哲学者で良かった
社会のレールから外れたから、哲学的な考えに逃避しているのかと思っていた。
しかしよくよく考えたら、学生時代から哲学的な考えに染まろうとしていた。
さとうみつろう《おしゃべりシリーズ》
宮本武蔵語録
名棋士100の言葉
メンタリストdaigo《ポジティブ・チェンジ》
樺沢紫苑《神・時間術》
アドラー《嫌われる勇気》
君たちはどう生きるか
etc…
これらは別に背伸びしていたとか、誰かにオススメされたとかではない。本屋で目にすると、自分から引き寄せられていった。
それが今のシオラン信仰や、ニーチェ崇拝につながっていると思うと、運命を感じる。どんな人生を送ろうと、どのみち行き着く先は哲学かと。
哲学が救った自尊心
世間の価値観で生きていたら、僕はもうこの世にいない。世間の価値観で測れば、僕はゴミ人間だから。
哲学者は身を潜めている時代
令和において哲学は、マイナーで狂っているジャンルと言われてもおかしくない。
人生についての意見を発信する人もあまりいないようだから、ブームではないし、そもそも哲学ブームなんて古代ギリシアでなければ来ない。よっぽど娯楽の無い時代でない限り来ない。
それでも僕は楽しいと思うから続ける。
考え方をひとつ得るたびに、自分の内面が変化している感覚があって、やめられない。見た目は変わらないけど、中身が変わる。最新ゲーム機のアップデートみたいなもの。
哲学者で良かった。
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