見出し画像

50歳の私が考える、老いとの向き合い方と他人を変える唯一の方法

こんばんは!自己実現メンタルコーチのしんかいさんこと新海智子です。

春ですね!職場の近くのしだれ桜が満開でした。しだれ桜もとても素敵ですよね。うっとりです。

さて、私もいよいよ50歳となり、今日は「老いとの向き合い方」について書いてみたいと思い筆をとりました。(筆じゃないけど(笑))

この記事はこんな人に役立つかも
▷歳をとることに恐れている方
▷人生の後半を迎えた方

「林住期」になり思うこと

「人は中高年期(林住期)にこそ、内面的に成長していくことできる。」
五木寛之さんの著書『林住期』の言葉です。

林住期というのは、人生を4つに分けた中の、中高年期のことを言いますが、この時期にこそ、人生の迷いが晴れ、自分らしく生きられる時期だと五木寛之さんはおっしゃっています。

私は、この『林住期』という本を読んで、共感するところが多々ありました。人生50年生きてきて、まだ子育て中ではありますが、この本のとおり、人生の迷いが晴れて、自分らしく生きられているなとかんじています。

私が、結局行きついたところは、人生って、なるものはなるようになり、ならないものはならないなっていうところでした。

「なるもの」というのは自分の人生、「ならないもの」というのは自分以外の何かを変えようとすること。自分の人生は自分でいかようにでも作っていけるんだなと思えるようになりました。

いろいろな経験をしてきて、人生いいことばかりではないし、悪いことばかりでもない、陰陽太極図を見ての通り、両方あるってことが分かり、それが人生なんだなって納得しています。

ただ、悪いことばかりを拾ってしまう人、いいことばかりを拾う人がいること。それぞれ色々な見方や偏見があって、それぞれ見えている世界があって、その人にとってそれが真実であること。

もし、ジャッジせずに見ることが出来れば、人生はいいことも悪いことも半分ずつで構成されているのではと、そんな風に思っています。

そして、苦しい思いを沢山した人は、とても苦しい日々はとても大変で辛かったと思うけれど、日々の小さな、なんてことのないことがめちゃくちゃ幸せに思えたりするというギフトがあり、苦しい思いをあまりせずに人生を歩んできた人には、その小さな幸せはなかなか見えないかもしれないけど、あまり苦しい思いはしないで済む安定した落ちついた人生がある。

どちらも、素晴らしい人生であり、結局のところ、どちらの人生も、プラスマイナスゼロなのではないかなって思ったりしております。

そして、これからの林住期というのを私はどのように生きたいのかなって考えると、それは本当に大切なことを大切にして生きていくだけであるとそんな風に思っております。


それから「ならないものはならない」ことのひとつに、「過去と他人は変えられない」と、よくいいますよね。私は実は例外もあると思っているんです。

他人を変えたいと思うならば、たったひとつだけ方法があると思っているんです。

その方法は、「優しい眼差しと、思いやりを持った優しい態度と言葉をかけること」です。

私は、人を変えるならば、これだけは有効だと思っているんです。

皆さんはどう思いますか?


老いの苦しみについて


仏教では、人の苦しみは四苦、いわゆる「生病老死」だということを言っています。

意味は漢字のまま。病気、老いること、死、そして「生」といのは、生まれてきたからには死は避けられないとか、生まれてくるときの、産道通過の苦しみのことを言ったりと様々な説があるようです。

病気も、老いることも、死ぬことも、どれも本当なら避けたいけれど、どれも避けることができないですよね。自分ではどうしようもないこと、それが苦しみということですね。

それに加え、四苦八苦の八苦についても説明します。八苦というのは、傷病老死に加え、①怨憎会苦(おんぞうえく)②愛別離苦(あいべつりく)③求不得苦(ぐふとくく)④五蘊盛苦(ごうんじょうく)のことを八苦と言います。

①怨憎会苦というのは、怨み憎しんでいる人、嫌いな人に会うことの苦しみのことを言っています。②愛別離苦は、愛する人、好きな人と別れ離れになる苦しみですね。③求不得苦、これは求めることが得られないことの苦しみです。④五蘊盛苦は、人間を作っているもの(身体や精神)を持っている存在であること自体が苦しみという意味だと解釈しております。(五蘊盛苦は私には理解は難しいので、もし違っていたら教えてくださいね)

要するに、自分の思い通りにならないことが苦しみということになると思います。

そのため、「老い」というのも、自分ではどうしようもないことなので、やっぱり苦しいことになるのだと思います。


どんな年の取り方をしますか?

日々、高齢者の患者さんと接していると思うのです。イキイキと楽しそうにお話される方は、趣味や生きがいがある人。そうでない人は、病気かコロナか嫁の話。

そして、趣味や生きがいのある人は、「ボケたら、ボケた時(笑)」と言い、そうでない人は「ボケたくない、ボケたらどうしよう。」と口にします。

生き方や思考って、80.90歳になってもずっと変わらないんだろうなと思います。

歳をとれば、当たり前に若い時に比べ体力や記憶力も低下し、様々なことがぱっぱとできなくなってきます。
これは、どうしようもないことです。しかし、それに抵抗すればするほど、苦しみが増してきます。

老化は仕方ないものだと受け入れつつも、体力をつける運動をしてみたり、楽しい趣味を見つけてみたり、学んでみたり、若い人と比べて落ち込むのではなく、今日という自分にとって一番若い日を楽しんでみるのはいかがでしょうか。

そして、いままでの人生経験や知恵を、後世のお役に立てればとてもうれしいなと思いませんか?

皆さんは、どんな歳の取り方をしていきますか?

人生の最期を迎えた時、「私の人生は最高に幸せだった。なぜなら私の人生は〇〇だったから。」の〇〇には何が入りますか?

人生の最期に、それが言える生き方をしていきませんか?

読んでくださりありがとうございました。

自己実現メンタルコーチ
しんかいさんこと新海智子

============
今までの人生の棚卸をしてみませんか?

☑自分の人生何かやり残している気がする?
☑モヤモヤした毎日を過ごしている。
☑自分の人生なのに、満足感を得られていない。
☑自分のやりたいことって何だろう。

そんなことを考えられる時間を作りませんか?
体験コーチングはHPからお申込みください。
HPはこちらです!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?