死ぬ意味

怪談を聞いてると、哲学に出会う。

怪談和尚、三木大雲さんのトークより

昔は戦争がありました。
「お国のため」とか「家族のため」とか、死ぬ意義がありました。
でも現代には無い。


《死ぬ意味》

考えたことなかった。

日本において《死》というのはタブー視されている。

そして想定もされてない。
マンションにはエレベーターが付いてるだろうが、どんな高級エレベーターも、寝ている状態の人間を入れる想定はしてない(奥行きがない)。

マンションの高階から棺桶やベットを運ぶ場合は、非常階段を使うしかない。しんどい。
病院だとベット搬送を想定してるから、奥行きがあってベットも棺桶もスッポリ入るんだけど。
死を日常的なものだと思ってない。
日本は三木和尚が言う通り戦争もないし、病気も大体治る国だし。
大体の人間は老人ホームから病院に移されるか、歩けるうちに入院して、そのままどんどん衰弱するのが理想。

そもそも死ぬのなんて嫌だし。
死にたくて死ぬ人って、病んでる人しかいない。
で、そーゆー人は死に対して消去法でもあるし。
「生きるのが辛いから死ぬ」とか
「やりたい事が無いから死ぬ」
とか。
死ぬことに目的があるにはあるけど、消去法なので《死》自体に意味を見出してる感じは無い。むしろ生きることに意味を見出せてないというか。そういう意味で消去法。

まず生きること

死ぬ目的を見つけるには、まず生きる目的を見つけなくてはならないのでは。

これが無いと、たとえ辛いことが全く無くても、死にたくなっちゃうかも。生きてる意味見つかなんないだろうから。

かつて(今も?)人間は、宗教によって生きる意味を見出してきた。

少なくとも昔は科学やネットが無かったので、そういうスピリチュアルやオカルト的なものを信じやすかった。ロマンがあったんだ。
でも今は科学で大体分かってきたし、ネットで自分の身の程を嫌でも知れるようになった。
デジタルネイティブの世代は、悟り世代なんて言われてる。身の程を悟る世代。
夢を見れなくなった時代。
幻想を抱けなくなった時代。

小学生の将来なりたい職業ランキング1位がYouTuberなんだっけ?
無理無理。挫折する。
YouTubeなんてネットなんだから、初期段階で挫折する職業でしょう。
目標はロールモデル。
常に自分の現実と、ロールモデルの理想を突きつけられる。
自分は再生回数25回とかなのに、ヒカキンといったロールモデルは何百万とか。
評価が可視化されるのがキツい。それも自宅から1歩も出てないのに知るっていう。
井の中のなのに大海が見える奇妙な時代。

話が逸れたけど、まだ分からないのは深海と宇宙くらい。あとSTAP細胞。

妄信的でいられなくなったというか、言い方は悪いけど、バカじゃいられなくなった。
賢いことが幸せじゃない代表例。
ニーチェが決定的なこと言った。

「神は死んだ!」

だから自分で生きる目的や理由を決めなきゃいけない。

宗教の目的って、まあ死んだ後に目を向けてるような感じがする。
生きてる理由とか目的が、死後の世界で報われること
生きてることが辛い人に「その苦しみは無駄じゃないよ!」と意味付けするのが宗教。
で、それは死ぬこととリンクしてる。

生きる理由が死ぬ理由を決める。

無駄じゃないから生きる!

死んだ後役に立つから死ぬ!

死ぬ目的、それはズバリ…

マイナスをゼロにするため


金庫に預けてる貯金額は同じだとして、800円入った財布と9万円入った財布なら、落としたとしても9万円入った財布の方が執着してしまうし、800円くらいなら落としてもいいかと思える。

アウシュビッツ収容所に送られて、強制労働させられている人にとって、死は救いだろう。
生き地獄なんて言葉があるくらいだから。

余命宣告

不安でありましたが、『もし悪性だったとしても早く見つかりラッキーだと思おうよ』と主人と話ながら前向きな気持ちで

命に関わる重い病になった時、ショックを感じる人は人生を幸せに生きてきた証拠だと思う。
生に執着があるからショックなわけで。
生に執着するのは、生きるのが楽しいわけで。

僕が癌で余命宣告を受けても、なんとも思わない自信がある。
むしろ清々しくなるかもしれない。

それは生きることがジリ貧のマイナスだったから。
死ぬ事はゼロに戻ることだが、変化としてはプラス。
だから死は救いなのかも。

痛いのは嫌だよ?
だけどそれも生のマイナス要素。死ねば痛みからも解放される。痛みが無くなるのはゼロでプラスは皆無だが、精神的な悩みプラスアルファ感覚的な痛みが加わって、マイナスが、どマイナスになると。
そんな状況でそれをゼロにできる《死》というものは、救い以外の何ものでもない。

ちょいマイナスからゼロに変化するより、どマイナスからゼロに変化した方が、増加度合としては後者の方が大きい。

究極の損切り。

仏教において死は苦だが、絶望している人にとってはむしろ救い。
安楽死とかそう。
これが宗教的な思想を抜きにした死ぬ意義であり意味。

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