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特許庁から菓子文化研究家への転職

2本目のレシピ記事の準備をしていたところ、投稿企画に「転職体験記」を発見。noteをはじめたばかりの自分を知っていただく機会になればと思い、先にこちらを書くことにしました。

新卒で特許庁に入り6年目に退職。菓子文化研究家の肩書きで仕事をはじめてから15年以上経ちます。この記事がどなたかの転職のご参考になったり、私が発信するアメリカの食にご興味をお持ちいただくきっかけになったりしたら嬉しいです。


国家公務員になるまで

アメリカンカルチャーに影響された団塊世代の親の元、まんまと北米好きに育ち、高校進学後に留学生募集の新聞記事を見つけてすぐさま応募。

「アメリカの食文化を見たい」と希望した私を約1年預かってくれたのは、共にカメラマン兼記者だったセルマ&アンディ夫妻でした。食の取材を行うアンディに同行し、アメリカ各地の外食産業や農・畜産業の現場を訪れると同時に、日々家庭料理や菓子作りを教わりました。

高校3年の秋に日本の高校へ復学し、東京外国語大学へ進学後は文化人類学ゼミに所属。食の本を読みあさり、バックパックを背負って世界中へ食の旅を重ねました。

卒業年にゼミの先生に院で食の文化人類学を研究したいと相談すると「文化人類学は食っていけない。別の仕事で稼いで食べた方が幸せだ。」と言われ自分なりに調べてみると、宮内庁や文化庁での食文化の仕事が向いているように思えました。

なぜ辞めた?の前に、そもそもなぜ勤めた?

国家公務員試験合格後は2つの庁を訪問しましたが、想像と現実の仕事内容の違いに頭を抱えました。世間知らずでした。食文化の仕事ができないなら民間で仕事を探そうか。でも超氷河期だし厳しいな・・・と霞ヶ関界隈のベンチでぼんやりしていたとき、通りかかった官庁訪問仲間にすすめられたのが特許庁でした。「最先端の情報が行き交う場所はきっとワクワクする。食とも関係がある。」と言われてその気になり訪問。場がエネルギーに満ちていて、ここで働いてみたいと思ったのです。

最初の配属先、国際課の仕事はやりがいがありましたが、異動になると自分の無力さを思い知りました。特許庁は知の宝庫で、あらゆる分野の専門家が集まり特許などの審査をしています。事務方の仲間たちも法学部出身など特許と真剣に向き合う人ばかり。

転職を意識して少しずつ準備

対する私は語学と食しか勉強してこなかった。次第にここは自分の居場所ではないと思うようになりました。独立に備え製菓衛生師の資格を取り、週末にル・コルドンブルーで学びはじめたのはこの頃です。

そして6年目。食文化研究をしたいと迷いながらも公務員になった私に「それでいいの?」と何度も問うたホストファザーのアンディが急逝したのです。悲しみの中セルマと話をするうち、やっぱり食の仕事をしようと決心。研究者が無理ならフリーで食の取材執筆をしていこうと決めました。

上司に退職の意思を伝えると「最初は楽しくても10年経ったら後悔するよ」と諭されましたが、辞めない選択をしても10年後にきっと後悔する。それに後悔するほどの職を辞したことは頑張るエネルギーになると思い、退職しました。

何者でもない自分を売り込む

それまでは全て試験でジャッジされる道を選んできました。高校受験に留学に大学受験。それから国家公務員試験。努力が成果に結びつきやすい道です。

それが一転。何者でもない自分を売り込む生活がはじまりました。まず訪ねたのは当時勢いを増していた情報サイト「All About」。企画が通り「和菓子ガイドサイト」を立ち上げました。まだガイドが少なく恵まれた環境で記事を配信し、公式ブログやメルマガを運営していました。取材を受けてくださる和菓子店の皆さまと読者の皆さまのおかげで成立した仕事でした。一方でアメリカの食については、最初はブログなどで少しずつ発信を始めました。

足下が崩れ落ちる感覚

100枚くらい名刺を刷り、執筆仕事を求めて挨拶して回ったものの、All About以外はほぼ門前払いでした。当然といえば当然。先方からすれば得体の知れない人間が訪ねてきたという感じでしょう。

そんなある日、休憩しようとカフェで座った直後、文字通り足下が崩れるような感覚に襲われました。自分なりに精一杯努力して得てきたすべてが崩れ落ちたと思いました。そんなメンタルになるとは思っていなかったので戸惑いましたが、とにかく特許庁に戻ることはできないし、10年どころか1年経たずして後悔なんてしたくない。後ろを振り返っても仕方ない。と気持ちを切り替え、というか言い聞かせました。

以降は細々といただける仕事を一層丁寧に行い、なんとかしがみついて数年経った頃には少しずつ仕事が増えていました。

出版が転機

そして5年目。PARCO出版から『コブラーとクランブル』を上梓し、環境がだいぶ変わりました。和菓子と並行して発信してきたアメリカの食の話が形になった本は名刺代わりにもなり、仕事もスムーズになりました。この本のご担当の方々には今もお世話になっています。足を向けては寝られません。
※上梓した本を知っていただけるよう動くことも必要だとようやく気づきnoteをせっせと書いています。

「アメリカの食」の仕事がメインに

当初の仕事の割合はアメリカの食2:和菓子8程度だったものが現在は逆転して9:1くらい。仕事の内容としては転職した当初の念願が叶っている状況です。

アメリカの食の仕事をメインにしながらも和菓子取材記事執筆を続けてきたのは、文化人類学の教授に「自分のルーツをしっかり理解してから別の文化のことをやれ」と言われたため。卒論も「和菓子」をテーマにしました。アメリカの食文化の記事を書くとき、和菓子の理解を深めておいて良かったと思うシーンは度々あります。(そもそも大の和菓子好きなので役得でもあります。)

昨年9月には9冊目の著書『アメリカ菓子図鑑』(誠文堂新光社)を上梓しました。ほかにサンフランシスコの菓子店「ミエッテ」のレシピ本を日本語に翻訳し、共著もあります。

現在は書籍や雑誌での執筆のほか、アメリカの食文化講座や企業のメニュー開発や企画などの仕事もしています。運が良かったことは否めません。

転職というとステップアップのためとか、起業して大成功とかそんなケースが多く目に入るかと思います。ですが、私のような転職後コツコツ型も少なくないはず。私の場合はですが、仕事の成果がすぐには出なくても、腐らず諦めず長く続けることが大切だとしみじみ感じているところです。

新刊『アメリカ菓子図鑑』もどうぞよろしくお願いいたします。すべての州の菓子を載せています。

2023年9月までに上梓した本9冊です


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