失敗慣れ
最初の一歩がイチバンきつい。
何事もそう。
失敗も怖い。
でも最初のうちだけ。
無敗の選手って実は弱い。
負ける不安があるから。
失うものがあるから。
確かに負けない保証があれば、強いかもしれない。だけど常に勝っている人間はいない。波や調子があるし、強い弱いは相対的だから。
仮に絶対的な実力を持っていても、得意分野以外の場面で失敗する。これは絶対回避できない。
テストでずっと満点、
忘れ物なんてしたことがない、
怒られたこともない、
いや有り得んから。
究極生命体カーズだって負けたし。
挑戦するなら負ける覚悟もしなくてはならない。
負けないということは強くない。負け慣れしている方が、負けた際の精神ダメージが低いため、精神環境は強い。
失敗していない人間や勝負しない人間は、何もしていない人間なのだろう。
失敗が怖くて、最初の一歩すら踏み出せていないのだ。
その間に、挑戦する人間はどんどん前に進む。勝ち負けなんてどうでもいい。
慣れるから。
笑ってくる人間は、いつまで経っても踏み出せない人間だ。失敗することはないが、成功もしない。一生踏み出し続ける人間の足を引っ張るだけの人生だ。
挑戦している人間は、周りなんて見る暇がない。だから他者を笑うこともない。
大事なのは失敗してもすぐ切り替えること。
しかしこれは失敗の数を重ねれば重ねるほど切り替えられる。皮肉だけど。
免疫と同じだ
鉄拳を始めたての頃は、負けるのがめちゃくちゃ嫌だった。
だけど嫌々挑戦して、負けと煽りの抗体をぶっ刺し続けた結果、免疫がついた。
そして、悲しくなったりコントローラーをぶっ壊したくなる衝動には駆られなくなった。
成長過ぎる。
嫌々と、挑戦しなかったら⋯。
たしかに負けることはしなかった。だけど勝つことも、免疫がつくこともなかった。
そう、目的は《勝つこと》だけではない。《免疫をつける》ことだ。
鉄拳においては失敗の免疫を獲得できたが、獲得できていない分野抗体もある。
マンガと仕事だ。
僕は漫画家を目指していた。
はじめの一歩である《投稿》が怖かった。
Twitterで絵を晒すのも怖かった。
人に絵を見せるのも嫌だった。
その結果、免疫付いたっちゃついたけど⋯遅かったね。チャレンジが。
そしてまだまだ抗体不足だ。
はじめの一歩で酷評されたが、それでは足りなかった。
「辞めちまえ」と言われてからが本番だったね。
それは仕事に関してもそうだ。
少し怒られただけですぐヘコむ。
でもまあなんだろう。最初は甘えだと思っていたが、後々知能面に障害者があることが判明した。
小さい頃から自分だけ出来ないということが多々あった。
これも失敗経験だ。今までの話だとありがたい抗体という流れだろうが、ちょっと有り余り過ぎた。
積もり積もった失敗経験は、免疫ではなく毒になってしまったようなのだ。
キャパを超えてしまった感があるな。
今思い出したんだけど、聖闘士星矢の外伝に、毒の血を使う聖闘士がいた。
弟子にその能力を継承する際の儀式として、互いの指先を切り、映画《E.T.》のように合わせる。弟子に毒の血の能力は無いので、最初は師匠の毒に悶え苦しむ。
繰り返していくうちに段々と耐性を身につけていき、遂には師匠の毒を上回るというものだ。
何の話だっけ。。。、
次はお笑いで失敗したいと思っている。
滑る⋯
鼻で笑われる⋯
誹謗中傷される⋯
これがお笑いの抗体か。
小宇宙燃やして免疫つけるぞーーー!
奇跡は起こる、キミが諦めない限り何度でも🦄🪽
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?