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それは本当に技術を高めたいから?

画力がほしい────

ゲームが上手くなりたい────

それは承認欲を満たすための《手段》ではないか?
目的ではなく。
手段と目的をごちゃごちゃにしている。

よくある話だが、Twitterの神絵師になりたいという願望は結構な人が持っているだろう。そのために画力を上げようとするわけだが、純粋に画力を上げるのが目的の人と、チヤホヤされたいから画力を手段にする人がいるということだ。
後者の画力が手段になっている人の目的は《チヤホヤされること》なので、別に手段は絵じゃなくてもいい。踊ってみたでも歌ってみたでも、なんなら顔を褒められるだけでもいいのだ。

要はいいねとフォロワーが欲しいだけなのだから

前者の場合は目的が画力を高める、そして絵を描き続けるという絵に対する純粋な愛があるため、手段がぶれることは無い。目的も手段も一致しているのだ。

生粋のゲーマーなら、純粋にゲームが好きだからという理由でゲームという手段を使い、ただただゲームがしたいという目的のためにゲームをする。配信や投稿はついでなのだ。
しかし、かまってなんちゃってゲーマーちゃんは《認められたい》という目的でゲーム配信を《手段》にする。強くなるという目標も、深堀りしていくと結局承認されるためだったりする。
かまってちゃんは承認されるためにゲームをやっているだけだ。

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