少年野球チームという居場所が救いになった

現在中1の息子は、小4の2学期に、一時的に不登校気味になりましたが、担任の先生が必要としてくれたおかげで、学校をほんの一日休んだだけで済みました。

『不登校の始まりは、小4の行き渋り』
https://note.com/happyfutoko/n/n16cc96db815f


残念ながら、その時お世話になった担任の先生は、年度末に他校へ異動していき、息子は5年生になりました。

5年生に進級して以来、学校がいやだと漏らすことがあっても、「行かない」日はありませんでした。これは意外なことでした。

そして、わたしにとって有り難いことでもありました。その時はまだわたしの中にある「不登校」のイメージは、非常によくないものだったから。

少年野球チームに入団

彼にとって学校生活が充実していたわけではなかったと思うのですが、もしかしたら、小4の1月に始めた少年野球のおかげで、気持ちの切り替えが上手にできていたのかもしれません。

同じクラスの友達が誘ってくれた体験会に参加したら、野球やチームに魅力を感じたのか「野球をやりたい」と言ってきたのです。

息子は体が大きくて、ちょっとどんくさいタイプ。走るのは速くはないし、運動は好きではなかったんです。

3年ほど週1でサッカーをやっていたけど、親に隠れてサボってばかりでした。今思えば、サッカーは合わなかったんだろうなぁ。

ピアノもやソロバンなど、過去に親の意向でやらせた(やりたいって言うように親が誘導した)習いごとも、続きませんでした。

そんな息子が、「野球をやりたい?」そんな体力や根性は、あるの?

「いや、無理でしょう。」と私は内心思っていましたが、本人がどうしても野球をやりたいと言うので、「途中で投げ出さない」ことを条件に、始めることになりました。

はたして、息子はみるみるうちに、野球に夢中になっていきました。

スポーツや習いごとに、「合う」「合わない」ってあるんだ、とその時初めて知りました。ピアノやソロバンなどの本人にとって気が向かない習いごとを、半ば強制的にやらせてきたことを申し訳なく思いました。

さて、野球がある週末は、息子は朝からウキウキした様子。グラウンドまでの自転車で片道20分の距離も、元気に通っていました。

学童野球チームに入って一番良かったのは、チームメイト、そして親でもなく学校の先生でもない立場のコーチ陣との関わり、だったと思います。

家で親に怒られても、学校がつまらなくても、野球に行けば、チームメイトやコーチが、彼の良さを認めてくれました。

キツイことがあっても、叱られることはあっても、存在そのものを認めてくれる、そんな揺るぎない居場所があったから、小5の年は不登校にならずに済んだのかもしれません。

中学生になった今でも、OBコーチとして、チームの活動に関わらせてもらっているのは、とてもありがたいことです。

3学期の学級崩壊

小5の1学期と2学期は、比較的おだやかに過ぎていきましたが、3学期になって、学校での「問題行動」が始まりました。

3学期早々、担任の先生のお休みが続きました。

「来週には来ます」「2週間後には復帰します」というお手紙が続き、担任の先生自身は復帰の意思を持っていたようでしたが、結果的には、3学期には一度も学校に来ることはありませんでした。

担任の先生の存在って、子どもたちにとっては大きいのですね。担任の先生の不在が続き、いつ来るかわからない状況が続くうちに、学級はみるみるうちに荒れていきました。

先生がその時々に空いている先生が授業に入ってくれたようですが、落ち着かないのか、子どもたちの情緒がどんどん不安定になっていきました。親同士で情報交換すると、どこのお子さんも多少なりとも、荒れている様子。

子ども同士のトラブルも増えていきました。

私の息子については、授業中に机に突っ伏して寝ていたり、授業中に本を読んで授業に参加しない、授業中に校内を徘徊するなどして、先生の手を焼くところになり、副校長先生から何度電話が入ったことか・・・。

大荒れに荒れてどうしようもない状況の中、2020年2月、感染拡大防止のための一斉休校に突入しました。

幸か不幸か、5年次は強制終了となりました。

これからどうなるんだろうと心配になりつつも、もう学校から電話かかってくることもないわ~と、厄介ごとから一時的に解放されてほっとしたのでした。

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