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他人に振り回されすぎていませんか?

映画やドラマを見ていると感情移入して

もらい泣きしたり一緒に怒ってしまったり

することがあると思います。


感情は目に見えないものですが


電波のように何かしらの形で

伝わってくることは、日ごろから

感じているのではないでしょうか?


例えばある人が部屋に入ってくると

部屋の雰囲気が明るくなる方もいれば

部屋に入っていただけで

雰囲気が暗くなるような人もいます。

しかし、一般的には時間の経過とともに

他人の感情の影響は薄れていき

影響を受けない状態 戻ってきます。

ところが、中には他人の感情を

引きずったり 拾いすぎてしまい

まるで自分の感情のように


感じすぎてしまう方もいらっしゃいます。


その感情が「楽しい」「 嬉しい」という

ポジティブな感情 ならば良いのですが

 「悲しい」「怒り」「寂しい」といった

ネガティブな感情の場合は

拾いすぎてしまうと

へとへとになり消耗してしまいます。


私の場合も 混み合う電車や

混み合う エレベーターで人が

密着するところに行くと

拾いすぎてしまい、

かなりのエネルギーを消耗


家に帰ってくるとヘトヘトになって

倒れ込んでしまいたくなることがあります。

また誰かが怒っているのを見た時

何か自分が問題を起こして

しまったのではないかと

考え過ぎてしまい

変な思考がぐるぐると

回って落ち着かず

家に帰ってもずっと同じように

ループを繰り返して

勝手に疲れてしまうということもありました。

「〇〇〇」がないと疲れる


そういう状況は、心の中に

「境界線」というものが

ない時に起きます。

「境界線」というのはちょうど

敷地の壁や柵のように、

ここからここまでが自分の土地であり、

ここからここまでが他人の土地と

認識する境目のようなもの。

自分と他人の心の敷地を別けるものです。



目に見えるものではありませんが

それによって

「私は私」
「他人は他人」と別ける
ことが

できるようになるため

普通は 他人からの影響を必要以上に

受けることはありません。


 こういった境界線は育っていく過程で

自然に出来上がってくるものであり

誰かに教えられたりすることはありません。


あなたもきっと心の境界線を作るための

授業などを受けたことはないと思います。

では そういった境界線が作られなかったのは

なぜなのかというと

「機能不全家庭」 と呼ばれる 家庭で育った場合

作られまいままになりやすいです。

機能不全家庭に関しては

別に コラムを書いてますのでご

覧になっていただければと思います。

境界線に関しては 本来は自然に

身につくものであるため

後から身につけられるものでもあります。

それは自分の中で他人は他人

自分は自分であるときちんと別けること

ができるようになることを意味します。

例えば 境界線を作る言葉をあげると

「他人は他人の都合で怒っている」

「私に私の都合があるように」

といった言葉があります。

「他人」の部分に関しては「~さん」といった

個人の名前であったりとか「~部長」と役職名

に変えてもいいですし

「怒っている」というところの感情も

別の感情やまたは状況に置き換えて

使っていくこともできます。

文章は非常に当たり前のことではありますが

境界線がない人にとっては

この感覚が分かりません。


全部が自分事と感じてしまいます。

なので他人の感情を拾っていると感じた時。

または自分が原因でもないのに

変なネガティブな感情に巻き込まれていると

感じた時にはこういう言葉を唱えることにより

自分の問題ではなく他人の問題であることを

自分自身に伝えてあげる


ことにより別けて考えられるようになってきます。


すると、

他人の影響を受けにくくなってきます


のでよかったら

試していただければと考えています。

応援しています。


心のお天気快善カウンセラー しゅう


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