「完璧主義」を手放したい人への処方箋
おはようございます。しんかいさんです。
さわやかな朝です。最近お天気な日が多く、主婦としては洗濯の乾きがよくとても助かります。今日は子供のお弁当がないので、出勤までnoteで朝活です。
今日は、完璧主義について分析してみました。
なにをもって完璧とするのか
「完璧主義」とよくききますが、完璧っていったいどんな「完璧」を目指しているのでしょうか。
これは育った環境に大きく影響を受けていると思われます。どんなに頑張っても、親や学校の先生に「よく頑張ったね!」と言われたことなく、「今度はもっとこうしたら」とか、「ああすれば、もっと」などという言葉をかけられてきた時代に生きてきたから「自分はいつも不完全である」と思ってしまっているのかもしれません。
そう考えると、完璧の定義というのは「親(自分)の思い描く理想の形=完璧」なのかなぁと思います。完璧主義の人がみんな同じ「完璧」を目指しているわけではなく、個々に「自分が考える完璧」を目指しているということになります。
「目指している」というと、まるで完璧主義を目標としているように聞こえてしまいますが、「完璧主義」の人は「完璧主義」を自ら目指してしていたわけではなく、気が付いたら勝手にそうなっていたという場合が多いのではないかなと思います。
完璧主義は思いつきから行動まで時間がかかる
完璧主義の人は、人に指摘されることや否定されることを恐れ(指摘する親を他人に投影している状態)、「これで完璧だ!」と思えてから動き出す傾向があります。完璧にならないと、ずっと踏み出せないでいる場合もあります。
不快な感情を味わいたくないときに先延ばしにすることで、その感情を無視しようとします。そのため、思いついてから行動するまでに、なかなか動けないのです。そして、行動はしていないのに、頭の中だけはいつも大忙しなのです。
かつて私も完璧主義だったから、よくわかります。たいしたことないことは行動が早いのですが、自分にとって重要なことや大切にしたいことはなかなか踏み出せません。
それは何故かというと、大切なこと、重要なことだからこそ失敗したくない、誰にも否定されたくないという恐怖感が強かったからです。本当にやりたいことをやるという気持ちは、実はとてもデリケートなのです。
やらなければ、恐怖を味合わないで済みます。けど、やっぱりやりたいから「絶対に正しい道」「絶対に失敗しない道」「絶対に損しない道」「絶対に恥をかかない道」「絶対に誰からも否定されない道」をずっとさがしてしまうのです。
絶対に成功する完璧な道を作ってからやろうと思っても、完璧な道があるならいいのですが、よくよく考えたら未来にはその道はどこにもないのです。その道をいつまで探していても、どこにも見つからないし前に進めないのは当たり前のことでした。
それに気が付き、「今のまま、今の自分でできる範囲で精一杯やってみよう!」と一度行動してみたら、その後はなんとも身軽に行動できるようになりました。
完璧主義を手放したい人への処方箋
かつて完璧主義であった私は手放したことでの恩恵を沢山受けました。もし、完璧主義を手放したいと思っている人がいらっしゃったら、私が実行したひとつのやり方を処方箋としてお渡しいたします。↓
やってだめだったら、だめだっただけという、ただそれだけのこと。
「あぁ、また失敗した!」
「ほら、失敗した!」と、
ここで、自分をいちいちジャッジをしないでよいのです。
この思考に気がつくと、責めているのは他のだれでもない、自分自身(自分の自動思考)であると気が付きます。そして、自分をジャッジしている人は、必ず同じように、言葉には出さないにしても他人を同じようにジャッジしていることにも気がつくと思います。
ジャッジする前に、事実をありのままただ見る、そして大好きなお友達が失敗したときにかける言葉と同じように、「大丈夫だよ。」と自分に思いやりの声をかけてみてください。
もし自動思考で、「ほら、失敗した!」と湧いてきたら、それにもジャッジしないで、「そう思ったんだね」と思いやりを持って
受け入れるのです。どこまでもどこまでもとことん自分を受け入れるのです。
そうすることで、完璧主義はいつのまにか緩んできます。そして自分が大好きになり「失敗なんて怖くない。むしろ驚くほどの強力な学びの機会であり、次にやるやり方を教えてくれた最高のギフト。」と思え、また前に進んでいけるのです。
自戒もこめて💕✨
読んでくださりありがとうございました!
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