居場所
1人になりたくて、なんとなく外に出た。
どこに行こうかと考えながら、とりあえずで持って出た財布とスマホを見る。
これだけで人混みに挑むには少しばかり防御力が足りない気がして、近場の公園に向かった。
ベンチに腰をかけて、所在なく辺りを眺める。
サッカーをする親子、ランニングをするおじいちゃん、自転車に乗った少年、そして私。
のどかな公園に響く蝉の合唱は、うるさい車の音を消すのに丁度いい。
ただ、少しばかり煩い気がする。
自分の居場所はここじゃないような、そんな感じだ。
たまプラーザ駅に向かう東急バスも、6階建てのマンションに囲まれた公園も、忙しなく聞こえる車の走行音も、1人になりたい私の居場所を奪っていくように感じる。
「ここじゃない」。そんな感じだ。
家の前を走るのは、地元のおじちゃんの軽トラか軽自動車で、夜になると川のせせらぎが気持ちいい。
夕方の公園にはあまり人がいなくて、少し先に行くと小さな神社がある。
西大路通から少し離れた道に入ると、人通りが少なくて、イヤホンから流れる音楽がよく耳に通る。
ここには無い、いつもの場所をなんとなく探してしまうのだ。
1回生の時は帰りたいと思っていた場所が、少し煩わしく感じるなんて、考えもしなかった。
いつの間にか、静かで1人でいると少し寂しく感じるくらいの、あの場所が、自分の「居場所」になっていたのだと感じる。
ただ、この煩さにも親しみと懐かしさを覚えているのは、この場所も自分の「居場所」だからなのだろう。
はやく帰りたいと思う気持ちと、煩さに感じる惜しい気持ちは、ちょっと矛盾している。
でも、この矛盾した気持ちも、今だけだと思うと、書き留めておきたくなった。
きっといつかは、どちらも懐かしく惜しく感じるのだろう。
その時はまた、書いておこうと思う。
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