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親がいなくなった時、自分は泣けるのだろうか···12 ( Part2 (再会) ) # 家族について語ろう


【 前回までのお話 】


前回までの11記事でいったん終わりを迎えたこの連作。その最後に結論として「やっぱり僕は泣けない」と締めくくりました。

でも、最近そうした気持ちも少しずつ変わっていっていることに気づきました。自分でも不思議なんですが、そういう心境の変化ってあるものなんですね。

その辺りの現在進行形の親への気持ちをこのPart2で書いていけたらなと思います。


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先日、久しぶりに施設で暮らす祖父のところへ両親とともに行った。2023年10月26日、祖父はついに90歳の節目を突破した。

今も健康寿命を全うしており、何より血のつながった身内どうしでお祝いができることがこの上なくうれしかった。

この日、久しぶりに祖父の笑顔を見た。
歳を重ねると、顔の表情が乏しくなることを僕は知っていただけに、その笑顔を見れただけで少し感動してしまったほどだった。

次から次へと両親と僕が祖父へ誕生日プレゼントを渡す。両親からは服のプレゼント。これがまたよく似合っていて、

「じいちゃん、それ似合ってるわ」

と僕が言うと、

「そうかいな、へへ」

と言ってまた白い歯を見せた。
よく祖父が笑っていた昔に戻ったようで、このまま時が止まってくれたら、なんて自分でも笑ってしまうくらい非現実的な想像を膨らませてしまった。

僕からは来年のカレンダーとメッセージが入った額の置き物を渡した。あまりにも今の僕の気持ちにぴったりだったので、少々無理をして買ってきた置き物だった。

今まで散々、可愛がってもらった祖父に、逆に恩返しする年齢になった。

ここ3年ほど毎月、施設にお見舞いに行っているが、本当はもっと行ってやりたい。遠いから、忙しいからなんて言い訳せずに。

会って話すことが一番の恩返しになる。
いつも行く度に目を赤くして喜び、僕に向かって

「この施設を出たら絶対に恩返しするからな」

なんて真っ正直な顔で言う祖父に、

「ありがとう、楽しみにしとくな」

と僕は笑顔で返す。そんな切ない言葉に優しく僕が相槌を打つのは、何よりその気持ちがうれしいからだ。

僕が頻繁に祖父のもとへ行くのを喜んでいるのは祖父だけではない。両親だ。

「じいちゃんをいつも喜ばせてくれてありがとう」

と心の底から感謝しているようだ。親からひどい仕打ちを受けて育った僕としては、今さらそんな感謝の言葉をかけられても何とも複雑な気持ちになってしまう。まだ完全に親のことを許せていないのだろう。

でも何はともあれ、この日は久々に両親に会う絶好の機会となった。そのきっかけを作ってくれたのは祖父だった。祖父は僕たちが祖父にあげたプレゼントを何倍にもして僕たちに返してくれたのだった。

「さあ、そろそろ帰ろうか」

という父の言葉を合図に帰り仕度をし、僕たちは名残惜しさを残しながらも祖父の施設を後にした。

そのまま電車で帰ろうとした僕に、母が少し緊張した笑顔で、

「帰り、みんなでお茶でも行かへん ? 」

と声をかけてきた。迷った末、僕は行くことにした。久々に両親とじっくり話すと僕の心の中の何かが変わっていくかもしれない。そんな予感がしたのだ。

夕方だというのにもうすっかり暗くなった秋空の下、僕たち3人を乗せた車はゆっくりと動き出した。






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