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私たちの社会で普及している「幸せ」の考え方は本当に正しいのか?

みなさん、こんにちは。
今回この記事を読んでみようと思って
いただきありがとうございます。

この記事は
皆さんにとって何か気づきがあり、
ポジティブな変化が起きることを
促すためのものとなっています。

今回も「世界の学者が語る幸福」という
本を読んで幸福について考えていきたい
と思います。

現在普及している幸福の考え方が間違っている可能性を示唆するのはルーマニアの社会学•ソーシャルワーク論のセルジュ•パルタテスク教授です。  

一般的に普及されている「幸福」の形は本当に正しいものなのか考えてみるために、セルジュ•パルタテスク教授が幸福に関する疑問について一つずつ答えを述べたものを以下にまとめてみました。

幸福は長続きしないのか?

多くの人々は、幸福を一時的な状態、つまり数秒で達成されるが、それと同じくらいの速さで消えてしまう状態として捉えている。しかし、最高の喜びという瞬間的な感情はたしかに存在するが、幸福はより持続的な特徴を持っている。私達の成功や失敗で変動し、将来の成長のための基礎を蓄積することを通して育むことができる。私達はすぐに損害をもたらすことになるかもしれない短期的な利益を避けて、長期に渡る個人の幸福にそれぞれ力を注がなければならない。薬物の使用と乱用、自己欺瞞、物質的強欲の全ては、幸福を持続不可能にする行為の例である。
それとは、対照的に、個人の向上、文化的かつ精神的な満足感への関心、家族や友人への思いやり、利他的な行動への弛まぬ努力は、一般的に私達の長期的な幸福の機会を維持するための持続可能な燃料である。

私達は生物学的に不幸になるようにプログラムされているのか?

不幸になるようにプログラムされていない。
小さな子どもはあらゆる経験から喜びを引き出す。しかし、私達は時にこの基本的で前向きな行動の目標を、人生のある特定の時期に満足感をもたらすと思われる一時的な欲望の達成と混同する場合がある。幸福は私達の人生の目標の一つであり、おそらく最高の目標であるが、それを達成する手段に関する考えは度々かわる。ダライ・ラマはかつて「欲しいものが入らないことは、時に素晴らしい幸運の巡り合わせであることを忘れないように」と述べている。つまり、幸運への旅において身動きがとれなくなって、幸福が見つからない絶望感にとらわれるかもしるないが、そのような時はいつでも、私達は特定の価値観、好みと選択肢を持つ人間であることを思い起こすべきである。自分の有意義で、独創的で新しい物に心を開く本質を大切にし、幸福へ至るのは、舗装された道ではなく、しばしば険しくてでこぼこした道であることを認識すべきである。

幸福は完全に個人的なものなのか?

幸福は共同的な体験であり、集団、社会と文明によって社会的に築かれる。私達は幼少期から外的基準を身につけ、それにより自分の人生を解釈したり、それを満足感を生み出す手立てにしたりする。例えば、一部の社会では「勝者が全てを手にする」という考え方、すなわち競争に勝つことが幸福の鍵であると子どもたちは教えられる。別の文化では、幸福への道のりは他者に奉仕して彼らと調和して暮らすことを意味する。常に意識しているわけではないが、私達は幸福の感じ方や表現の仕方もいくらか学んでいる。それぞれの集団や社会は独自の「感情のルール」を発展させていくものだが、それはすなわち私達が感情を認識して、解釈する方法、さらに感情を引き起こす方法である。それはつまり、私たちの幸福は集団や社会のさまざまな幸福に依存している。

いかがでしたか?
「幸福」と一言にいってもいまだに具体的にどんなことかを述べるのはなかなか難しいものだと思います。しかし不幸になる幸せの考え方ではなく、幸せになるための、幸せについての考え方のヒントを与えてくれたかと思います。

ライフチェンジ講座では今後もそうした具体的な方法も解説していきたいと思っていますので、是非楽しみにしていて下さいね。

焦らず、ゆっくり自分ができる方法を見つけていきましょう。

ライフチェンジアドバイザー 理古


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