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夜行バスに乗って

3月と言っても21時ともなると寒さが厳しい。
バスを待つ人々の列はそれほど長くなく、暗がりの中、皆一様に体を震わせながら静かにバスが来る方向を見ていた。

やがて辺りに漂う静寂を切り裂くような大きな音とともに夜行バスが停留所に入ってきた。早速、乗り込むと、1つ前のバスターミナルで多くの人が乗ってきたらしく、車内はほぼ満席だった。

席の間を縫うようにして指定席にたどり着く。
ようやく寒さから解放された安堵感もあり、席に着くとすぐにリラックスできた。このローカルな停留所での待ち時間は短い。

「それでは帳面町停留所、発車します」

という若い女性運転手のアナウンスが流れた時だった。フードを被った若い男性が「すいませーん」と言って急いで私の隣の座席に乗り込んできた。

夜行バスではよくあることだ。運転手含め誰も特にびっくりするわけでもなく再度のアナウンスとともにゆっくりとバスが動き始めた。

「ふ~、間に合ったー」
息を切らせて呟く男性に心の中で(よかったね)と言いながら眠りにつこうとした時、その男性が唐突に声をかけてきた。何、急に ? 

「あのー、このバスの中Wi-Fi使えるらしいんですけど、設定の仕方とか分かります ? 」
そんなこと50代女性の私に聞かれても分かるはずがない。「ちょっと、ごめんなさい···」と小声で言うと男性は軽く頭を下げて真っ直ぐ向き直った。

全く、変わった人だなぁと思っていると、
「えっと、次のサービスエリアに着くのって何時でしたっけ ? 」とまた声をかけてきた。
面倒くさくなった私は、「知りません ! 」と言って急いでカーテンを閉めた。

いい加減、寝させてよ ! 
最近の若い子はこんなに非常識なのかしら。
一瞬腹が立ったが、それはそれで大人気ないと思い、気持ちを落ち着け目を閉じた。

脳裏に浮かぶのは17年前のあの日の光景。
私たち夫婦に初めてできた子どもは生まれつき難病を患っていた。ずっと病室で過ごす翔太と名付けた我が子が私たちは愛おしくてたまらなかった。

男の子が好きそうなおもちゃをたくさんあげたり、色んな場所の写真を見せてあげたり、できる限りの愛情を注ぎ込んだ。あの頃が一番幸せだった。

様態が急変したのは3才になった可愛い盛りの頃だった。食欲は落ち込み、体はやせ細り、わずか1ヶ月と経たないうちにこの世を去った。

私たち夫婦はベッドに顔をうずめて号泣し、健康な体に生んでやれなかった自分たちを心底責めた。責めて責めて責め抜いた。あの子の人生って何だったんだろう、自分たちは何を残してやれただろうかと、毎日、自問自答する日々が続いた。

さらにその数年後、追い打ちをかけるかのように唯一の心の支えだった夫が急死した。
幼い一人息子を失い、最愛のパートナーを亡くし、生きている意味を見出せなくなった。

辛くても前に進まないといけない。分かっている。
でもそうは思っても心が全くついていかない。
そんな時期が今日まで17年続いた。

この世に節目というものはないけれど、どこかで自分の気持ちに区切りをつけて前に進もう、そう決心できたのはつい最近のことだ。亡くなった息子がもうすぐ生きていれば20才になる。

今このタイミングしかない。そう思った。
後悔ばかりの人生からの再スタート。その前にどうしても見ておきたい場所があってこのバスに乗った。再スタートに欠かせない場所へ行くために。

どれくらい寝ていただろう···
車内がアナウンスの声とともに急に明るくなった。
1つ目のサービスエリアに着いたようだ。
次のサービスエリアまでは時間がある。念のためトイレだけ行っておこうか。

少し外の空気を吸ってバスの車内に戻ると、隣のフードを被った男性がフードを外して何やら鞄の中を探している。ふと何かを落とした。
慌てて「それ」を鞄にしまうと、スマホの充電器を取り出し、スマホに繋いだ。

その横顔を見て一瞬にして体中が震えだした。
あの顔。そしてあの落とした物···。いや、そんなはずはない。ただの勘違いだ。相当疲れている。
再び深い眠りに落ちた。

しばらくするとまた車内がほんのり明るくなった。
「サービスエリアに着きました」
やはり外の空気を吸いたくなり、バスを降りて近くのベンチに腰掛けると、先ほどのフードの男性がおもむろに近づき、ごく自然に声をかけてきた。

「すいません、お隣いいですか ? 」
そう言ってやや強引に横に腰掛けると、私の目を覗き込むように見てきた。その動作に不思議と何も違和感も不審感も怖さも抱かなかった。

「今日は星空が綺麗ですね。」
「そうですね···」
「僕は歌というものをほとんど知らないんですが、ただ1つだけあなたに聞いてほしい歌があるんです」

そう言うと男性は、まるで口笛でも吹くかのような気軽さで何やら歌を口ずさみ出した。

「見あ~げてごらん〜夜の〜星を〜 小さな星の〜小さな光が〜 ささやか〜な幸せを〜祈ってる···」
私の大好きな坂本九の曲だ。辛い時、寂しい時、何度この歌に救われてきただろう。

さらに続ける。「手をつなご〜僕と 追いかけよう〜夢を 二人なら苦しな〜んかなーいーさー」
しばらくの沈黙の後、男性が立ち上がり言った。

「僕が小さな頃よく聞いてたよね、『母さん』。辛くなった時はいつでもこの歌を思い出すんだよって言ってくれたよね」

思わず、急速に体中から力が向けていく。

「しょ、翔太なの !? 本当に翔太なの !? 」
「そうだよ、母さん、本当は気づいてたでしょ ? あのピストルのおもちゃ大好きで遊んでたものだよ。僕もう20才になったんだ。だから母さんにはこれからは前を向いて進んでほしいと思って来たんだ」

信じられない気持ちと現実であってほしいと願う気持ちが交錯したが、後者の方が勝った。

「翔太···。やっぱりあなただったのね···」

3才の姿のままで止まっていた息子が今、大人の姿で私の前に立っている。急激に胸に熱いものが込み上げる。私は思わず息子を夢中に抱きしめた。小さかった体はいつの間にか私よりはるかに大きくなっていた。私はその胸の中で嗚咽を漏らした。

「ずっとあなたに謝りたかったのよ。健康な体に生んであげられなくてごめんなさいって。自分のせいだって。その思いが今も消えないのよ···」

「謝らないでほしい。僕は生まれてきて母さんや父さんに出会えて本当によかったと思ってる。健康な体の代わりにたくさんの愛をくれたよね···。うまく言えないけど···、生んでくれてありがとう」

「母さん、1つだけ聞いていい ? 」
「何 ? 」
「僕の持ってた病気ってさ、母さんの生きてる今の時代なら治る病気なの ? 」

声にならなかった···。
首だけで(そうよ)と頷くと翔太は安心したように満面の笑みを浮かべて、
「じゃあもう母さんみたいに辛い思いをする人はいなくなるんだね」と言ってそっと私の手を握った。

「そろそろ僕、帰らないと。いつまでもいられるわけじゃないんだ。母さん、元気でね、バイバイ」
その後ろ姿がゆっくりと闇夜に消えていく。
少しずつ消えていく息子の姿。

(翔太、ありがとう···。母さん、前を向いて進まないとね)

バスに戻ると翔太が座っていた席には全く知らない男性が座っていた。バスは静かに走り出した。
私は一睡もできなかった。ただ窓の外の真っ暗な景色を見ていた。

「次はバスタ新宿、終点です。お忘れ物のないようお気をつけください」

可愛らしい女性のアナウンスが聞こえる。
どうやら新宿に着いたようだ。まだ夜明け前の大都会の街に1本の塔がそびえ立つ。

私がどうしても見たかった景色。
翔太が「いつか元気になったら見に行きたい」と言っていた景色。東京タワー。
その光は私たちを温かく包み込み、明るい未来へと導く道標のようだった。

(翔太、ありがとう···。この景色だけでもう充分よ)

夜行バスを降りると急いで帳面町方面行きの新幹線に乗るべく、私は東京駅への道を急いだ。
いつしか外にはまるで1日の始まりを告げるように、眩いばかりの朝の光が燦然と輝いていた。


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