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非公式な取り決めでしかない…この協定の精神がそのままになっているのが「河野談話」と「村山談話」

非公式な取り決めでしかない…この協定の精神がそのままになっているのが「河野談話」と「村山談話」
2020年10月20日
2018-12-13に発信した章である。
以下は月刊誌WiLLに、今も新聞・テレビを呪縛する「日中報道協定」バカ真面目な日本人だから、まだ縛られている。そんな紙クズ、捨ててしまいなさい!、と題して掲載されたジャーナリスト宇田川敬介の労作からである。
なぜトランプを叩くのか 
アメリカの中間選挙は、トランプ大統領にとって満足のゆく結果になったようだ。 
日本のマスコミ報道は、下院の過半数を失ったことでトランプ大統領の政策に陰りが見えたように大騒ぎしている。
だが、オバマ大統領の時は、上下両院で民主党が過半数を超えず、そのためにアメリカにおいて予算が組めず、国営の施設が臨時で休みになったこともあった。 
それに比べれば、上院与党が共和党であるということは、オバマ大統領の時よりも安定した政治になると評価できる。 
それにもかかわらず、「トランプバッシング」は報道の世界から消える気配がまったくない。
アメリカのマスコミならわかるが、日本のマスコミでもそのように報道するのは、いささかおかしな状況である。 
「いや、ここだけの話、トランプを応援する報道をすると上から怒られるんです」
あまり保守派の間では評判のよろしくない某テレビ局のディレクターが言う。 
中間選挙の内容に関して、なぜ、中立的に報道しないのかを、飲みながら話していたときの話である。
「なぜ?」 
「それが、どうも『元麻布』から協定違反だってクレームが入るらしいのですよ」 
「中国大使館か」 
ディレクターは口に人差し指をあてて、ジェスチャーで声を出すなというように私に指示すると、急に顔を近づけて、「そんな大声で言って聞かれたらどうするんですか。すぐクビになっちゃいますよ」 「誰に聞かれるんですか」「中国人なんてどこにでもいるんですから、どこから『元麻布』に通じるかわからないでしょう」 
ディレクターはかなり迷惑そうに小声で言うと、慌てて話題を変えた。
しかし、この「協定違反」とは一体何であろうか。
その謎を解くキーワードが「日中記者交換協定」である。
日中記者交換協定 
正式には「日中両国政府間の記者交換に関する交換公文」と言われるもので、1972年に橋本恕在中国日本大使館参事官と王珍中国外文部新聞局副局長との間で締結されたものである。 
少々複雑なのだが、その原本は「日中双方の新聞記者交換に関するメモ」というもので、日中国交回復前に交わされたものだが、日中貿易協定締結とともに失効したために、同日同じ内容で締結されている。
ただし、「公文」「メモ」であるということは、両国間の正式な取り決めでもなく条約でもない。 
当然、国会で批准されたわけでもない非公式な取り決めでしかない。 
しかし、なぜか日本のマスコミはこの協定の呪縛が解けないどころか、完全に支配されてしまっている。 
この協定は、国交がなかった中国との間において、1962年、「日中総合貿易に関する覚書」が交わされ、経済交流が優先して行われた。 
この経済活動の取材ということを目的に、1964年、日中双方の新聞記者交換と、貿易連絡所の相互設假に関する事項を取り決めたのだ。 
日本側の代表は、当時貿易を行っていた高碕達之助、そして、衆議院議員の松村謙三である。
松村健三は、東久邇宮内閣で厚生大臣と文部大臣を兼務した人物で、三木武夫と自民党内では派閥をつくるなど、「ハ卜派」の重鎮だ。
池田内閣退陣後、河野一郎を推薦するなど、自民党夕力派とことごとく対立し、彼の秘書であった田川誠一や河野洋平などは、後に新自由クラブを設立している。 
また、その河野洋平は後に「河野談話」を発表し、現在の日中関係に重大な障害を与えている。
この協定の内容は、何度か改定されている。 
その中に1968年の「日中覚書貿易会談コミュニケ」があり、かなり重大なことが話し合われている。 
少しわかりにくいかもしれないが、その要点をここに挙げてみよう。
・日中友好関係を進めることがアジアと世界の平和に有益である。
・中日関係に存在する障害は、アメリカ帝国主義と日本当局の推し進めている中国敵視政策によってもたらされたものであり、日本側はそれを深く理解し、今後このような障害を排除し、日中関係の正常化を促進するためにさらに努力をはらう。
・「中国敵視政策をとらない」「二つの中国をつくる陰謀に参加しない」「中日両国の正常な関係の回復を妨げない」という三つの原則と政治三原則と政治経済不可分の原則を堅持することに日中ともに同意する。 
ここにある“三つの原則”とは、1958年に訪中した社会党の佐多忠隆参議院議員に対し、廖承志常務委員が周恩来総理、陳毅外交部長の代理として示した公式見解で、その後中国が事あるごとに持ち出している原則である。
このような複雑な関係になっているのは、改革開放以前の中国に対して日本国全体の政治や国際情勢と関係なく、自らの利潤のみを追求した貿易を迫ったことからであるといえる。
そのためにこの貿易は、協定を始めた廖承志と高碕達之助の頭文字をとって「LT貿易」と言われていたほどだ。
「談話」に払った犠牲 
日本という国は、一部の人間の経済を優先しすぎるために、政治やイデオロギーなど何か大切なものを犠牲にしてきた。 
この協定も、貿易を行うことを人質に取られた感じで、あまり意識せずに合意しているが、アメリカへの敵対政策や政治経済不可分、一つの中国など、さまざまなことを日本側は合意している。 
それも社会党の議員が決めてきた原則を、自民党の元大臣が上塗りするというような形になっているのだから始末に負えない。 
この協定の精神がそのままになっているのが「河野談話」と「村山談話」であり、まさに、自民党ハ卜派と当時の社会党の共同作業によって中国の顔色をうかがい、日本の重要なことを全く無視する形になっている。 
なお繰り返すが、この協定も、また、河野談話も村山談話も、いずれも正式な手続きによって日本が意思表示をしたものではないし、条約でもなければ、国会で批准したものでもない。 
さて、この記者交換協定の説明が長くなったが、この半世紀以上昔の取り決めが今も日本のマスコミを支配していると言えば、意外に思う人も少なくないかもしれない。 
しかし、実際の現場が、冒頭の会話である。
六本木のテレビ局や築地の新聞社、あるいは渋谷にある放送局ロビーや会議室で中国大使館に出入りしている人の姿を探すのは、それほど難しいことではない。 
当然、彼らは中国に関して中国共産党政府の発表を中心にして報道を行う。 
その内容を検証し、あるいは他の国の主張と合わせて中国の発表の真意を明らかにするなどを行わず、事実や国際的な常識とは全く異なることと認識されている内容であっても、そのまま報道して何とも思わない状況になっている。
報道の自主性がなくなる事態にならないか。 
もちろん、このようなことをすでに理解している日本人は少なくない。
ネット上は中国の御意向を気にしながら報道するマスコミに対する非難であふれていると言っても過言ではない。 

しかし、それが国内の問題では済まされない状況になってきている。

この稿続く。

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