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歴史上【伊賀/甲賀】の忍者同士は争ったことがない‥えっそうなん‥知らんの私だけ?+大好き3曲


先日伊賀の上野城に行った時の写真を


↑この投稿にアップさせて頂きましたが
実は忍者繋がりで
甲賀にも立ち寄って来ました
浅い知識ではありますが
自身が《城や史跡好き》なので
《忍者》にもやはり興味があるのです

この投稿をするにあたり
私なりに《忍者》について改めて少し
勉強したのですが
《忍者》について間違った解釈を
していた事を知り「はっ!」としました
それが次のことです

伊賀者と甲賀者は
争ったことはない


私アニメの影響受けすぎぃ〜!


パチスロ
【バジリスク甲賀忍法帖】
(2009)

漫画(2003〜2004)
テレビアニメ(2005)
【バジリスク〜甲賀忍法帖〜】せがわまさき

時代小説
【甲賀忍法帖】山田風太郎
(1959)


まず
私が時代小説の【甲賀忍法帖】の存在を
知るきっかけになったのは

上記ような流れです
【バジリスク〜甲賀忍法帖〜】
のアニメも好きでいっ時は凄くハマりました
たぶんその影響で
《伊賀者vs甲賀者の戦さ》は歴史上あった
という認識になったのですね
でもよくよく調べると
実際には《無かった》のです

忍者は名前に【忍】の文字が
使われているように
《盗む/隠れる/逃げる》の忍びの三原則で
成り立っていたようで
戦国時代には
当時の大名などに召し抱えられながら
《放火/破壊/情報集め》などの
色々な《スパイ活動》をを行い
君主のために尽くしていたそうです
また《サバイバル術の達人》でもあったようです
とにかく鉄則は
出来るだけ戦闘は避け
《必ず生きながらえて情報伝達をする》ことで
死んでしまっては
話にならなかった訳なのです

歴史上は【徳川家康】の戦さの護衛についたり
先陣をきって戦ったこともあり
気に入られる存在だったようで
やがて時代も落ち着き
家康が江戸城に入府する頃には
城下町に住み込み
そこで
大奥や大名屋敷などの
警備なども任されたりしていたそうです
こうして《忍者には忍者の歴史》が
あったのですね

その後
実在の忍者が徐々に減少する一方で
小説/芸能界などでは忍者虚像が生まれ始め
大正時代の
小説《立川文庫/猿飛佐助》の発刊時は
大忍者ブームが起こったそうです
やがてこの波に乗り昭和34年には
【甲賀忍法帖】の 単行本が
発刊されたそうですが
この小説が正に
私が勘違いする元になった
小説だった‥というわけです


今回は甲賀に行った時の写真と
【バジリスク〜甲賀忍法帖〜】から3曲を
埋め込みさせて頂きました
相変わらず歌唱力に圧倒されますね
今回も最後まで読んで下さり
ありがとうございました笑


甲賀の里 忍術村の杉の木↑
素通り出来ない雰囲気があります
博物館(旧岡田家)の右側後方上部から

甲賀の里 忍術村の杉の木(妙に間隔が近かった)


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