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【小説】木星サウナ

 悪い事は重なるものだ。バス停に駆け込むと、運転手はいやな目つきで私を見た。彼の瞳には、部署の飲み会で疎外感を味わった、憐れなアラサー女性が映っている。無情にも扉は目の前で閉まり、火星行きの最終バスは去って行った。
 今夜は木星で越すしかない。バス停のベンチに座ると、宇宙服を着た人間が、ふらふらと横に腰を下ろした。細身の男性で、二十代前半だろう。彼は言った。
「はー。整うわ……」
 良い声をしていた。透き通った、真っすぐな声だった。
「たまんないっすね。木星サウナ」
「サウナ?」
 彼は顔をこちらに向けた。
「整い椅子ですよね? ここ」
「バス停だよ」
 怒りを込めて返す。要領とタイミングの悪さが、私の人生に重低音のように響いていた。
「へえ。一緒に入りません?」
「は?」
「四二〇度のサウナ室と、マイナス七三度の水風呂。木星サウナは銀河イチですよ」
 彼はほほ笑んだ。あたたかく、深い笑みだった。
「あ、服は着たままですよ」
 からかうような声に導かれ、腰を上げる。今夜だけは何もかも、すべて水に流せる。そんな予感に包まれていた。

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