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歴史上【伊賀/甲賀】の忍者同士は争ったことがない‥えっそうなん?‥知らんかったの私だけですか‥ +アニソン3曲

私は忍者にも興味があります


先日
《伊賀の上野城》に行った時の写真を
最下↓にアップさせて頂きましたが
実は《忍者繋がり》で
甲賀にも立ち寄って来ました
浅い知識ではありますが
自身が《城や史跡好き》でもあるので
今回は《忍者》について
少しお付き合い下さい


この投稿をするにあたり
私なりに《忍者》について改めて少し
勉強したのですが
《忍者》について間違った解釈を
していた事を知り「はっ!」としました
それが次のことです

伊賀者と甲賀者は
争ったことはない


忍者好きの
きっかけはアニメ


まず
私が時代小説の【甲賀忍法帖】の存在を
知るきっかけになったのは
アニメの
【バジリスク〜甲賀忍法帖〜】です
アニメはとても面白くて
いっ時は凄くハマりました
(アニソンも同様です)


この小説由来の
アニメストーリーは
伊賀者・甲賀者同士が
最終的に
【争わなければならない定め】
という設定なので
最後はとても切ない結末を
迎える事になります


アニメからの強い影響で
私はいつしか
【伊賀者vs甲賀者の戦さ】は
歴史上あった
という認識になってしまったようです
でもこの投稿にあたり
よくよく調べると
実際には無かったのです


歴史上の忍者について


忍者には名前に【忍】の文字が
使われているように
《盗む/隠れる/逃げる》の忍びの三原則で
成り立っていたようです
戦国時代には
当時の大名などに召し抱えられながら
《放火/破壊/情報集め》などの
数々の《スパイ活動》を行い
君主のために尽くしながら
生活していたそうです
また彼らは
《サバイバル術の達人》でもあったようで
本当はとにかく
出来るだけ戦さは避け
《必ず生きながらえて情報伝達をする》こと
これが鉄則だったようです
死んでしまっては
話にならなかった訳なのです
ですから
戦さを極力避ける理由も腑に落ちます


歴史上は
【徳川家康】の戦さの護衛についたり
やむなく先陣をきって戦ったこともあり
気に入られる存在だったようで
時代も落ち着き
家康が江戸城に入府する頃には
城下町への住み込みが可能で
そこで
大奥や大名屋敷などの
警備なども任されたりしていたそうです
《忍者には忍者の歴史》が
あったのですね

やがて
実在の忍者が徐々に減少する一方で
小説/芸能界などでは
忍者虚像が生まれ始め
大正時代には
小説《立川文庫/猿飛佐助》の
発刊を皮切りに
《大忍者大ブーム》が起こったそうです

この波に乗り昭和34年に
アニメの元となる時代小説

【甲賀忍法帖】山田風太郎
(1959年)

の単行本が
発刊されたそうです
この小説が
正に
私が勘違いする元の小説だった‥
というわけです
noteに出会わなければ
一生知らないままだったかも知れませんね


今回は甲賀に行った時の写真と
【バジリスク〜甲賀忍法帖〜】から3曲を
埋め込みさせて頂きました
相変わらず歌唱力に圧倒されますね

今回も最後まで読んで下さり
ありがとうございました笑


甲賀の里 忍術村の杉の木↑
素通り出来ない雰囲気があります
博物館(旧岡田家)の右側後方上部から

甲賀の里 忍術村の杉の木(妙に間隔が近かった)


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