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「集団で感じる孤独」との付き合い方

 飲み会で周りに座る同僚の顔を見る。みんな笑っている。上司のカスみたいなジョークにげらげら笑っている。「こいつらが嫌いだ」と思い、深い孤独を感じる。

 この種の絶望を感じたことがある人は多いと思う。学校では気の合う友人ができない。職場ではランチに誘われない。飲み会でも浮いてしまう。孤独というのは不思議なもので、誰かといる時ほど深く感じてしまう。そして集団の中の孤独ほど、辛いものはない。

 こんな孤独と三十五年間付き合ってきた私(どこに属している時も「ちょっと浮いているよね」と言われる。クソッ)が、解決策を申し上げよう。

「大丈夫、だんだん慣れるから」

 はぁ?? と思った人は正しい。慣れなくて困ってるから、お前の記事を読んでやってるのに……と呪いを飛ばす前に、落ち着いて欲しい。ちゃんと説明するから。

 「集団で感じる孤独」を因数分解すると「周りの人間は楽しそうなのに、自分だけ居心地が悪い」あるいは「他の人はうまくやっているのに、自分だけズレてしまう」という言葉に置き換えることができる。これは本当に辛い。趣味や自営業なら、苦手だと思ったらすぐに離れることができる。でも学校や会社ではそうはいかない。

 学校では嫌な目つきをした女子グループと同じクラスになれば、一年間は同じ部屋の空気を吸わなくてはいけない。上司に気に入られることだけは長けている攻撃的でバカな同僚と、同じチームになることもある。嫌な奴らは人に気に入られるのがうまい。でもあなたは身を守るために、彼らと距離を置く。すると「みんなといるのに一人ぼっち」が出来上がる。

 この状態は非常に居心地が悪い。当然だ。人間は相対的な生き物で「周りが楽しそうなのに、私だけ楽しくない」という状況に耐えられる強いメンタルを持ちあわせていない。「ポジティブ・シンキング」「気にしない力」などというコンプレックス商法の権化、一年後には忘れ去られるような自己啓発本でなんとかなる問題ではない。そんな本を読んで解決するくらいなら、とっくに国民幸福度はブータンを抜かし、自殺率で北欧と首位を争うことなんてしなくなる。

 では、どうすれば良いのか? 慣れるために、何をすれば良いのだろうか?それは、ひたすら直感を鍛えることだ。この集団にいても私はアウェイだろうな、という「自分にとって不利な予感」を感じ取れるようになろう。

 始めはうまくかずに嫌な目にあう。次は逃げてみて意外と大丈夫だったと知る……これを繰り返すうちに、自然と嫌な集団を避けられるようになる。大学生はクラスはでなくサークルに居場所を作ったり、漫画やアニメに現実逃避する。会社員だった人は会社を辞めて、一人で商売をするようになる。第六感を甘く見てはいけない。

 世界はみんなにとって居心地の良いように、構造的に作られていない。大学のクラスでワイワイやってる方が楽しい人もいれば、会社員の方がうまくやっていける人もいる。自分がどう感じるかが最も大事で、99人にとって働きやすい会社が、残りの1人にとっては劣悪な環境かもしれない。その1人があなたという可能性もある。あなたが心地良くないと感じる集団が、悪いというわけではない。ただ違うだけ。違う人たちと無理に一緒にいる必要はない。大丈夫、彼らにとってもあなたは違うと思われているから。

 だから、自分が孤独を感じなさそうな生き方を選べばいい。例えば私は六人以上の集まりが苦手だから「誰かとご飯を食べるのは六人まで、できれば四人まで」と決めている。一時期は組織に属していたこともあったが、「ここで求められているのは私の力ではない」なと感じて、今はどの組織にも属していない。オンラインサロンや習い事をしていたこともあったが、あるタイミングで価値観があわなくなってきて、辞めた。

 私はものすごく欲深い人間だから、他人の欲に対しても人一倍、敏感だ。「この人はこうなりたいんだな、こう思われたいんだな」というのを感じ取ってしまう(なんて無駄なスキルだ。もっといいギフトがあっただろうに、神様よ……)。健全な欲求や能力に見合った願いなら流せるけど、強すぎる欲を感じると疲れてしまうし、「あんたじゃ力不足だよ。アホか」と見下してしまう。最悪なことに、私は思っていることがすぐ顔に出るから、おそらく相手にも伝わるのだろう。その手の人間からは嫌われてきたし、ここでは書けないくらい、ひどい攻撃もされてきた。

 だから、学んだのだ。その手の人間、つまり私の場合は「欲が深くて居心地が悪くなってしまう人間」がいる集団には、近づかないようにしようと。どうしても一緒にいざるを得ない時も、少しなら大丈夫になってきた。慣れたから。スルーする力がつくし、心の中でバリアを張ったり、都合よく相手が体調が悪くなるとか、家族が風邪をひいてくれるとか、だんだんそういうふうになっていった。

 人生は進むにつれて、前より良くなっていく。自分自身に前より馴染むようになる。明らかに自分が割を食いそうな相手と「仲良くしたい」と思わなくなるし、面白くないジョークに無理に笑う必要もなくなってくる。すべては慣れだ。

 今は辛いかもしれないし、すぐに効く薬が欲しいかもしれない。それでも合わない服をたくさん着ていくうちに自分にぴったりの服が見つかるように、人生も合わない経験をたくさんしていれば、絶対に自分にフィットする空間や人間や仕事が見つかるようになる。ある小説に、こんな一節がある。

 俺はパーティーが大嫌いだった。どうやって踊ればいいのかわからないし、パーティーに来ている連中が怖かった。みんなセクシーで明るく気の利いた風に見せようとして、そういうのが自分は得意なんだと思いたがっていた。しかし、なっていなかった。ひどかった。一生懸命やるもんだから、余計みっともなくなるばかりだった。
(中略)
 俺は列には加わらなかった。同僚が従順に名前と住所を言っているのを見ていた。俺は思った。こういうのがパーティーの時、綺麗に踊るやつらなんだ。

チャールズ・ブコウスキー『勝手に生きろ!』

 あなたは綺麗に踊る必要はない。もっと言えばパーティーに行かなくても良い。リビングでポップコーンを食べながらNetflixを観ても構わない。パリピたちのSNSにタグ付けされるよりも、心にずっしりと残るような名作に出会う道を選ぶ。それが「自分の人生に慣れる」ということなのだ。

※本文の一文目は『勝手に生きろ!』のオマージュです。

<文/綾部まと>


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