完璧じゃなくていい。 今までその言葉を自分にも 大切な人にも渡してきたけれど 実際の私は、〝完璧〟を手放せないでいる。 自分が「やる」と決めたことは 何事も完璧にこなしたいし、 失敗している姿は見せたくない。 自分が見たくないという言葉の方がしっくりくるかもしれない。 何事も人より成長スピードが遅く、理解力も低い私は、自分のダメな部分に目を向けては 落ち込むばかり。 何もかも完璧で在る必要性を感じているわけではないけれど、完璧ではない現実の自分に対する嫌悪感の本質
〝愛は地球を救うのか?〟 がテーマとなった今年の24時間テレビ。 お笑い芸人のやすこさんが、児童養護施設への募金を募るマラソンに挑戦。 やすこさんの公表と志には敬意を示した上で、24時間テレビの在り方やマスメディアの在り方に違和感を感じた。 〝児童養護施設〟 というワードが、24時間テレビから発信されたのは、私の記憶では初めての出来事かもしれない。 ここ数年で〝虐待〟〝貧困〟というワードがニュースで頻繁に取り上げられるようになったからこそ、〝児童養護施設〟の話題を
SNSや情報、自分の身近で 〝あの人の今〟みたいな話題になると 〝あの人はすごいなあ〟 と、他人と自分を比べてしまうような気持ちに陥ってしまう。 情報から感じ取れる 〝何者かでなければいけない〟 という〝見えない固定概念〟が、私を振り落とし〝私の今〟を否定してくる。 誰かにとって自分を表現できるはずのSNSも 日常生活で入ってくる情報も 私にとっては刺激の一つになってしまうようだ。 でも、よくよく考えてみると SNSやテレビを通して何かを表現して
一人暮らしを始めた頃に初めて購入したカーテン。 ただ、変える理由がなくて変えてなかっただけなのに 〝大切にしているんだね〟 と友人が言葉をかけてくれた。 確かに、変える理由はなかったけれど、 十数年ともにしてきた今、処分するには、ほんの少しだけ勇気がいるかもしれない。 ただのカーテンなのに 友人の素敵な感受性のおかげで 思い出深い大切なもの ということに気づいた。 そこにただ置かれた何気ないモノや あって当たり前になっているモノにこそ 目では確かめられないよう
会っていない期間がどんなに長くても マメにやり取りしていなくても 出会う人の数が増えて交友関係が広がっても 心地が良い旧友。 そんな旧友との共通点は、 時間と心の余裕がないと 好きなことをする気力もなくなってしまう ということ。 私が思うに、自分の心の余裕と時間、心の平穏を保つには、 関わる人の数を最小限にすること 質の良いコミュニティーや人と関わること な気がしている。 ここで言う質の良いとは、 地位や名誉、肩書が素晴らしいとかそういうものではない。
次に始まる仕事のことを考えると 〝頑張らなきゃ〟 と身構えてしまって身体や心が 緩みから強張るような感覚に襲われる。 〝頑張らなきゃ〟 〝頑張らなくて良いよ〟 〝頑張らなきゃ〟 〝頑張らなくて良い〟 まるで両端を行き来する振り子のような そんな心情。 自分で自分にかけた 「頑張らなくていいよ」という言葉が どうもしっくりこないと思いつつも 両端を行き来する振り子を追いかける。 そのうち、 「頑張りたくなーい!!!」 と心声が漏
空腹とともに目覚めた昼過ぎ。 おもむろに袋から取り出して、レンジへ入れて出来上がったトーストをそそくさと食べ始める。 サラダもおかずもスープもない。 今日は、それで良い。 他人から見れば、質素で雑な食事でも 自分にとっては最高の食事。 良いか悪いかは自分が決めて良い。 世の中には、誰かが良いといった情報や、 ~で在るべきとか、~すべきとか 〝誰かにとっての正解〟が、 〝みんなの正解〟〝私の正解〟 というような情報
試着室、 普段着ることのないワンピースを当てた自分の姿を見て 「私らしくないな」って思った。 仕事をする為に、お金を稼ぐ為に、必要だった洋服だったけれど その感覚に従うことにした。 〝見えない不安〟に無意識に流されて 選択を間違えてしまうところだった。 生きていく為や必要とされる為の術として、 社会や所属するコミュニティーのニーズに 私の全部を合わせようしていた。 なんて情けないんだ。 自分らしく生きるって、 社会や所属するコミュニティー、
SNSや記事や本で目にする 「GIVE&TAKE」という言葉。 何かを与えたら代わりに何かをもらう、 何かをもらったら何かを与える という対等な互助関係を意味するのだけれど 〝自分から先に与えるべき〟や〝与えるから入ってくる〟 と、あたかもそれが全てだというような見せ方をする成功者や媒体に 成功者ではない私は、与える人は選ぶべきと思っている。 もちろん、〝自分から先に与えるべき〟〝与えるから入ってくる〟は本当だと思う。 でも、それは、 何
〝人生は一度きり〟 〝やりたいことをやった方が良い〟 〝人生無駄にしたらダメ〟 世の中に溢れているそんな言葉に感化され、手当たり次第にやりたいことに取り組んだ私。 やりたいことをやっているはずなのに、 心が磨り減っていく自分を見過ごしながら 毎日を過ごした結果、何も積み上がらず、何も残らなかった。 お金を手に入れて、美味しいものも食べられたけど、それで得た心満意足は消えるのが一瞬で、残ったのは〝何も成し遂げられなかった自分〟だけ。 「周りは結果を残
忙しい日々に心をすり減らしていた時には気づかなかった幸せを、今はちゃんと感じられている気がする。 ただそこに飾りのように置かれていた椅子も、ソファーも 今の私にとってはお気に入りの 〝だらだら〟スポット。 レースカーテンを半分だけ開けて、窓からほんの少し離れた椅子に腰をかける。 隙間から見える、この緩やかな空が好き。 蝉の鳴き声や車の通る音、 工事の作業音がBGM。 引越しをしてくる時に 「うるさくて眠れなかったらどうしよう…」 と思っていた踏み切りの音や電
私は自分のキャリアを捨てて無職になった。 止まりながらも歩み続けてきた先で 「管理職」という称号を手に入れたけれど、 称号を手に入れて見えた景色は、自分が望んでいた景色とは違うものだった。 今考えると想定や想像が甘かったし、もっとちゃんと真剣に考えたらよかったけど、 違う景色と気づきながらも 「そんなはずはない」と諦めきれず執着し続けてきた。 だから、苦しいことばかりだったけど、自分の目で結果を確かめることが出来てよかったと思う自分もいる。 そんな私が、社会
noteを久しぶりに開いた。 過去の文章の下手さが若干恥ずかしくもある。 今日、また投稿してみようという気持ちになった。 そんな私は、現在、 人生の休養期間、3度目。 自分軸で生きられるようになったと思っていたのに、みるみる他軸に吸い込まれ…。 いや、根本は何も変わっていないまま挑戦に挑み、敗北し、今に至ったのかもしれない。 「かもしれない」ではなく、きっとそう。 でも、これで良いと思っている。 これで良かったんだと思う。 休養期間は、いろんな気持ち