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「昇進」「役職」「キャリア」と私が望む幸せ


私は自分のキャリアを捨てて無職になった。

止まりながらも歩み続けてきた先で
「管理職」という称号を手に入れたけれど、
称号を手に入れて見えた景色は、自分が望んでいた景色とは違うものだった。
 
今考えると想定や想像が甘かったし、もっとちゃんと真剣に考えたらよかったけど、
違う景色と気づきながらも
「そんなはずはない」と諦めきれず執着し続けてきた。
 

だから、苦しいことばかりだったけど、自分の目で結果を確かめることが出来てよかったと思う自分もいる。
 

そんな私が、社会復帰に向けて企業の面接を受けるのだけれど、年齢なのか職歴からなのか分からないけど、必ずと言っていいほど「昇進」「役職」についての話しが挙がった。
 

「キャリアについてどう考えていますか?」と。
 



この質問に、私の中に窮屈感が湧き上がる。

 
「昇進を目指します」
「管理職になって従業員をまとめたい」
「運営スキルを身につけたい」

きっとそんな言葉を先方は期待しているんだろうな…と思ってしまう。
 


採用される為には
 

「求められる答えを言わなければいけないのか」
「求めているであろう姿でいなければいけないのか」
 

そんな葛藤もあった。
 

世間的にも30代ってこれから脂が乗ってくる頃だし、先方が求めるのも分からなくない。
 


だけど私は、もう「昇進」や「役職」には興味ない。

〝今の私〟には必要ないと思っている。
 

「昇進」したから「幸せ」とか、「役職」がついたから「幸せ」とか、必ずしも=(イコール)ではないんだなあと身をもって感じたから、そう思う。


(もちろん昇進したり、役職が就くことって努力の証でもあるし、素晴らしいことだから否定的な気持ちはない前提で、頑張っている方にはリスペクトの気持ちを込めて…)
 
 
〝今の私〟が望むのは、

自分の生活の安定と日々の小さな幸せに目を向け、「しあわせ~」とか「きれい~」って感じられる瞬間に立ち会うこと。

自分を大切にしてくれる人を大切に出来る自分で在ること。
 

それで良いなって思う。 というより、


それが良い。
 

少し前は「何か成し遂げたい」「大きなことをしたい」そんなことを思う自分だったけれど、目の前の幸せを大切に出来ないことほど、悲しいものはないのかもしれないなと思うようになった。
 

だから〝今の私〟は、小さい守備範囲で守れるモノや人を大切にして生きていきたい。
 

それが私にとっての〝幸せ〟を感じられる一番の近道なのかもしれないと思うから。
 
 
そんなことを考えた面接でのひと場面。


結局、面接は不採用だった。

これで良かった。心からそう思っている。

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