初めて訪問くださったみなさま ありがとうございます。 noteをはじめました。 自己紹介1970年代生まれ アラフィフ女子 笑った顔はお褒めいただくことが多いのだけど、化粧をがんばってもお目めが「しじみ」のように小さいです👀💕 どんな人? ▶︎経歴 ▶︎趣味・好きなこと ドリカム(ファン歴34年) 紅茶・チャイ スノーボード 料理(食べるほう) 馬との触れ合い 豆大福 家族づれをほくそ笑みながら見る ▶︎noteを始める理由 ▶︎発信すること ▶︎さらなる挑戦
得意なチーズケーキのはずが、いつも焼き過ぎて下のクッキー部分が焦げていたので、子供たちの記憶は「焦げチーズ」。とほほほ。。。 米粉のお団子と手作りあんこのおぜんざい、わらび餅粉を練って大豆を煎った天然きな粉のわらびもち。 卵と豆乳を混ぜて蒸したプリンは子どもたちが意外にもちょっとほろ苦いカラメルをかけるのが好評でした。身体は食べ物でできている、とおやつも手づくりし、一緒に作るのですが。 粉をはかりで計って、ボウルで混ぜて、やっているうちに台所は粉まみれ。洗ってくれたボウ
「ママ、目を閉じて♡」娘は寝る前に布団に横たわったわたしに必ずそう言う。そして「もういいよ。開けて」の声にそっと目を開けるそこには顔をぐ〜んと近づけた娘の大きな瞳があった。 何を求めてるのかな、答えが出ないままあっという間に20年の子育ては過ぎていった。そんな娘から意外な言葉が。 「ママの身体にもたれかかって瞳に映る自分を見て安心したかったんだよ」そっかあ、身体に触れる温かさと瞳の奥とつながる宇宙。 ああ、四半世紀後の自分が、いまそれを楽しんでるなんて思いもしなかった。
ポータブルの酸素ボンベを引きながら、電車に乗り込んできたお爺ちゃま。奥さまが寄り添いながら。目の前にいた30代くらいの男性が、ニコッと笑って席を譲る。 そのご夫婦に出逢い思い出したことがある。離れて1人で暮らす72歳の義母が甲状腺癌で認知症に。病院の『きまり』で一定期間以上の入院はできず退院を、とのお話しが。さて困った。 慌てて施設を探したけれど予約待ちでいっぱい。やむを得ず在宅で1人暮らしのために必要な物とサービスの手配が必要になる。 4歳と7歳の娘をワンオペで育てな
うまくいく人は 素直さを持っている そうやっていうけどね 自分なりに素直に 聞いたことやって 良いということやっても うまくいかないことはある 素直な気持ちで 向き合うことは 簡単なことじゃないかもしれないから 素直さは 自分の成長や 周りとの調和 分かち合いにも つながる じゃあ なんでうまくいかないのかって 『なにと』向き合って 素直になるか まずは『自分と』 向き合って 素直になる 自分に ウソをつかない プライドを捨てる 恥ずかしさを捨てる 言うほど
わたしは、自分を解放するっていうことを とっても大切にしている 縛られることなく 制限されることなく 自分を解放すること 自分の感性や直感に正直に表現する、動く 周りではなくって自分のこころの声をよく聴いて こころの思うままに動いたり 自分を解放して毎日を過ごしたいって 思ったことはありますか 「やりたいことをどんどんチャレンジしてすごいですね」 特に最近、言ってもらうことが多いです。 でも、 わたしも、すぐにできたかというと そうではありませんでした。 なんで
個の時代と言われはじめてから随分経つ。なんだか世の中が変わり始めてるかもーと感じるコトガラが目に見えるものとして多くなってきた。 経済的な視点で働き方が変わるよーとか。仕事や家庭での役割にそもそも決まりなんてないよーとか。周りを気にせずに自分らしくねーとか。 あと、親世代から言われてきたお金に関する知識や習慣だったり、子育てする中での夫婦(パートナーや)親世代との意識の違い。 生まれ育った環境が違えば、関わった友達や先生、上司や後輩も違う。裏を返せば、それこそがその経験
運動することは好き。球技、水泳興味あるものはチャレンジしてきた、そしていまもチャレンジしている。 最近は、パラグライダー(は、運動の定義であってる?)や乗馬にチャレンジ〜ー!ホントはラフティングやろうよ!と子どもたちを誘ったけれど、見事にお断りされました。とほほ。 そんな好奇心旺盛なわたしが、唯一避けていた運動 それは ヨガ 「身体が硬いからできない」 「やってもスッキリしなさそう」 運動は汗をかいて やったどー!!っていう 達成感とか爽快感でしょ♡ と謎のマイル
いまわたしは 家族をとても大切にしています でも 以前は違いました 定期的に集まって 子どもたちとわちゃわちゃ 楽しく 時には 真剣なハナシもしているいまだけど 以前は仕事をして家に帰っても 家事洗濯子どもたちのお世話・・・ 目の前のやることに必死で 家族との会話もほとんど記憶にありませんでした ただ、それが 家族を大切にしているって 思っていたのです でも 時が流れて 子育て期を過ぎて 自分の生き方とこれまでの人生を 振り返ったことで 大切な本質や具体的な方法に気
トラブルが起きた時に 「なんでこんな事が起きたんだろう」 「どうして私だけついていないのかな」 こんなふうに思うことがあるかも でももし、物事は必然で、必要なタイミングであなたに起きているとしたら? その出来事からのメッセージは何か なぜこのタイミングでそれが起こったのか? 今の自分が受け取れるものがあるかもしれない すべてをポジティブに捉えると言ってるわけじゃない 人間だから感情の波はあるよ。ぐわんぐわんって。 起こる意味をキャッチして それを今後に生かしていく
まったく同じものを視ても その人によって 視えるものは違う こころで視る おとで視る さわって視る 目の前の 見えるものだけで 判断すると そのものの本質が 捉えづらくなる 周りと違うことは さほど 問題ないかな 自分だからこそ 視えるものに 自信を持てばいい きっと あるはずだから
職場の同僚や夫(妻)にイラっとする。子どもにイラっとする。その日、ホルモンのバランスが悪い…会社のあの人からの言葉で虫の居どころが悪い…いろいろあるかも。 例えば、夏の暑い1日。子どもと一緒に過ごした燦々と焼けそうな太陽の下。家に帰って、夜ご飯の準備やお風呂に入らせて、寝るための準備や寝かせ付けがある場合。 自分では、少しでも効率的に終わらせてホッとひと息お楽しみのビールが飲みたいとする。 でも、子どもは昼間に楽しかったから興奮して中々寝てくれない… イライラする…か
『ママ、「行ってらっしゃい」って言ってね』出かける準備をした二十歳を過ぎた次女が玄関でわたしに行った。 シングルマザーで小さな頃から子どもたちより早く家を出て仕事をしていたわたし。 勇気を出して子どもたちと向き合ったおかげで、いまは親子という感覚を通り越して、人として尊重しあいながらの関わりを感じるたびにうれし泣きしている笑(いつも子どもたちに呆れられてる) もちろん、簡単じゃなかったしたくさん自分と向き合って苦しくて辛かったけど。 そんな期間があって、その先にこんな
あの人がわたしの顔を見てた。『なにかわたし、変なところあったかな』心の声が聞こえたりする。 昨日言われた言葉が、ずっーと心に刺さってて痛い。明日からは波風立てずに笑っていようかな。 1人じゃ生きていけないから、誰かとどこかで交わることもある。 でも、相手の行ったことや話したい言葉に必要以上に反応すると疲れちゃうよね。 もしかしたら相手は、なにも考えずにその行動をしてたかもしれない。 もしかしたら相手は、あなたのその『反応』を見ることが目的かもしれない。 相手のひと
「あの人のあの態度が許せない。」 「ひどいことをした父親のことは一生許さない。」 時々、こうした話や気持ちを聴くことがある。でもね、あなたは誰のことを許せないの? もう赦(ゆる)そうよ。あの人を。父親を。そしてあなた自身を。 その時は、それが最善だったのかも。あの人も。父親も。そしてあなた自身もね。精一杯だったんだよ、きっと。 今でも苦しんでいるのは、もしかしたらあなたと同じなのかも。 忘れられない怒りの矛先の最終地点は、あなた自身になってしまう。 でも、あなた
あなたの大切な人が あなたのことを心配してるよ。 いまはもう、この世にはいないけれど。 『がんばりすぎないでいいから』『もう無理しくていいから』『たのしいことだけで十分だよ』って。 人のことをまず考える、やさしぃあなただから心配して見守ってるって。 『いつもそばにいるよ』『安心してね』わらってみてるよ。 あなたがうまく笑えないのは、そこがあなたの居場所じゃないからね。 頭に浮かんだ『あの人』は誰? 『ありがとう』手を合わせるタイミングはいまかもしれないね。