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道徳の読み物「白丸の死」(中学校:感動、畏敬の念) 創作教材

  • 対象学年:中学校(3年)

  • 内容項目:感動、畏敬の念 (21)美しいものや気高いものに感動する心をもち、人間の力を超えたものに対する畏敬の念を深めること。【関連:生命の尊さ】

  • 教材の種類:創作


白丸の死

 父からはよく、「お前は優しいのではなく、甘いのだ」と叱られたことを思い出します。昭和三十年代の中ごろ、私はまだ十二、三歳の子供でした。
 その頃、私の暮らしていた村では、ほとんどの家が畜産と農業を生業としていました。私の家もご多分に漏れず、米と大根、小松菜などの栽培で暮らしを立てておりましたが、あまり広くない敷地の隅には、小さな鶏小屋とうさぎの小屋が立っておりました。いずれも、家族が肉を得るための家畜であって、今でいうペットのようなものではありませんでした。
 飼っていたうさぎに子が生まれました。生まれてきた五羽のうち、私は、体が小さく、毛のまっ白い一羽を、父に頼んでゆずってもらいました。うさぎを飼ってみたいと思ったからです。毛の色から白丸と名付け、私は白丸をかわいがりました。白丸も私がわかるのか、小屋に行くと、私の足もとに寄ってきて、エサをねだるようにひくひくと鼻を揺らすのでした。
 もともと、肉のあまりとれないような小柄のうさぎを選んだためか、白丸は身体が弱く、すぐに病気になりました。ちょっと雨風が吹いたり、犬にほえられたりするだけで、すぐに白丸は瀕死になるほどに弱ってしまうのです。私は、いつも白丸が気がかりでした。

 ある秋の日です。白丸はまた元気がなくなり、あまりエサを食べなくなっていました。その上、昨日の夜からは、小屋のすみっこに体を丸めて、ほとんど動こうとしなくなっていました。学校に行っている間も、私は白丸のことが気になってしかたがありませんでした。
 ようやく学校がおしまいになり、放課になると、級友の淳一郎が私を呼びました。この日、隣町の第三中学校の生徒と、野球の試合をする約束があったためです。しかし、私は淳一郎の呼び声を無視しました。白丸の様子が気がかりで、野球どころの話ではなかったからです。
 呼び止める淳一郎を残して、私は家に走りました。しかし、家にたどり着き小屋を覗いたときには、すでに白丸は息絶えたあとでした。あれほどかわいがった白丸は、あっけなく死んでしまったのです。
 私は、白丸の死がいを小屋から出し、涙ながらに埋葬の準備を始めました。敷地の片隅に白丸を寝かせ、墓標代わりの板切れを用意していたときでした。野球の道具を肩に担いだ級友たちが、私の家までやってきたのです。
 しゃがんでいる私の前まで来て、淳一郎が言いました。
「お前が来なかったせいで、三中のやつらに負けたぞ。どうしてくれる」
 私は、言いがかりだと答えました。しかし、級友のいかりは治まりません。
「白丸が死にそうだったから帰りたかったのだ」
 加えてそうも言いました。しかし、私のその言葉は、淳一郎のいら立ちに油を注いだだけのようでした。
「なんだそんなもの。たかがうさぎ一羽に情けないぞ」
 私の足もとにある白丸の死がいに、淳一郎は目を落として言いました。そして、私にもう一歩近づくと、淳一郎は、「死んだウサギなんか、ただの肉じゃないか」と言って、白丸を蹴ったのです。
 その瞬間に、自分でも信じられないほど気持ちがかあっとなって、私は淳一郎に掴みかかっておりました。そのまま取っ組み合いとなり、私と淳一郎は土の地面に転がりました。
「お前はうさぎの肉を食うじゃないか。それなのに何だ」
 淳一郎が叫びます。私は答えました。
「白丸はちがうのだ」
「何がちがう。うさぎはうさぎだ。食われるために飼われているのだ」
「おれはうさぎを食う。だが、お前はうさぎを蹴ったではないか」
 なぜこれほどまでに怒りが湧いてきたのか、私にはよくわかりませんでした。ただ、ひどい侮辱を感じていたように思います。白丸はたしかにもう動きません。もともと、人間が食べるために飼育されてきたうさぎです。それはわかっています。しかし、その時私は、淳一郎の言葉を、確かに「ちがう」と感じたのです。
 まわりにいた級友の手によって、私と淳一郎は引き離されました。淳一郎は、級友になだめられながら、夕暮れの道を帰って行きました。一人残された私は、白丸を畑の脇のうつぎの木の下に埋めると、泥まみれで、べそをかいたまま、とぼとぼと歩いて家に帰りました。

 その日の夕食は鶏汁でした。にわとりを潰して肉で団子をつくり、骨で出汁をとった私の好物です。
 夕食をとりながら、父に、白丸が死んだことを伝えました。父は、「そうか」と言って、鳥団子の入った汁を口に入れ、喉を動かして飲み込みました。
 ゆっくりとした口調で、父は私に言いました。
「味わって食え」
 食欲はありませんでした。しかし私は、鶏汁を残すことができませんでした。




一般に道徳の教材で「畏敬の念」という場合、神秘を感じさせるような雄大な自然や、まるで人間の枠を超えたかのような優れた芸術などをテーマに、「人間、奢るべからず」を描くことが多いのですが、最も身近にあって、そしてとても大きな「畏れ」は、「命」なんじゃないかと思います。
それを教材化してみたものです。

※涌井の創作教材です。著作権は放棄しませんが、もし授業でご使用いただく場合はご連絡等は不要です。

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