見つめながら、田端はつぶやくように言った。

「有効に、役立ててください」

これで話は終わりのようだった。
田端が局長の車椅子を再び押して、エレベーターの扉へと進んでいく。そこに乗り込む前、こちらを振り返るでもなく、不意に局長が問いかけた。

「新田監理官」
「……はい」
「君は……自分の前世を覚えているか?」

不意に投げかけられた問いの真意がわからず、ヨーイチは困惑する。

「もちろん情報では知っていますが……記憶には、ありません」
「……そうだろうな」
「どうしてです?」
「……いや」

それ以上、局長は口を開く気はないようだった。
エレベーターの扉が静かに閉り、モーターの音が遠ざかっていく。コーヒーの湯気が立ち上るテーブルに、井坂とヨーイチは取り残された。
小さなため息をついて、井坂が低い声で言う。

「……嫌な任務になりそうだ」

机上では温かなカップと、冷たい注射器が夕日の光を受けて鈍く光っていた。

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