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道徳の読み物「かなちゃんのこと」(小学校:よりよく生きる喜び) 創作教材

  • 対象学年:小学校(5・6年)

  • 内容項目:よりよく生きる喜び (22)よりよく生きようとする人間の強さや気高さを理解し、人間として生きる喜びを感じること。

  • 教材の種類:創作


かなちゃんのこと

 私のクラスにはかなえちゃんという女の子がいました。かなえちゃんは大人しくて、いつもニコニコしていて、手先がとても器用なかわいらしい子でした。
 おしゃべりで活発だった私は、どちらかというとクラスの人気者で、いつも五、六人の友達がつくる輪の中心にいた気がします。誰かが何か言うと、おもしろいことを言って返して、みんなできゃあきゃあ笑うのが楽しくてしかたがありませんでした。そしてかなえちゃんは、そんな私たちのことを、自分の机からいつも眺めていました。いつもニコニコしていました。
 ある日、日直でいつもより早く学校についた私は、めずらしくかなえちゃんと教室でふたりきりになりました。かなえちゃんの机の上には、地味なかなえちゃんらしからぬ、小さくてかわいい、子犬の顔をあしらったアップリケがありました。
 めざとい私は、すぐにかなえちゃんに声をかけました。
「どうしたんかなちゃん、そのアップリケ。かわいいね」
 かなえちゃんは恥ずかしそうに顔を赤らめました。そして言ったのです。
「あんな、うちが作ったん」
 私はびっくりしてしまいました。だってかなえちゃんが作ったというアップリケは、お店で売っているものと比べてもまったく遜色がないような、すばらしいできだったからです。私は、途端にそのアップリケがほしくなってしまいました。
「わあ、かなちゃん。私もほしい。私にも作ってくれへんかな。猫のアップリケがいいなあ」
「ええよ」
「うれしい。じゃあ、ししゅうで『さくら』って入れてくれへん? 世界に一つだけのアップリケになるやん」
 かなえちゃんは何だかうれしそうでした。
「ええよ。わかった。こんど作ってもってくるね」

 一週間ほどで、かなえちゃんの手作りアップリケは私のもとに届きました。朝、かなえちゃんが私の机にやってきて、小さな封筒を手渡してきたのです。いつものようにニコニコほほえみながら。「できたよ」と小声で言って。
 私はうれしくてたまりませんでした。かなえちゃんのアップリケはやっぱりかわいくて、まあるい猫の顔のすぐ上に、弧を描くように「さくら」と赤い糸でししゅうしてあります。家までがまんできずに、放課後に袋から取り出して眺めていたら、帰り支度を済ませた一人の子が「わあ」と声をあげ、私のところにやってきました。すぐに私は数人の友達たちに囲まれてしまいました。
 みんな口々に言います。「かわいい」って。「すてき」って。
「どうしたん、これ? どこで売ってるん?」
 私は得意になって答えました。「どこにも売ってへんよ。手作りなんやから」
 まわりから驚きの声があがります。「手作りだから、好きな文字を入れることもできるんよ」
 こうまで言ってしまったのです。次に聞こえてくる声は、当然予想されるものでした。
「ねえ、さくらちゃん、私もほしい。私にも作って」
 私はほんとうにばかでした。かなえちゃんはもう帰ってしまって教室にはいないのを知りながら、答えてしまったのです。「ええよ」と。「作ってあげる」と。
 私は頭の中で、「かなちゃんに頼めば作ってくれるはず」と考えていました。私は友達が大勢いるから、かなちゃんと私の友達たちをアップリケでつないであげるんだ。きっとかなちゃんも喜ぶはずだと思っていました。だって、自分の作ったアップリケをみんなが使ってくれるんだもの、などと都合のよいことを考えていました。
 次の日、私はかなえちゃんに言いました。
「あのね、ようちゃんもアップリケがほしいんやって。かなちゃん、お願いできひんかな」
 一週間後、私はかなえちゃんに言いました。
「今度は田畑くんがほしいって言うてるん。新幹線の形で、ローマ字でTABATAって入れてな」
 私は、この悪習になれてしまっていたのでしょう。だんだん、かなえちゃんの顔色を気にすることもなくなっていきました。
「今度は三つほしいんよ。来週までに。な?」
「無理やよ。そんなに作れへんもの」
「なに。そんなら、私がうそつき呼ばわりされてもええっていうの」
 かなえちゃんは、三つのアップリケを持ってきてくれました。私はそれをクラスメイトの三人の友達に配ったのです。「さくらちゃん、ありがとう」と何度も言われながら。

 いつの間にか、クラスの女子の半分近くがかなえちゃんのアップリケを持つようになっていました。そんなある日、私からパンダのアップリケを受け取った女の子が、自分の机からこっちを見ているかなえちゃんに言いました。
「かなえちゃんも作ってもらうとええよ。さくらちゃんのアップリケ、すてきやよ」
 私の心臓は、どくんとはねあがりました。かなえちゃんの手を引くようにして、さっきの女の子がかなえちゃんをつれてきます。机をはさんで、かなえちゃんと私は向き合いました。
 女の子が言います。
「かなえちゃんは、アップリケに何て入れてほしい?」
 かなえちゃんはしばらく答えませんでした。私をちらりと見て、それから小さな声で言いました。
「じゃあ……、さくらちゃんにおまかせするわ」

 その晩、私は寝られませんでした。かなえちゃんはどうするつもりなのでしょう。もし、かなえちゃんがアップリケを作ってくれなかったら? もしかなえちゃんが、「これ、作ってるのは私なんよ」と言い出したら? 私はもう、あのクラスにはいられなくなるにちがいありません。だって私は何回も、何か月も、裏切り続けてきたのです。かなえちゃんのことを。
 月曜日の朝、重い足を引きずって学校に行くと、さっそくみんなが集まってきました。女の子に手を引かれて、かなえちゃんもやってきます。私は笑顔を取り繕いながら、顔を真っ青にしていました。女の子が言います。
「さくらちゃん、かなえちゃんのアップリケ、できた?」
 その時、小さな封筒をつまみ上げて、かなえちゃんが言いました。
「今朝、校門の前でもらったんよ。ほら」
 かなえちゃんが袋から出したのは、猫の顔をあしらったアップリケでした。猫の頭のところに、赤い糸で「かなえ」とししゅうされています。
 そしてかなえちゃんは言ったのです。
「さくらちゃん、ありがとう」と。

 私はいますぐ教室を飛び出してしまいたくなりました。かなえちゃんの顔がまともに見られません。かなえちゃんはいったいどんな気持ちで、自分用のアップリケを作ったのでしょう。猫のアップリケに「かなえ」とししゅうしているかなえちゃんを思い浮かべると、私は今でも涙が出てきます。

 あれから、私とかなえちゃんは別々の中学に進みました。かなえちゃんと会ったりはしていません。会えないような気がしています。

 小学校を卒業するまでの数か月間、かなえちゃんの赤茶色のランドセルには、猫のアップリケがずっと揺れていました。
 目の中には、いまでもあの猫がいます。
 ランドセルといっしょに揺れながら、あの目が、いつだって私を見ているのです。






※涌井の創作教材です。著作権は放棄しませんが、もし授業でご使用いただく場合はご連絡等は不要です。

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