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【同乗者たち】第4章 探索者たち【16】

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「特に問題はないみたいですね」

時崎はため息をついて、ヨーイチの精神グラフが表示されているディスプレイから顔をあげた。

「明日の任務を止める理由はありません。これまた、不本意ですけど。それと……」

彼女は目を伏せてつぶやく。

「大変な時に側に居なくて、ごめんなさい、新田くん」
「ただの仕事なんだから、何もそんな本気で心配しなくても」
「仲間の心配をするのは当然のことでしょう。君だって、立場が逆だったら私のことを心配してくれるはず。私はあなたのカウンセラーだから知っています、君が優しい人間だってことくらい」

ヨーイチが何も返せずにいると、時崎は目尻を和らげ、いつになく柔らかい口調で言った。

「本当に嫌だったら止めてもいいんですよ。お友達を捕まえることも……『それ』を使うことだって。本当は嫌なんでしょう? 局長だって、カウンセラーの出す数字に逆らうことは許されていない。いざとなったら私が資料を用意するから……」
「君に不正をさせる訳にはいかないよ。それに……俺はこの任務をやりとげないといけない」

ヨーイチは、局長室で田端から受け取った注射器をそっと握った。
透明なカプセルの中に入っている注射器……それは、「アンチクロアナチップ」を体内に入れるためのものだ。
あの見晴らしのいいカフェテリアに二人取り残されたあと、コーヒーを飲みながら井坂が語ったことを思い出す。

『走馬燈局が、昔からよく使う手なんだよ、これ。このアンチチップを新たに埋め込んだクロアナは、あらゆる制限から解放される。町中にあるクロアナセンサーに引っかからず、職業選択も、社会制度も一般人と同じように受けることが可能になる。死ぬまでそれは有効だし、しかも走馬燈局にも認められているとすれば、不平等に苦しめられているクロアナにとっては喉から手が出るほど手に入れたい代物だ。これを情報を握ってそうな奴らにちらつかせて、九条とナナシのことを吐かせるというわけ』
『クロアナの罪が帳消しになるなんて、そんなこと』
『もちろん、この話には穴がある。使用をした人間は、死後、浄化システムが適応されない。来世で、今と同じクロアナランクをもう一度生きることになる。そしてクロアナは前世の罪を教えてもらえない。だからそのクロアナは来世で、自分が走馬燈局に騙されたことに気づかない』
『それを、使用するクロアナは承知しているんですか?』
『いいや』

じっと黙ったヨーイチに、井坂は続けた。

『魂の存在が明るみになってから、人間には旧時代に存在していたような死という概念がなくなった。どうせいつかは罪を償うことになる。そのタイミングが少し後にずれただけ……と考えればいい』
『必要悪ってことですか』
『君の考えてることはわかるよ。クロアナが背負っている罪は、ぼくたち走馬燈局が与えたもの。だけど、僕らが仕事の上で犯す嘘や罪は、無効となる。走馬燈局は、そうだな……』

井坂は自嘲気味に笑った。

『さしずめ、この世の神様ってところかな』




「……――もうとっくに理解している、っていう表情ですね」

時崎の言葉で、ヨーイチは現実に戻った。彼女の視線をまっすぐに見返しながら頷けば、時崎は静かに続けた。

「前世管理官は、この走馬灯局に依存している人が多いんです。君は……その最たる例でした」
「依存……?」
「自分の信念、存在理由、生きる意味をこの走馬灯局に見出すんです。前世管理官は、『魂の家』出身者も多い……あなたと同じ、クロアナが起こした犯罪の被害者が。だからすんなりと体に馴染むんでしょうね。あなたも言われたでしょう、クロアナを憎むあなたは、何も間違っていないって。それに安心を覚えていた。違いますか?」

ヨーイチの沈黙を肯定と受け取った時崎はさらに続けた。

「けれどあなたは今、この組織はどこかゆがんでいる、と感じている」
「……勘違いかもしれない」
「安心していいんですよ。あなたは独り立ちをしようとしているんですから。親から子供が離れる時と同じです。与えられた思想ではなく、自分自身の心で考える時がきたんです」
「自分自身……」
「人は変化し続けます。細胞が入れ替わるように、その人間の心も、一瞬たりとも止まることがない。古い自分は死に続け、常に新しい自分が生まれ続けている……これは、当たり前のことなんですから」

すると時崎は目線をヨーイチから外し、ぽつりとつぶやく。

「じゃあ……いまから独り言を言いますね」
「独り言?」
「九条ナオキとナナシのつながりが明るみになった瞬間、上層部は彼の前世証明書やパーソナルな情報をすぐに指揮官クラスに提供した。でもカウンセラーの私にはすぐに情報が届かなかったから、とりあえずなにかできないかと、自分で調べることにしたの。君のことを考えたら、いてもたってもいられなくなって……とりあえず彼の顔写真を手に入れてから、試しに走馬灯局への入場映像の顔認識に検索をかけてみた。新田くんの友達なら過去何度かこのタワーに顔を出しているだろうし、私とすれ違ったこともあるかもしれないと思ったから。結果、彼がこのタワーに訪れたのは計5回。2回は小中学生の社会見学、3回目は高校受験用の証明書更新、4回目はアルバイト用の更新、5回目は新田くんに会いに来た数日前。なんら不思議な部分は見当たらない……と思っていたんだけど」

じっと明後日の方向を見つめながらそう言う時崎の声が低く落ちる。

「非正規の方法で調べていたせいで、気がついちゃったんだよね。走馬灯局が、九条ナオキのタワー訪問回数を『修正』しているって」
「……は?」
「九条ナオキの訪問回数の5回、これは後から書き換えたログが残っていた。しかもかなりの回数で。これはつまり、九条ナオキが頻繁にこのタワーに出入りしていたということ。そして、それを他でもない走馬灯局がもみ消していたということ」
「なんだよ、それ……」
「このこと、多分特別監理官あたりは知っているんでしょうけど、指揮官クラスには知られていないと思います。九条ナオキのデータをあんなに早く集めて提供したのも、無駄に調べる必要がないようにしたんでしょう。ただ分かるのは、局長はあなたにその注射器を渡したってこと。つまり、上も本気で九条ナオキを捕まえたい、と思っているってこと。おそらく、上が制御していたはずの九条ナオキが、単独で勝手に動いている可能性があるということ。以上、独り言おわり」

ぱん、と手を叩いて時崎はヨーイチの方に再び顔を向けた。ヨーイチは脳内に様々な言葉にできない思いが渦巻くのを感じながら、やっとのことで口を開く。

「つまり……裏があろうが無かろうが、どっちにしろ、走馬灯局と俺の目的は一緒だってことだな」
「そうですね」
「……正直、何を信じたらいいかわからないんだ。上に聞いた所で惚けられるのは目に見えてる。とにかく、ナオキとナナシを捕まえないと……何も、わからないままだ」

深くため息吐いてヨーイチは目を閉じる。とりあえず考えるのは後だ。すべては奴を捕まえてから。そうすれば、おのずと真実が明るみになるだろう。
ヨーイチの中で渦巻く、言葉にできぬ不安と不信感。これを、巣立ちだ、と時崎は言った。親から子供が離れる時と同じだと。それだったらまだいい。
子が、親に牙を向くようなことにならなければ。

「……助かったよ、時崎」
「私は何もしてません。独り言ですから」
「その独り言で気づいたよ。俺は、独りじゃないんだなって。だって、君は俺のことを心配して、色々と調べようとしてくれたんだろ」
「それは……そうだけど」
「ありがとう」

その言葉に、時崎は少しだけ驚いた表情をしてから、小さく笑う。

「……結局、どうしたって自分以外の人の心を真に感じることはできない。だから事実上、私たちは生まれてから死ぬまでずっと一人きりです。けど想像することはできる。だから、あなたも私も……一人だけれど孤独じゃないはず」

時崎の言葉が温度を持って自身の胸に染み込んでいくのを感じる。確かにいま、自分は孤独じゃない。からっぽだと思い込んでいた容器は満たされていた。静かなカウンセリングルームで、ヨーイチはその心地よい重みを感じていた。




マンションにもどって玄関の扉を開けた瞬間、美味しそうな香りがしてヨーイチは手を止めた。キッチンから物音が聞こえてくる。腹を空かせたサキが我慢できずにキッチンのスイッチを入れたに違いない。

「おい、サキ、勝手にAIを作動させるな……」

文句を言いながらリビングに入り、足を止める。サキが、困ったような表情でソファに座っていた。キッチンからは相変わらず音がする。しかし肝心のモーター音がしない。
誰かがいると思ったその時、リョーコがキッチンから顔をのぞかせた。

「ヨーイチ、お帰りなさい。だあれ、サキって? あ、まさか……恋人?」
「いや……」

ヨーイチはごまかすようにそう言った。そういえば、ナオキのことですっかり抜けていた。
話し合いの末、リハビリセンターを退院することになったリョーコは、就職先が見つかるまでヨーイチの家を間借りすることになっていた。幸いなことに、ヨーイチの借りている部屋は、一人で住むには十分すぎるほど個室が余っている。

「……姉さん、料理できたんだ」
「うん、リハビリセンターで教えてもらってたの。結構前のことだけどさ。『前の私』は、毎日料理をしていたって聞いたから……」

リョーコの言葉は尻すぼみに小さくなって消えていった。それを取り戻すかのように、「冷める前に食べちゃおう!」と明るく言って、皿をテーブルに並べる。鮮やかな黄色とデミグラスソースのコントラストがまぶしい。まるでレストランででてくるようなオムライスだ。
素直に「美味しい」と言えば、リョーコの笑みはふわりと緩む。それだけで、ヨーイチの胸は満たされる。

「就職先、見つかりそう?」
「うん、リハビリセンターや、走馬灯局が協力してくれるみたい。多分1ヶ月以内には……それまで我慢してね」
「……別に出て行かなくたっていいだろ」

ヨーイチはオムライスをほおばりながら、独り言のように漏らした。

「一緒に住めば。ここで」

部屋は余っているんだし。姉さんの料理は美味しいし。
そうヨーイチが続けると、リョーコは寂しそうに笑った。

「……ごめんね、ヨーイチ」

なにが、とは聞けなかった。
そういえば、「昔の姉」はこうやってよく謝っていたことを思い出す。ごめんね、ヨーイチ。その意味が今と昔ですっかり違ってしまっていることに気づきたくなくて、急に味気がなくなったオムライスを無理やり口に詰め込んだ。

「ねえ、私さ」

ふいにリョーコがスプーンを食器に置いた。

「あなたの『お姉さん』のこと、どうしても好きになれなかった」
「……どういう意味」
「『私』が目覚めた時、あなたは、『昔の私』がどんな人間だったか教えてくれたよね。考え方、仕草、趣味趣向まで細かく。でも、何一つ思い出せない私に、あなたの顔がだんだん曇ってくるのを感じた。やがてあなたは昔のことを言わなくなった。本当の姉に会うことを諦めたみたいに。私も最初は、あなたのお姉さんになろうとした。その人の振る舞い方や考え方を真似ようとした。でも無理だった。だって私は、あなたのお姉さんを好きになれなかったから」

皿の淵についたデミグラスソースが、照明の元で鮮やかに光っている。皿に描かれた模様から無様にはみ出ている。まるであの時の絵の具みたいに。
そうだ、はみでてしまう。これ以上彼女の言葉を聞いていたら。
気づかなかったふりをしていた線から。自分をつなぎとめていた、唯一の信念から。

「『彼女』が本当にあなたのことを一番に考えていたなら……あなたを連れてクロアナ街を離れて、普通の生活をするべきだった。クロアナ孤児を援助する施設と制度が走馬灯局にあることを知っていたくせに、彼女はそれを拒否していた」
「……それは」
「彼女は自分が両親に愛されなかったことを認めたくなくて、過去に囚われてクロアナ街に住み続けた。愛されなかったその理由を正当化したくて、ボランティア活動をしていた。クロアナはかわいそうだから、こんなに酷いことをする。両親はかわいそうだから、私たちにひどいことをする」
「でも」
「そうやって自分の心を慰めて、自分のことしか考えてないせいで、結果的にあなたを危険にさらした」
「そんなこと」
「身勝手で、考え無しの、弱い人間」
「違う」
「違くない」

そう言い切る姉の瞳は、ヨーイチのよく知っている形をしていた。それなのに、その光だけがまるで昔と違う。しかし、もうヨーイチには、昔の姉の瞳の光が思い出せなかった。記憶の箱に入れて蓋をしているうちに、どこかへ滲み出て去っていってしまった幻。ただ、確かに在ったということだけ覚えている。
現実はもう、どこにもない。
残ったのは、おとぎ話か。

「……彼女はあなたを道ずれにした。私はそれが許せない。だから私は、彼女に共感も同情も、できない」
「……そう」
「ごめんね、ヨーイチ」
「あなたは、悪くない」

引っ越しで疲れたと、食事が終わるとリョーコは部屋に下がった。彼女の姿が見えなくなってヨーイチは一つ息を吐く。
一緒に住もうだなんて、どうして言ってしまったのだろう。二人の空間に張り詰める何かに、ずっと耐えれる自信などないというのに。

「……綺麗なお姉さんだね」

オムライスを食べ終わったサキが、食器を食洗機に戻しながら言った。もちろん、彼女の食べていたのはAIの作ったものだ。彼女なりに気を使っているのか、さっきの話をまるで聞いていなかったように振る舞っている。なんだか腫れ物になったような気分だ。

「……大人の女の人、って感じで、素敵」
「……なんだ、一丁前にあこがれているのか、大人に」
「うん」

からかったつもりで言ったのに、サキは素直にうなずいた。彼女は部屋に置かれたリョーコの鞄と、壁に掛けられた上着を眺めている。女性らしいそれらは、ショッピングモールにきらびやかに並んでいる様を連想させる。
男っぽいパーカーとパンツ姿のサキに、ヨーイチは再び問いかけた。

「……そういうヒラヒラしたのが好きなら、やっぱりあのワンピースを買えばよかったのに」
「私が過去にきたのは、きっとあなたがこれから犯す犯罪を止めるためなんだから。ヒラヒラを着てて、重要な時に動けなくなったら困る」

その言葉に、ショッピングモールでのサキの表情を思い出す。きっと隔離所にあるテレビや何かで見たのだろう。一般人の「女の子」のきらびやかな生活を。
ヨーイチの記憶の隅で、なにかがチカチカと光る。そういえば……自室のデスクの引き出しにしまい込んだそれを手にとって、リビングに戻った。

「サキ」
「なに」
「これ、やるよ。このくらいなら邪魔にならないだろ」

いぶかしげな視線をよこしながら、サキはそれを受け取った。袋の中身を確かめた途端、目がまるくなる。

「いいの」
「ああ」
「……ほんとは、お姉さんにあげるつもりだったんでしょ」

図星をつかれて、ヨーイチは口ごもる。サキは無言のまま、テーブルに置かれた卓上ディスプレイを指差した。明日の日付に、『誕生日』のマークが表示されている。
無意識に、サキの背後の壁に視線がいった。リョーコが引っ越してきて、「殺風景だから」と言って飾った絵がそこには掛けられている。夕日のように真っ赤な、2輪の花の絵。

「もう、いいんだ」

ヨーイチのつぶやきに、サキは静かにうなずくと、自身の髪の毛を束ねてその髪留めでくくった。痛み気味の癖毛がひとつにまとまり、そのてっぺんに白い花がぱっと咲く。
案外似合うな、と思ったけれど、口には出さない。
鏡の前に立って、左右に頭を振りながら、サキは「へへっ」と笑みをこぼした。

「……ありがと」

素直に礼を言うサキに、ヨーイチも笑い返す。力の無い笑みだという自覚はあった。
同情したのだろうか。自分も、彼女も。
ナオキの嘘と、記憶の無い姉。からっぽになったヨーイチに、きっとあの時サキは同情した。そしてぎこちなく、頭を撫でたのだろう。
俺もそうだろうかと、自身の胸にともる思いをヨーイチは自覚する。俺も同情したんだろうか。からっぽの、何ももっていない彼女のことを。

「ねえ、明日の任務、私もついていくから」

ふいにサキがつぶやいた。
すかさず反論しようとしたヨーイチに、しかし強い口調でサキは訴える。

「あなたの親友が裏切ったこと……きっと、あなたがこれから犯す犯罪に関係があると思う」
「でも、おまえがいても何もできないだろ。第一、俺はまだお前のこと、自分の幻覚だっていう考えを捨ててないからな」
「わかってるよ。でも、百歩譲って私の存在が幻覚だったとしても、何かあなたにとって意味があるから現れているはず。でしょ?」

そうしないと、脳みその辻褄が合わないから。サキは、自信たっぷりに言い切った。

「だったら、ヨーイチには私が必要でしょ」

彼女は、空っぽだ。しかし、彼女はそれを満たすために……自分の運命に抗うために今、動いている。何にもとらわれず、自分自身の心で。

「まやかしだって何だって、いいの。私が生きていくために必要なことなら。とにかく、私は行くから」

どうして、彼女は前に進めるのだろう。
自分は、立ち止まってばかりなのに。

「わかった」

ヨーイチはつぶやく様に言った。

「俺が罪を犯す未来を、必ず食い止める。二人で」

何かが今、動き出そうとしている。
ヨーイチの言葉に、サキはにっこりと笑ってうなずいた。彼女の痛んだ髪に咲いた造花が、偽物であるはずの花びらが、その動きにあわせてきらきらと輝く。
こんなに美しい光を、自分の妄想で作り出せるものだろうか。ヨーイチはその光の残像を焼き付けるように、一度、瞬きをした。


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