見出し画像

短編小説「電話病」

電話病


 電話の鳴った音がした。
 俺はそのときようやくやってきた眠気にうつらうつらし始めたところだったから、真夜中も真夜中、午前三時の非常識なコール音にむかっ腹を立てるのも、まあ、当然のことだと思うのさ。
 ところがスマホを耳に当てた俺の表情はすぐに、怒りどころか困惑のそれに変わっちまった。だってそうだろう? 半分眠ったままの頭で最初に聞いたのが、「助けてくれ。死にそうだ」なんて物々しいセリフだったんだから。安物の刑事ドラマじゃあるまいし、もちろん俺は本気にしなかった。まあ、声の主がいいかげん聞き飽きた悪友のそれだったってせいもあるけれど、ま、センスのない冗談だと思ったわけさ。あいつらしい、遠回りしすぎてどこに向かってるのか忘れちまうような言い回し。きっと、近くにいるから飲みにでも行こうって誘いの前フリだろうと思ったわけさ。年中フラフラしてるあいつにとっちゃ、午前三時も午後三時もおんなじ。起きた時間に近い方でこんにちはだ。
 ところが、スマホの向こうのあいつときたら、それこそ、今強盗に押し入られて喉元にナイフ光ってます、って感じのかすれ声でこう言うのさ。
「苦しい……、助けてくれ、死んじまうよう」
 さすがの俺も少々焦ったさ。だってあいつがこんな情けない声を出すなんて、だいぶん前に足踏んだ踏まないの些細な理由でケンカになって、昆虫と同じくらいバカそうなチンピラ十数人に囲まれて頭ゴリゴリ踏まれて死にかけた時以来なんだ。
 で、俺はあいつに聞いたのさ。
「どうしたってんだ。誰かに腹でも刺されたのか?」
 もちろん半分は冗談さ。でも、言葉のもう半分は本気だった。それくらいヤバそうな声だったのさ。今にも俺、三途の川渡りますって感じのさ。
 そしたらあいつこう言うのさ。
「俺、調子悪いんだよ。げえげえ吐いちまって、手足はすげえ痺れてるし、おまけに下痢までしてるんだよ。動けねえんだよお。助けてくれよぉ」
 呆れたね。何が「もう死ぬ」だ。ただの腹痛(はらいた)じゃねえか。そんなもん、便所に行って半日も過ごしゃケロリと治っちまうもんなんだよ。
 俺がそう言ってやったらあいつ、涙声になって言うのさ。
「頼むよぉ。救急車呼んでくれよぉ。今から住所言うからさあ」
 俺は言ってやったね。顔の下半分で笑いながらさ。
「だったらてめえが直接呼べばいいじゃねえか」
 それで電話を切る間際にやつは言うのさ。
「……だって、格好つかねえじゃねえか。そんなの」

 結局、あいつは俺のおかげで病院に入院して、まあ、命に別状はないってお決まりのセリフも聞けたわけさ。で、俺は見舞いのついでに先生に聞いてみたね。あいつ、何の病気なんすか、ってね。
 そしたら先生首振って言うのさ。「はっきりとはわかりません。どうも、未知のウイルスが原因のようなのですが……」
 それを聞いて俺は笑ったね。あいつ、遊びも服も新しいモン好きだったけど、まさか病気まで新種とはね。病室でそのこと話してやったら、あいつ満更でもない顔してこう言うのさ。
「俺は世界で最初にこの病気にかかったんだ。こりゃ、ギネスに載るね」
 こいつ、面白えやつだなぁって、そん時改めて思ったね。

 でもね、次の日にゃあ、俺は見舞いに行けなかった。勘違いしないで欲しい。行かなかったんじゃなくて、行けなかったのさ。昨日、さんざん馬鹿にして笑ってやったのに情けないけど、俺もあいつと同じ病気になっちまったのさ。
 確かにこいつは強烈だね。頭ん中は真夏に一か月放置した牛乳みたいにほわんほわん、腹ん中は救助活動に一個連隊が出動しそうなくらいの大洪水だ。手足は齢百五十歳の長老みたいに痺れてるし、あいつの言う通り、こりゃあ確かにテーブルの上のスマホをつかむのが精一杯。俺はよだれとか鼻水とか全身の穴からいろんな液体ダラダラ垂らしながら這いずったね。スマホをにぎってタップしたのは、もちろんあいつの入院先の電話番号さ。一人で入院なんてまっぴらだ。
 それで、声を落ち着かせてから俺は言ったのさ。
「ここに倒れてる人がいます。救急車お願いします」
 まあ、頭の差かね、これは。

 というわけで、善意の誰かさんのおかげでその日の夕方にゃあ俺もあいつのベッドの隣に収まったってわけさ。何ていうかこういう状況ってのは共有しちまうとタチが悪い。情が移るって言うか妙に気持ちがわかっちまって、もともと腐ってたあいつとの縁がさらに醗酵してクサヤもびっくりの腐れ縁だ。一眠りしたら気持ち悪いのも治ったし、ヒマなもんだからいろいろ話をするんだけど、どうも釈然としないことが一つあってさ。先生の話じゃこの病気ウイルスで伝染るってんだけど、おかしくない? 俺、あいつに直接会ってないのよね。
 そりゃ見舞いには行ったさ。だけど、あいつに直接会っちゃあいないんだ。未知のウイルスって話だから先生もいちおう警戒したんだろうね。病室のあいつは昔のゴミ袋みたいな半透明のビニール袋の中にいてニヤニヤ笑って俺を見てた。まあ、今は俺もそのゴミ袋の中さ。それにしたっておかしいだろ? 俺はいったい、どこであいつの病気をもらったんだ?

 でもね、その答えは案外簡単にわかったのさ。
 俺が入院した日の夜、廊下がなんか騒がしくてさ。バタバタバタバタ、スリッパで百メートル競争みたいな状態さ。俺は起き出してビニール造りの蚊帳をするりと抜けたね。なあに、体のほうはもうばっちり回復さ。元気モリモリ。鰻でも食いたいね。隣じゃあいつがアホ面ぶら下げてぐーすか寝てたけどね。
 で、俺はドアを開けたさ。すると聞こえてくるのさ。叫び声やら喚き声やら色々混じったパチンコ屋みたいな雰囲気がね、こう言うのさ。
「電話応対担当の看護師が倒れた! 早く当直の先生を! 館内放送で呼び出すんだ!」
 俺はピンときたね。こんなこと、学問で頭カチカチになった輩にゃ理解できないだろうけど、これは俺やあいつの病気が看護師に伝染ったな、ってさ。
 なぜだかわかるかい? 発想を柔らかくしないとね。あいつの病気を俺がもらったのはどうしてか。俺の病気が看護師に伝染ったのはどうしてか。この二つには共通点があるのさ。
 そう、二つとも、「電話」でつながっているのさ。あいつの電話を俺が受けた。俺の電話を看護師が受けた。これで病気が伝染ったのさ。未知のウイルスってやつがね、電波を通じて感染したのさ。
 それがわかったらもう安心さ。俺はドアを閉めてベッドに戻ろうとしたね。病院の朝飯は早いからね。早く寝とかないと夜食になっちまうかもしれない。
 ところがね、そこでとんでもないことが起こったのさ。頭の上でポーンって夜中の病院にはいささか不釣り合いの音が鳴ってさ、館内放送が鳴り響いたのさ。
「当直のサカタ先生、至急、第二病棟四階までいらしてください」
 これを聞いて俺はドキリとしたね。もしかしてこの放送って、あの看護師の病気、含んでるんじゃないの? だってそうだろう? 看護師が倒れた時、きっとその看護師、近くのナースコールを押して助けを求めたと思うんだ。で、それを受けて控えの看護師が駆けつける。ってことは、館内放送をするために内線を使って連絡とったってことだろ? で、その放送が今流れているコレ。
 それからすぐだったね。病院内が阿鼻叫喚の騒ぎになったのは。
 でもね、俺は慌てなかったさ。なぜって? だってさ、俺もあいつも既に一度この病気にかかってるんだよ。もう大丈夫なはずさ。何しろ免疫ができてるからね。俺たちにゃあ関係ないことさ。
 きっと原因もわからずに病院側は他の医療機関に助けを求めるんだろうね。手近にある電話でね。
 こりゃあ傑作だね。あいつの言ってたセリフを思い出したよ。
「こりゃギネスに載るね」
 まさしくその通りだね。うん。



※涌井の創作小説です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?