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ガン

ガンになったことをすぐ夫に知らせました。
その日は、心細くて、乳飲み子を抱えて3才、5才の幼稚園児をお迎えに行き、そこで担任の先生達に伝えました。とっても親身になってくれ、ずっと夕方まで幼稚園で一緒に居てくれました。3人の子を抱えて、1人になるのが怖かった。
自宅近くまで帰って来て、近所の年配の知り合いに会い、また病気のことを話すと、「人は、病気では死なないんだよ!寿命で死ぬんだよ」と教えてくれました。それは、救いでした。
そして、家に帰り、子供達の世話をして、夫を待っていました。早く帰って来て欲しかった。眠れず、ずーっと夜遅くまで帰って来ませんでした。
このことは、ずーっと恨んでいました。
しばらくして分かったのですが、夫もショックで泣いていて、その顔を見せたくなくて、落ち着くまで帰れなかったみたい。

養母のことを知ってる私は、養母には、言えませんでした。言ったら、ほんとに、怒られる!と思ったのです。
それで、養母より14才下の妹、叔母さんに電話で知らせました。それで養母に伝えてくれました。
養母からは、電話で、体調を聞かれることも無く、とにかく、お金はあるの?と何度もしつこく聞かれました。それが悲しかったけど、怒られるよりマシと、答えました。大きい保険に入ってるから大丈夫だよ、と答えました。
後に、分かったのですが、私のガンを知ってから、養母は、すぐ、私に保険をかけていました。そして、一年後、こっそり、保険金を請求手続きしてました。ひょんなことで、その事実を知りました。

また、20年後、理由を言わず私の保険証をファクスで送りなさいと言って来ました。
養母のことだから、何に使われるか?怖くて、理由を聞きました。あんた、関係無いから!と全然教えてくれず、
理由が、分からなければ、送れない!と言いました。
それで、生存給付金請求に必要と知ってビックリ。もっと、ビックリしたのは、私のガンのステージが、養母が入った保険が出るステージほど重く無かったから、保険が降りなかった!とガッカリした様子。
思わず、私は言いました。
「そこまで、ガンが重く無くて、良かった!じゃないの?」
養母は黙ってました。
私は生存してたので、本当は、生存本人が受け取り人だったそうですが、給付金を養母がずっと受け取り、20年後くらいに養母の不正受給が発覚しました。ガンだと知ってから、私に保険をかけるなんて!ゾッとしました。

私は、手術をし、その頃、有名人が次々とガンで亡くなったので、怖かったけど、
子供は、絶対私が育てる!私のように、親に育ててもらえない子にはしない!!と決めていました。予定より長引いたけど、退院し、家に戻りました。