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団地の空き地と空き部屋で「仮想住人」がこだわりを表現。ODDな一日限りの文化祭『妄想アパートメント』の準備記録(前半)

初めまして、ワタナベシンヤといいます。
群馬県の前橋市で「ODDSCHOOL」という社会実験教育をやっています。

その団体で先週「妄想アパートメント」という文化祭を開催しました。
今回は、数ヶ月の準備記録と当日の様子、またそもそも文化祭をやろうとした経緯について、熱の冷めないうちに記録しておきたいと思います。
少々長くなってしまいます。ご興味あれば読み進めてみてくださいね。
※今回は内側視点・準備段階中心に書きます。当日の様子は後半記事。

ODDSCHOOLのきっかけ


僕がODDSCHOOLを始めたのが2019年7月。
前橋市にある老舗のお花屋さん「フラワーショップ花園」の2階でかつての教え子たちと共にスタートした。

教員時代

大学卒業後、群馬県教員として採用され
中学校、児童自立支援施設、特別支援学校の社会科の教員として教員時代を過ごした。

教員時代(2014)

教員を志した理由は思春期に学校生活でつまずいた自分が知りたかった
人生の選択肢を、教員の立場で増やす手伝いができたらという思いからだ。

ルーツの高校時代

勉強ができなかった高校生活、いろいろな遊びを覚えた。消費する遊びから、遊びを作ってみる事をした。帰宅部集団で「青空クラブ」を結成し、何もないで何かを楽しむ遊びをしていた。
色々大変なことはあるが、人との出会いと好奇心で小さな希望みたいなものを持ち続けることはできた。

子どもたちが好奇心を持てる機会を教員の立場で作りたかった。勉強嫌いだった当時の経験から、勉強に興味を持つようなきっかけづくりは何となく分かっていた。

一方で、それは学校生活だけでは難しいと感じる場面も度々あった。
むしろ卒業後の社会生活にこそ好奇心を見出す力は必要だと、仕事に忙殺されていた自分自身で気づく。

そこで、社会に出た後の忙しい毎日でも好奇心をくすぐられるきっかけの学校、それも実験ができる場所が必要だと考えるようになった。

心の相談室のようなセーフティーネットは必要だが自分の得意とするところではなく、人生の大半を捧げてきた「遊び」で、結果的に一次予防的なセーフティーを作ろうと思い、当時花園に居候していた友人やかつての教え子と始めたのがODDSCHOOLだった。

フラワーショップ花園2F(2020)
真冬屋上コタツ(花園混沌祭2019)
事務所どんぐりずLIVE(花園混沌祭2019)

大人の今、文化祭をする理由


そんな経緯で始めたODDSCHOOLだが、情けない話ちゃんとしたカリキュラムがあるわけでもなく背中を追いたい事例があるわけでもなかった。でも一つ、やりたかった事がある。それが文化祭だ。

文化祭に熱狂し、救われた高校生活

高校生活に原体験がある。
地元の祭も好きで担ぎ手として参加するような自分は、本来かけるべき勉強への熱を文化祭に注ぐ。
等身大の五重塔を作る班長になり、後先考えず人を巻き込んだ。自分にはいろんなジャンルの友人がいたため普段絶対に交わらないであろう人同士がいるカオス空間ができた。

高校文化祭準備(2007年)

リアルサイズ五重塔を作る、もうそれだけで互いの属性を飛び越えてしまい終いには不思議な絆が生まれたことは確かに覚えている。あの体験と思い出が高校の自分を支え、今を作っている。

大人の今こそ、日常に文化祭を。

遊びの経験と、多少の教育経験。
社会に出た後の忙しい毎日でも好奇心をくすぐられる契機づくりで始めたODDSCHOOL。


ここで好奇心がくすぐられる体験があり、越境できる学びがある文化祭が大人でもあったら楽しいし、選択肢に気づき増やすことにつながるだろう。そんなあるかもしれない景色を見てみたいと思い、文化祭を計画し始めた。


広瀬団地との出会い


今年2月、建築士の友人がリノベーションに携わった団地のオープンルームがあり、誘われたので行ってみた。

シェアハウスとしてリノベーションされた部屋(広瀬団地)

場所は前橋市にある広瀬団地。
高度経済成長期に建てられた、群馬県内最大規模の団地である。

北にJR両毛線、前橋街中に続く広瀬川沿いのサイクリングロードがあり、高駒線にも近い


現在団地は年々入居者も減り、空き部屋や修繕、地域のつながりの希薄化が課題となっている。訪ねて知ったが、広瀬団地にはこの課題に向き合い、学生中心とした団地再生プロジェクトを立ち上げた団体があった。それがLIFORTだ。


ここで文化祭をやりたい!

LIFOFRTの活動を見て、こんな気持ちが湧いた。
教員として関わってきた子ども達に団地出身者が多くいたこと
ODDSCHOOLが社会の場で学ぶストリート感を自分が抱いていること
多分この辺りからくるものだったと思う。

前橋の岡市議に相談した所、快く関係者と繋いでくださり団地の定例会でプレゼンの機会を得た。
そこで思いの丈をぶつけた結果、LIFORTや団地の方々のご協力のもと開催することが決まった。嬉しさと同時に正直とても驚いた。公共団地で実施する文化祭は事例がなく、ダメ元でのアプローチで挑んだつもりだった。


後から聞いた話では、工科大の堤教授を始め色々な方々が開催に向けて掛け合って下さっていたみたいだ。若者を起点に団地に活気を作っていこう、その思いで今日まで実験的な取り組みを続けてきたLIFORTと広瀬地区のイズムを強く感じた出来事だった。あの時、受け入れて下さり本当にありがとうございます。

※文化祭の提案時にまとめた資料(現在多少変更あり)


準備段階の施行錯誤


かくして開催準備へ。
まず取りかかったのはコンセプトづくりと仲間集め。
僕には普段からアイデアを相談する2~3人の友人がいる。
いずれも変態だが自分より常識も弁えているバランサーか変態道を爆走するアタッカー。

構想段階では、あったら楽しい世界を妄想することからスタートし、次の段階で色々なリスクを考えて常識人の自分が現れて妥当なアイデアに戻る。そこで「お前はそれで面白いのか?みたい世界なのか?」と友人達に言われることをいつも期待している。

左右に触れながら最適解を出すプロセスは僕にとってとても大切。
その過程を経て自分が考えたことは次の通り。

文化祭で伝えたいこと

  • 『愛せよお前の変態性』

文化祭へのこだわり

  • 色々な面白さやこだわりがごちゃ混ぜである

  • 関係者や居合わせた人にきっかけがある

  • 文化祭準備に学びがある


と、この辺りがでてくる前に、他の人にも声をかけ実行委員メンバー第一回の集まりをやってしまった。

余裕ある準備とイメージ共有は大切

自分の弱点はいつも熱だけあり、具体的な道筋がないところ。
にも関わらず集まってくれた実行委員23人。
不確定な要素を「あるかもしれない」と楽しんでしまうその変態性(心意気)に支えられた。

8月17日第一回実行委員の集い
この後準備不足でカオス会議に(ごめん)

団地へのプレゼンが3ヶ月前、実際に運営が動き出したのは2ヶ月前。
さすがに内側はカオス状態だったので、今反省するなら例えばこれ。


  • キックオフ時点で開催のイメージや思いが伝わるための努力(一言で伝わるキャッチコピーやデザイン、達成されたその日のイメージなど)

  • メンバー間の繋がりが生まれる機会づくり(身内イベント、グランドルール(ism)の共有など)

  • メンバーの役割と目的、共有機会の設定


さすがに2ヶ月のドタバタでこれをやるのは無理があったので、ある程度までパワープレイで進撃。昨今の自律分散型には程遠い世界。一回体験してイメージできることもある、と今回は割り切ってなるべく頭の妄想世界の出力に重きを置いた。

ODDの文化祭は準備に学びあり


とはいえODDで文化祭をやる目的は「皆と作るプロセスに学びあり」なので、限られた時間の中でも学びの機会を作る実験をやってみた。

準備はわかりあう少人数で進めた方が出力もイメージに近く、早い。
イベントだけ、成果物を目的とするならそれでいいのかもしれない。

だけどここはODD「SCHOOL」

ある一つの目的に向かうプロセスの中で一人一人が成長する=学びのチャンスをつくりたい。手放す勇気と手放すポイント、向き合うタイミングを試行錯誤した。少し事例を挙げる。

広報物のデザインと他団体との協働


デザイナー経験のあるメンバーと学生が手を動かしながら話し合う光景なんか、まさに互いの成長機会だったんじゃないか。
効率性・生産性、これらを運営・伴走側は考えながらも成長機会のためにそれらをちょうどいい塩梅で手放す練習。

学生は目の前の課題にとことん向き合い、今できる最高のアウトプットをしていた。

①ノンコードWEB制作サービスを使用し、LPを作成
(担当:県内看護系学生、写真撮影を得意とする)

②イベントロゴとフライヤーを作成
(担当:県内美術系学生、イラストを得意とする)


他団体との共創体験

この文化祭はLIFORTが主催する「FunFan団地」開催の一つのコンテンツという立ち位置でもあった。
同じ会場なので来場者の駐車場や誘導などに議論を重ねた。そこでも体験を一つ設計した。

③会場班の班長に団地全体の会場の会議に参加してもらう
(担当:県内福祉系学生、20代営業系会社員)

駐車場配置について

数カ所の駐車場があり、他団体と調整する場面。
それぞれの団体が限られた人員でいかに回すかということを話し合いに参加し、表には出ないがイベントを支える重要な裏側の過程の体験機会。

次第に自分達の側面のみならず、多角的に考える発言が増えていった。


この辺りは別の機会「文化祭学習という仮説実験」で述べたい。
このチャレンジはそれぞれの次につながる体験だった。


一方で、全てにこのような機会を作れたわけではなく、この機会を作ろうとすることで余裕がなくなってしまい、結果周囲への配慮に欠けることもあった。


「文化祭準備のある毎日をつくりたい」

つまり僕は、
楽しみ要素がたくさん詰まっていて、学びも多い「文化祭」と「その準備」が大好きである。
それが日々の生活にあったら人生はきっともっと充実する。

風変わりな学校として「文化祭学習」をもっと洗練させていきたいと思っている。364日の文化祭準備の一歩目のアーカイブとしてここに書かせていただいた。後半は文化祭当日の様子を記録していきたいと思う。


2021.12.7 (水) 
ODDSCHOOL 渡邉

https://www.instagram.com/odd__school/



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