夫に主夫になってもらったら、想像をはるかに超えて家族が幸せになったお話。
それは4年前のこと。
2人目を妊娠した私は、切迫早産で2ヶ月の入院を余儀なくされた。
その入院中に、今の我が家ライフスタイルのきっかけとなる「衝撃的な出来事」があった。
それは担当医の辞職。
40代前半ぐらいと思われる女性の先生が私の担当医だった。ある朝いつものように診察を受けると、唐突にも辞職することを告げられた。
産婦人科医として油ののった年頃なのに、仕事を辞めるとはよほどの理由があるに違いない。
同じ女性で医療従事者である私は、立ち入ったことと思いながらも驚きのあまり辞職の理由を聞いてしまった。
「なんで仕事を辞めるんですか?」
すると担当医の口から、人事とは思えない身につまされる答えが返ってきた。
患者である私の踏み込んだ質問に対し、この女性の担当医はここまで赤裸々に個人的な事情を説明してくれた。
その理由を聞いた瞬間、私は涙が出そうになった。
実は以前、私はこの担当医に「産婦人科医になった理由」も聞いたことがあったからだ。
産婦人科医とはいつ呼び出しがあるともしれない、まさに24時間体制の仕事。お酒を気軽に飲むことも、家族で旅行なんてなかなか難しいだろう。
そんな超患者ファーストの仕事をなぜ選んだのか、その理由をどうしても知りたかったからだ。
「なぜこんなにも過酷な産婦人科医の仕事を選んだのですか?」
私が尊敬の意を込めて質問すると、笑顔を浮かべながら担当医は次のように話してくれた。
なのにだ。
そんなにも仕事を愛し、人のために頑張ってきた彼女が、気がつくと自分の娘と十分に向き合ってこれなかったから仕事を辞めるというのだ。
何かがおかしい。こんなことがあって良い訳がない。どうして仕事と育児はこうも両立が難しいのだろう。
今までお世話になったお礼を言って診察室を出た後も、私はなんだか落ち着かない気持ちでいっぱいになった。
これは、将来の自分を見ているのではないだろうか?
私の中でそんな考えが頭の中をよぎった。
なぜなら振り返ってみると、私も医療従事者として仕事ファーストで働いてきたからだった。
子供が熱を出せば仕事を休んで看病することはしたけれど、しっかりと子供と向き合ってきただろうか?
これは3歳で字が書けなかった息子が、七夕の願い事として短冊に書いて欲しいといった言葉だった。
この息子の切実とも言える願い事が、私の胸にずっと引っかかっていた。
共働き夫婦だった私が子供と共に過ごす時間は、朝起きてから出勤するまでの1時間半と帰宅して寝るまでの2時間程度。
そのわずかな時間さえも、「早くして!時間がないから!!」と私は息子をを急かしてばかりいた。
いくら便利な世の中になったと言っても、仕事と育児の両立は並大抵のことではない。いつだって分刻みのスケジュールで、時間に追われるように暮らしていた。
忙しく働きながらも子供の成長をじっくり見守るなんて、時間の猶予も心のゆとりも体力さえも持ち合わせいない。
もう一人子供が生まれてくれば、その忙しさがさらに加速するのは火を見るよりも明らかだ。
私は自分と家族の将来が心配になった。
どうすれば私は絶対に返ってこない子供との時間を、後悔なく満足いくよう過ごせるだろうか?
毎日ベットでゴロゴロするだけの入院生活が、いつの間にかどうすれば自分の未来を明るく楽しいものに変えられるかを考える日々に変わった。
私が仕事を辞めれば、我が家は経済的危機に直面することになるだろう。
できれば、週2日ほど医療の仕事をして、残りの日は家でできる仕事を新たに始めて経済的に今と変わらないかそれ以上の生活がしたい。
しかし医療の仕事以外に取り柄のない私が、急に別の仕事に移行するのは無理がある。
そこで私は1つの目標を立てた。
上の息子が小学校に上がるタイミングで、子供との時間をしっかり確保できる生活に変えようと決めたのだ。その間、わずか2年。
医療以外に何の仕事をするかも決まらぬうちに、無謀にもただ漠然と私は自分に2年という期限を課した。
その後、私は退院し無事に2人目の子供を出産し、産後3ヶ月で職場復帰をした。子供がもう一人生まれたことで、予想通り日常生活は今まで以上に忙しくなり、私の心も体も悲鳴をあげていた。
私が仕事を辞めても経済的危機に陥らないように、なんらかの仕事を始めることなんて無理だった。
それでもこの2年の間、私は夫に家族時間を最優先する生活にしたいことを訴え、どうしたら実現するかを一緒に考えてもらった。
その結果、私達夫婦が目標を実現するために出した答えは意外な形になった。
それは私ではなく、サラリーマンである夫に仕事を辞めてもらうという形。
夫は普通のサラリーマンで、営業の仕事を自分なりに楽しんでしていた。別に仕事を辞めたかったわけではない。
しかし夫婦で考え抜いた結果、私ではなく夫が主夫をした方が、家族が幸せになるという答えに辿り着いたのだ。
なぜなら、夫の方が料理が圧倒的に上手い。
根っからの食いしん坊なゆえに、実に美味しいご飯を手際よく見事に作ってくれる。ちなみに、私は食べるのは得意だが、料理は大の苦手。
そもそも夫は一人暮らしが長かったので、料理以外の家事も問題なくスマートにこなす。主夫を任せて技術的に何の問題もない人だったのだ。
また、夫は物事に動じない鋼のメンタルを持っている。
会社という組織に所属せずとも全く不安にならない、極めてマイペースな性格。さらには主夫になったからと言って、自己肯定感が低くなることもない。
一方、私は毎日家にいたらストレスが溜まってしまうタイプ。週に数日は外で働いた方がご機嫌でいられる性格だ。
これらの理由から、我が家は妻の私ではなく夫が家事と育児をするのに適しているという結論に至った。
それでもこの選択を実行するのは、私にとってすごく勇気が必要だった。
なぜなら夫が仕事を辞めて入ってこなくなる給料分のお金を、補う方法など確立されていないままの見切り発車。
本当に私だけの稼ぎで生活していけるのか?これから先、家族は幸せにやっていけるのか?
不安で押しつぶされそうな夜もあったが、それでも私と夫はこの選択を実行した。
さもないと、いつまでたっても家族の時間がゆっくり持てるようになる日など来ないと思ったからだ。
現在、夫が主夫になって2年目に入った。
息子は車とサッカーが大好きな小学2年生になり、娘はワガママ盛りのおませな4歳になっている。
この私達の無謀とも言える挑戦は、想像をはるかに超えるたくさんの幸せな家族時間をもたらした。
夫が家事をしてくれるおかげで私の体力と時間にゆとりができ、日曜日に海水浴だって川遊びだって思う存分楽しめるようになった。
さらには、昔なら疲れるのが嫌で挑戦できなかったキャンプに、週末ごとに行くようになった。このキャンプのおかげで、家族ぐるみでお付き合いできる素敵な仲間までできた。
遊びの面だけでなく、息子の教育面でもこのライフスタイルは功を奏した。
保育園で読み書きを学ぶことが禁止だった息子は、小学生になってから文字を覚えた。周りの同級生と比べるとかなり勉強が遅れていた息子だったが、夫の懸命な指導で今ではスラスラと本を読むようになった。
さらには自転車の補助輪を怖くて外せなかった息子に、夫はつきっきりで根気よく練習に付き合った。その結果、わずか3日で息子は補助輪なしでスイスイと自転車に乗れるようになった。
縄跳び大会の練習の前になると、夫は二段跳びを自ら飛んで見せ、息子もそれを見よう見まねして飛べるようになった。
勉強はさておき、自転車や縄跳びを息子に教えることは、私には到底できなかっただろう。
またイヤイヤ期の娘の育児にも、このライフスタイルは上手く作用している。
保育園に通う4歳の娘はワガママ盛りの難しいお年頃。ちょっとでも気にくわないと、全力でふてくされるため手がかかる。
そんな何かとめんどくさい娘に対し、このせっかちな私が「早くして!時間がないから!」と言わずに済んでいるのだ。
息子が同じ年齢の時には1日に何度となく口にしたこの言葉を、娘には全く言わなくて済むようになった。それは、夫が主夫になったおかげで、私に時間のゆとりと心のゆとりができたから。
以前より少し気長になった私は、娘の好きなペースで着替えたり歩くことを見守れるようになったのだ。
保育園のまでの歩いてわずか3分の道のりを、娘はタンポポを積んだり、サワガニを追いかけたり15分以上かけて毎日歩く。それを一緒に楽しめる幸せなお母さんに私はなった。
ただ夫に仕事を辞めてもらっただけで、この生活の変化はまさに奇跡レベルだと思う。
いつまで夫が主夫の生活を続けられるか、先のことなど全くわからない。
お金の不安などないと言えば嘘になるが、今というこの時間を楽しめているのであまり心配していない。
何よりも、子供が大人になるまでの間の親と一緒に遊んでくれるほんの少しの時間を、将来の不安のためにあくせくと働くことで失うことはしたくない。
私達夫婦の選択したライフスタイルは、妻が働き夫が家事と育児をするという一般的ではない夫婦の役割分担だった。
でも想像していた以上に、このライフスタイルは私達家族をより豊かに幸せにしてくれた。
今後はこのライフスタイルがさらに発展し、もっと多くの時間を家族で楽しめるよう突き進んで行く予定だ。
何をどうするのかは具体的に決まっていないが、自分達の未来がより良いものになるよう、これからも夫婦で協力し絶対に諦めないつもりだ。
10年後の今日、子供達が親と一緒に遊びたくなどないと言うようになったとしても、十分遊んでもらったからいいよときっと言えるように。
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