流れ流れて、今ドイツ~私の移動変遷期
ドイツ名物、ケーキにフォーク垂直差し(苦笑)。
ケーキの横から刺すバージョンもあり。
ドイツ人のおじいちゃんや、
実際にサーブしてくれた女性いわく
「フォークの出し忘れ防止」と
「皿から落ちること防止」らしい。
ある意味実用的、日本で祖父母含めた3世代家族に
育った私にとって、これが出てきたときの驚きようはなかったなぁ。
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生まれも育ちも 但馬牛が有名な、
兵庫県(但馬地方)の三世代家族で育った。
保守的な地場産業の家具屋を営み、
3人兄弟の真ん中、男兄弟に挟まれた女の子。
女性たるもの、
結婚が人生最大の幸せと言われ続け、
なんとか、おしとやかに、可愛らしく
ピンクが似合う女の子になってほしかった
祖父母や両親・・。
が、現実は、甘くなく、
兄のおさがりのブルーのつなぎを着た、
髪の毛の薄い女の子の赤ん坊は、
「あら、元気な男の子さんね♡」と
ご近所から言われ育った。
それでも、あきらめきれない祖父母は
ピンクのつなぎを買い、男の子のような私に
それを着せてた。
そして、私のピンクのおさがりは、
私と真逆の売るほど豊富な髪の毛を持つ弟が着て
「今度は、女の子でよかったわね」と
言われたらしい。
育つにつれて、無事ワカメちゃんほどに
髪の毛がのび、スカートもそこそこ
似合う女の子になった私だが、
ちっともおしとやかにはならなかった。
周りに、豊富な自然があり、夏は川で魚とり
冬はスキー、春、秋は山の中を駆け巡り、
家の中では、両親、祖父母がいうことを
ほとんど聞かないので、
「わがままをしょって生まれた子」と
言われた。
ここまでいうと、
めっちゃ元気で
年がら年中半ズボンはいてそうな
イメージだが、なぜか体は弱く、
しょっちゅう扁桃腺を腫らし、
おなかを壊し、なんだかんだといって
病院やら、保健室のお世話になってた。
そんな私、平成も終わるという時期に、
生誕半世紀、50歳の節目を迎えるんだが、
地理的にどういうところに住んできたか
生活してきたかを
ざっくりと簡単にあらわしたのが↓これ。
(0~23歳)
兵庫→京都→→アメリカ(ハワイ含む)→京都
(23歳~43歳)
大阪(阪神大震災)→兵庫→台湾(台湾大地震)→東京(東日本大震災)
(43歳~現在49歳)
マカオ→コソボ→北極(ノルウェー領スヴァールバル諸島)→ドイツ
特に最後(ここ10年弱)は、冗談でしょ?っていうくらいワラエル。
私は、特別、すごい学歴をもっているわけでも、
超一流ビジネスマンでも、ましてやJICAなどで
ボランティアに励んできたわけでもない。
ごくごく一般的な女性です(だとおもってる)。
それが、なんでこんなことになったのか。。
自分でも不思議だが、まぁ、一言で言えば
強運なのかなぁと思う。
特に、でっかい地震に3回もあってるが、
直接的な被害はほとんどなかった。
(東日本の時に、コップが1つ割れたくらい)
あと、いろんな国にすんでることについて、
私は、海外に行くことと、隣近所に行くことは
あまり違いを感じない。
もちろん、最初に住んだアメリカでは
住み始めたころは、異様にテンション高かったんだけど、
それ以降、旅行に行くにも、どこかに住むにも、
家族には「ちょっと〇〇に行ってくる」としか言わなくて
出かけるもんだから、
母親に、「隣のお家に遊びに行くみたいに海外に行くっていうな」と
注意された・・笑。
日本では遭わないような危険な目にあったりとかはあるんだけど、
それでも、私にとって、隣に行くのも、北極に行くのも
なぜかあまり変わらない。
そして、自分が心底行きたい、住みたいと思っていた国では
無い国に多くすんでいる。今のドイツもそう。
だから、正直、住んでる国に対して、期待値が高くも低くもない。
ただ、今の状況をそのまま受け入れて、
そして違うなぁ、似てるなぁと客観的に感じてる。
素晴らしいところは素晴らしいし、
ちょっと違うでしょ?ってところもある。
そのへんは年の功も多分にあるように思える。
なんかダラダラ書いてしまったけど、
こうやってまとまりのない文をみながらでも
自分ながら、すごい経験をいっぱいしてるなぁと思う。
これから、私はどこに住むんだろう。
今のところはしばらくドイツだろうとおもうけど
また、ふわっと流れていくのかもしれない。
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