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幼い頃からの不安感

私はそれがすごく強い人間でした。
とにかく何をするにも不安。
そして割と低年齢の頃からの記憶がしっかりあるタイプでした。
具体的には2歳後半くらいから朧げに覚えていて3歳ごろの出来事は嫌なことを中心にしっかりあります。
周囲にも驚かれるのでこれはきっと「普通」じゃないのでしょう。

保育園の行事で「死」の存在を認識


私の不安感が爆発したのは保育園で見せられた人の死が登場する物語でした。
元々仏教のお寺だったところが戦争孤児の居場所として開放されたものだと聞きました。
それを理解できるのはもっと大きくなってからでしたがそういった成り立ちもあり、すごく仏教教育に熱心だったんです。
今ならそこまで宗教色が強い園は考えられないかもしれませんが当時は珍しくもありませんでした。
登園後は本堂で朝のお参り、食事やおやつの際は「観仏様に感謝」というような歌と挨拶があり、帰りは「1日無事に過ごせました」的な内容のお歌を歌って帰宅。
これが保育園に通う3年間、毎日の流れでした。
ついでに発表会などでもお釈迦様にまつわる物語を年少・年中・年長のそれぞれのクラスで分けて(年齢に応じたレベルで)披露するのがお決まりでした。
私自身は信心深い仏教徒ではありません。
ただ幼い子どもは教えられたことを素直に吸収するので「当たり前」の日常でした。
仏教にはお釈迦様と関連した幾つかのイベント(という言い方が適切かは分かりません)があり、園でもその日はそのことについて学ぶ時間が設けられます。
いわゆる先生がピアノを弾いて歌を歌うとか、お絵描きをするとか…そういう活動よりも仏教関連の物事が優先されていたように思います。

その中で「涅槃会」という行事があり、それが私の不安感を明確なものにしました。

当時は「お釈迦様が亡くなった日」と教えられ、音声付きのアニメを流していました。
お釈迦様の最期については様々な意見があるとは存じますが3歳の私が観たもの、その感想を率直にお伝えします。

「死」とは苦しいもの

まずアニメの中のお釈迦様は「お腹が痛い」と仰っていました。
床に臥せっているお釈迦様の周りを様々な動物が囲み、悲しそうに見守っています。
やがて病状は悪化し、お釈迦様は「うぅ…、うぅ…」と痛みによるか細い声をもらすようになります。
その時を悟った動物たちは涙を流しましたがお釈迦様は「悲しまなくていい」と仰り、そのまま穏やかなお顔で天に召されました。
こうして書くと別に普通のことですよね。
でも3歳の私は「お腹が痛いと死んじゃうんだ」「死ぬ時はあんなに苦しそうな声を出すんだ」と…そこだけが印象に残ってしまい、嫌なドキドキが止まらなくなりました。
「お釈迦様は偉大な人」という教えも上記考えを大きく広げてしまった一因です。
だってお釈迦様は自分の地位を捨て、苦しい修行を乗り越え、素晴らしい人物になったのに結局最後はまた苦しんで亡くなる道に戻ってきてしまったから。
お釈迦様みたいに偉い人でもこんなに辛いなら私は…と結び付けてしまいました。
それを言葉で上手く説明する術を持たない年齢。
その日から私はお腹が痛いと恐怖し、家族が腹痛を訴えると血の気が引きました。
それは特に夜が多く、1人泣きながら眠った日も多かったです。

どこかで書いたような気もするのですが私の母は妊娠出産を繰り返していて、常時体調不良でした。
※実際はそこまででもなかったかもしれないですが私にはそう映っていました。
よく横になっている母とお釈迦様のお姿が被り、何とも言えない気持ちになりました。
仏教に関する行事は毎年あったので忘れるにも忘れられず……もう少し年齢が上がった頃には父母祖母辺りに「死ぬって何?」「誰が先に死ぬの?」「いつ死ぬの?」などの質問を繰り返しました。
私の真意を知らない(理解できない)大人達は私を気味悪い子ども認定しました。
ただ今は大人達だけが悪かったとは思っていません。
だって書き出していても私は「異様な子ども」そのものだから(笑)

「死」に取りつかれてしまった

人は不快なものからは距離を取ろうとする生き物だと思います。
でも私はそこからずっと死に取りつかれたように戦争だったり闘病記だったりを選んで読むようになります。
その度に新たな死に関する知識が増え、また新たな恐怖の対象が誕生するのですが止めることができませんでした。
交感神経・副交感神経って最近よく聞きますが幼い頃の私は言葉は知らなくてもその働きにさえ抗おうとしていました。
夜になって布団に入ると心拍数が落ち着くじゃないですか?(ドキドキして眠れない夜もその後たくさん経験するようになりますが)
でもその状態を「心臓の元気がない!」と判断し、しっかり脈打ってもらうために水をがぶ飲みしました。
すると脈拍が早くなる。
「生きてるんだ」って実感できる。
布団に戻ってしばらく経つとまた落ち着いてくる。
更に水を飲むというのをひたすら繰り返していた時期があります。
死という未知の物に対する恐怖は幼い私をかなり苦しめました。
けどこんなこと誰にも相談できない。
話したこともあるけど相手にされなかったのでいつしか訴えることもやめてしまいました。
一言説明してくれれば私の異常行動はおさまったかもしれないのに「子どもの言ってること」をまともに取り合わなかった時代に生まれてしまった。
もう何を言っても仕方ないのですが。
人間は一生のうちに何度鼓動を刻むか決まっているという説もありますよね。
そのことを知ったのは随分大きくなってからでしたが私は打ちひしがれました。
だって無理矢理に鼓動を早くしていたのですからもし決まっているのなら…という絶望感。
大人になってから超省エネ人間になったのは鼓動を温存しているからかな~と思ったり、思わなかったり。
「死」への恐ろしいほどの執着は小学校高学年になった頃、担任の先生に図書カードを見られ「大丈夫か?」と聞かれたのをきっかけに隠すようになりました。
けど隠すのが上手くなっただけで恐怖やある意味の興味が消えた訳じゃない。
大人になるまでずっと私は様々な「死」を感じては怯える毎日を過ごしていました。

「子どもだから」は違う

何度も言っている気がしますが子どもって案外「分かって」います。
もちろん経験の乏しさから私のように極端に偏った思考に陥ることもありますがそんな時に「間違ってるよ」と指摘して、正しい知識を与えてくれる人の存在って本当に本当に大切です。
たった1人でも理解者がいれば人は変われる。
残念ながら私にそういう人は現れなかったけれど。
大人から見ておかしいと思う子どもの言動は何かしらのサインです。
「子どもだしな」「どうせ深くは理解していない」と決め付けず、大人なのだから余裕をもって「どうしたの?」と聞いてあげて欲しい。
もし手に負えないようなら専門家を頼ってもいい。
相手が「子どもだから」まともに取り合わないのは違います。
大人だって自分の話を真剣に聞いてもらったら嬉しいでしょう?
子どもも同じだと覚えておいてほしいと切に願います。


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